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ソーシャルデザインに憧れて”エモいM&A”を志すようになるまで

美しさと正しさで金儲けがしたいと、ずっと思っている。
美しさと正しさで金儲けができる社会にしたいな、とも、ずっと思っている。
これからはじめるGOZENという"ソーシャルM&A"のサービスは、そんな社会を作るための、自分なりの一つのアイデアであり、一つの作品だ。


24時 〜サラリーマン時代〜

2013年の春、自分はなんとなく焦っていた。大学院にも行って社会に出るのは遅く、朝から晩まで図書館通いだった大学院時代とガラっと違うことがしたくて、外資の会社に就職した。給与も悪くなかったし、WORK HARD・PLAY HARDを地でいく社風で、西新宿の高層ビルで徹夜で仕事して、LMFAOとかデヴィッド・ゲッダが鳴り響き、華やかな香水の香りがする六本木のクラブでオールで遊ぶ生活を3年やった。刺激的だったし、充実していた。

でも、当時まだかろうじて流行っていたポストモダン哲学のようなひたすら難解な文章が好きだったり、元来考えることが好きなので、何か違うことがしたいと思った。多分自分は今の世界線と、それに連なる先々のライフスタイルをずっと楽しむことはできないだろうな、という直感があった。

26時 〜INHEELS時代〜

その時に出会ったのがソーシャルデザインという考え方で、それに激しく共感した自分は、“Who said ETHICAL is not SEXY?”を掲げる、INHEELS(インヒールズ)というエシカルファッションブランドでプロボノをはじめた。本業も忙しかったから、グラフィックデザイナーと26時から打ち合わせ、みたいなことをちょくちょくやっていた。大変なことそれ自体が楽しかった。

INHEELSのクリエイティブビジュアル

INHEELSにハマった自分はそちらに軸足を移すことを決意し、2016年にCOOとしてジョイン。ポップアップの仕切り、クラファンの企画作り、広報誌のコラム執筆、エシカルファッションの勉強会のプログラム作り、インターンの採用など、いろいろなことをやった。INHEELSの仕事だけでは全然食べていけなかったので、朝7時に出社してINHEELSをやり、その後別の仕事をして生活していた。

INHEELSは、いいブランドだったと思う。

まず、美しかった。当時はSDGsという言葉も出始めで、エシカルファッションの多くはナチュラルでゆったりとしたシルエットの服だった。そんな中で肌を出し、六本木のサルサクラブにも踊りにいける服を作ろうとしていINHEELSはそれはdopeで、ロアビルでテキーラを飲みまくっていた自分は共感しかなかった。

そして、正しくもあった。ネパールのフェアトレード工場で、テンセルというエコ繊維を使って服を作ったり、カンボジアの不発弾を原料にした真鍮のアクセサリーを作ったりしていた。

ただ、金儲けという意味では、なかなかやりきれないところがあったと思う。D2Cみたいな概念やノウハウもない時代、店舗をどんどん増やして展開していくことも、SNSハックとアドを駆使してECのみでバーティカルに突き抜けるのも、両方難しかった。エシカルファッションやSDGsが急速に広がった2019年、ファウンダーの一定の納得感のもと、ブランドは幕を下ろした。

28時〜feast時代〜

その後もエシカルファッションやSDGs関連の企画を仕事にしていた自分は、ご縁があってバストが小さい方向けのボディポジティブなランジェリーブランド、feastを経営をすることになった。

feastのビジュアル

創業者のハヤカワ五味さんのnoteや記事を元から読んでいて、光栄な話だなと思った。本人はすでにフェムテックの事業に軸足を移していて、自分がfeastの経営のかなりの部分を担当することになった。2人のライフスタイル的にfeastをリスタートする時、M&Aをゴールにした。それに向けて動いていく中で、何人かから

「どうせ伸び代ないんだから、サイズ関係なく韓国から安い下着買いまくってきて、タグつけ替えて売りさばいてくしかないっすね」

という趣旨のアドバイスを何回か受けた。それは当時のD2Cの市況的には極めて真っ当だったのかもしれないけど、自分には美しいとも正しいとも思えなかった。

それならやる意味がないと思ったので、MDを工夫したり、LINEやメルマガを整えたり、原価率を下げるための新しい生産先を開拓したり、業務委託やインターンの体制を整えたり、海外ブランドの卸をはじめたり、少ないキャッシュの中でできることをコツコツとやっていった。
初期の記憶はデザイナー以外のスタッフが自分しかいないので、「今週の激かわランジェリーはこちら😙💕」みたいなテキストを作ってTwitterを自分で運用していたのと、物流拠点移行時にトラブルがあり、真冬に栃木の発送センターに1人で行って、何十個もある段ボールに入っているアイテムを全部空けて検品したこと。キャッシュもいつもカツカツだったので、月末を乗り切るために自分のフィーの支払いを止めて対応することもけっこうあった。

結果、他のD2Cブランドみたいに昨対300%みたいな華やかなプレスリリースは出せなかったけど、引き継ぎ時よりブランドの売上げも利益率も向上し、今年の3月31日に無事にM&Aをすることができた。今もハヤカワさん、自分共にPMIのため、更なる事業成長のためにfeastにコミットしている。

AM6:00 夜は明けて、GOZENへ

今年39歳になるけれど、この歳になって、おそらく自分には全く別の人生もありえたのだろうな、と思うことが増えた。中学の部活、高校で聞いた音楽、大学受験、サークル活動、入社した会社。一つ違うだけで、多分全く別の人生になっていたんだと思う。その意味で、2022年7月の今、feastがなくなっていた世界もおそらく存在する。そんな無数のありえたかも知れない世界の中で、自分はfeastが残っている世界線を創れてよかったと思っているし、少しだけ誇りに思っている。逆にINHEELSが残っていない今の世界線が、少しだけ悲しい。

自分が起こした事業を一生やり抜いていくクリエイターもたくさんいる。資本主義から距離をとり小商いをやっていくのも人生だし、急速に拡大させてIPOするのも素晴らしい。ただ、それと同じくらい、美意識を発揮させて事業を起こし、数年をかけてコミットした後、また別のプロジェクトをはじめたり、少し休んだり、さらに大きな挑戦をするのも同じ位素晴らしいし、それができるソーシャルデザインがあったらいいな、と思う。

だから自分がそれを創ろうと思う。クリエイターに寄り添い、美意識がある事業が社会に存在し続け、クリエイターのライフスタイルを拡張させるための第三の回路。MAの意味を革新しAMに、午前から新しい経済活動を作っていくために。


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