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書評:『東大なんか入らなきゃよかった』(池田渓著)

『東大なんか入らなきゃよかった』

このタイトルをみた瞬間、しばらく忘れていた、東大に対する負の感情がドッと押し寄せてきた。


本書は、東大出身であるライターの著者が、自らの東大での経験と、同じく東大を卒業した数名へのインタビュー内容をまとめたノンフィクションである。ここで描かれているのは、巷の人々がイメージし憧れるような、社会で華々しく活躍している「勝ち組」としての東大生像ではない。東大に入ってしまったがために人生を狂わされた人間たちの、切ない物語である。

例えば、東大法学部を卒業してメガバンクに就職した男性の物語。肩書きだけを見れば、エリート街道まっしぐらに思える。しかし実際は、学生時代に「やりたいこと」が見つからず、かといって弁護士や官僚のような試験勉強を必要とする職業に就く度胸もなかったため、「東大の新卒」という肩書きだけで内定がもらえる、妥協の選択肢にすぎなかった。そんなモチベーションの低さで銀行の仕事に耐えられるはずもなく、とうとう彼はうつ病を発症してしまう。

あるいは、東大文学部を卒業後、地元である関西の市役所へUターン就職をした男性の物語。職場には東大出身者が全くおらず、それゆえに彼は周りから嫉みの対象となり、仕事について尋ねても「東大生なんやからそれくらい分かるやろ」と無視されたり、東大生が出演するバラエティ番組をネタにしてひどくからかわれたりと、散々な扱いを受けた。結局、彼もまたストレスで体調を崩し、わずか一年半で退職を決意した。


これだけを読むと、「ただその人自身の問題であって、東大生かどうかは関係ないのでは?」と思われるかもしれない。だが、ただちに個々人の問題に帰着できるほど、「東大」という魔物が生み出す弊害は単純な代物ではない。本書でも、東大生の特徴やら何やらについて記述されているが、東大生が育ってきた環境や経験してきた受験システム、「東大」という社会に潜む独特の構造や制度・文化、一般社会から「東大」へと向けられるまなざし……さまざまな要素が複雑に絡み合いながら、「東大」という悲劇は創り上げられている。


そう。「東大」とは悲劇なのだ。ある意味で。


こう断言するからには、それなりに理由がある。というのも、私自身も「東大なんか入らなきゃよかった」と思った経験のある人間なのだ。


世の多くの人は「東大に入れば何でも手に入る」と思っているかもしれない。いま東大を目指して必死に受験勉強に励んでいる受験生も、「東大に入ればバラ色の人生が待っている」と期待しているかもしれない。だがそれは大きな間違いだ。


東大を目指すことで、そして東大に入ることで、失うものもあるのだ。


それは、東大合格を目指して費やした受験勉強と引き換えに失った、高校の同級生と遊ぶかけがえのない青春の一コマかもしれない。あるいは幼い頃から抱いていた「美容師になりたい」「パティシエになりたい」という夢かもしれない。

「東大」が人生の選択肢を増やしてくれる、というのも一理あるかもしれない。だが、本当に全ての人にとって、「人生の選択肢が増える」ことが幸せに結びつくのだろうか?


「東大」を無批判に信用することは危険だ。むしろ、「東大」によって人生が窮屈になる側面もあるということを、見逃してほしくないと私は思っている。

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