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#01 ドラマ『東京男子図鑑』を観た。あるいは、不安定な東京を軽く生きるということ。

「ファンタジーなんて観ないでしょ?」って言われることがある。そうかもしれない。ライトノベルよりも、推理小説が好き。選ぶのは大作のSF映画じゃなくて、小ぢんまりしたドラマ。全く知らない世界よりも、いつもと同じ日常が、ほんの少しだけねじれていって、それからわたしの中の何かが小さくゆらぐのが心地良いのだと思う。

ざっくり思い出すと、わたしが『東京女子図鑑』を観たのは2018年のことらしい。興味のあるドラマや映画を一通り観終わって、何かないかと思ってAmazonプライムの視聴可能作品リストをザッピングしていたのは覚えている。何で引っかかったのだろう。何に惹かれたのだろう。

それで、夜通しで一気に最終話まで観てしまった。そんな記憶とその延長について。

【以下、ドラマ『東京女子図鑑』『東京男子図鑑』のネタバレを含みます】

■東京、その薄明るい記憶のかけら

「何に惹かれたのだろう」だって。それは、タイトルに「東京」の文字があったから。

「東京」の後に何かしらのことばを加えると、もう不思議な感覚に襲われてしまう。「スカイツリー」「ラブストーリー」「物語」「ばな奈」、最近だと、これは魅力的とは言えないけれど、「アラート」なんかもそうだ。昼の渋谷か夜の自由が丘か深夜の汐留か早朝の新宿か、そういう時間と空間がかき混ぜられて輝いている。

どこかで聞いたことがある。単独の都市では、パリやシカゴなんかの方が大規模だが、東京ほどいくつもの街が密集したところはないそうだ。確かに、東京駅から少し北に歩けば大手町、神田、御茶ノ水、秋葉原、西に行けば二重橋、日比谷、霞ヶ関、虎ノ門、……以下省略。何となくでも知った名前が、車道の青い看板を見つけるたびに目に入ってくる。

それから、東京という都市、東京ということばと少しでも関わったことがあれば、そのときの個人的な記憶まで注ぎ足される。幸せな記憶、不愉快な記憶、強烈な記憶、今にも消えそうな記憶。

東京で生まれ育ったわたしには想像もつかないが、地方から東京に来た人、一度も東京に来たことのない人、それから東京から出て行った人の心の底には、どんな街の、どんな記憶が沈澱しているのだろう。

ドラマ『東京女子図鑑』は、秋田から上京した主人公の女の子、綾の22歳から40歳までの成り行きが、三軒茶屋から恵比寿、銀座、豊洲、そして代々木上原と、舞台を移しつつ展開していく。東京に憧れ、東京に来て、東京で戦い、東京に疲れて、旅は東京で終わる。

観終わったとき、わたしははじめ、自分の心にぽっかりと穴が開いたように感じた。だがすぐに、東京の中を駆け抜けた綾の姿が、わたしの心に溜まった「東京」のかけらを、わたしにもう一度くっきりと認識させたのだと思い直した。

東京は、薄明るい光をまとって、心のひだをなぞるように複雑な模様を描き続ける。泣きたくなるほどに魅力を放つ街、東京。

■第一話〜第四話:「軽い」青年の上昇と挫折

ドラマ『東京女子図鑑』の記憶も、それこそ2018年の東京のかけらの一つとして、わたしの中に沈みこんでいった。それから3年。

ドラマ好きを公言しておきながら、最新の情報には疎くて困る。ドラマ『東京男子図鑑』の存在を知った、というか、Amazonプライムで見つけたのは、つい数日前のことだった。わたしは3年前と同様、すぐに第一話の再生ボタンをクリックした。

『東京男子図鑑』の主人公、佐藤翔太は、前作同様舞台を次々と渡り歩いていく。前作の綾のように、街単位ではない(なお、各話のサブタイトルにはそれぞれ東京の街の名前が入っている)。まあ些細な問題なのだが、今作では、大学、総合商社、新興ベンチャー企業、そして工芸品のネットショップ。

第一話から第四話、すなわち大学編、商社編は、正直なところ、一見すると凡庸な若者の凡庸な恋愛・仕事模様だ。もしかすると、人によってはこのあたりで飽きて視聴を止めてしまうのかもしれない。ノリが軽ければ頭も軽そうな青年・翔太が、大学時代に女性にフラれて一念発起、今度は「エリート商社マン」の肩書を見せびらかすように遊び回るお話、と言っても、言い過ぎではないと思う。もちろん、靴が大学生のときのボロボロのスニーカーから、商社マンになると艶やかな革靴に変わるなど、ディテールは色々と興味深いのだが、「軽い奴」「軽い作品」と思ってしまう気持ちも分からなくもない。

そんな風に物語が進む中、第三話の最終盤、商社の入社同期・小島の感情の爆発から、翔太のお気楽人生に影が差し始める。

プロジェクトリーダーの座を翔太に先越され、コーヒー豆の営業もうまくいかず、合コンにも消極的な小島に対して、翔太は「大丈夫だって、お前が真面目にコツコツやってるのみんな知ってるから」と励ます。すると小島は、

「見下してんだよ、お前は! 俺を! っていうか、全員を! 自分以外を!」
「いい加減降りろよ、そこから」

と絶叫する。翔太が「今度女の子紹介してやるから機嫌直せ。な?」と言うと、小島は苦笑。翔太は、小島が機嫌を直したと思い、一緒に笑ってみせた。

小島はむろん、翔太が自分の言っていることを全く理解していないことに半ば呆れて笑ったのだが、翔太はそのことに気づかない。

ここで、王道の展開であれば、何やかやあって最後には翔太が「大切なこと」とやらに気づくのだろう。しかしこのドラマでは、翔太は最後までそれに全く気づかないのだ。翔太を演じる竹財輝之助さんの芝居が上手なおかげもあってか、翔太は44歳になっても、大学時代から一貫して「軽い」ままなのである。

で、その後翔太は、小島が出世コースのシンガポールに行くやら自分は出世のルートから外れたアフリカ駐在を打診されるやら散々な目に合う。ここで翔太は、これまで地元を小馬鹿にして東京に執着していた姿からはおよそ考えられないことだが、地元・浦安での高校の同窓会に出席するのだ。

■第五話:第三の道を目指して

すぐ上に「およそ考えられない」と書いたが、「エリート商社マンの凱旋帰国でござい」とばかりに、昔の同級生に自慢する、あるいは見返すことは考えられる。高校時代、決してクラスの中心にはいなかった(いわゆる「キョロ充」の類の)翔太が、そのような行動を取ることは考えられなくもない。

だが、目的が単に自身の肩書や年収を自慢するためだけであれば、もっと早いタイミング(例えば、就職直後など)で「凱旋帰国」しても良いだろう。実際、第五話冒頭で彼女から「同窓会とか行くタイプだったんだ、意外」と驚かれている。

翔太は、始めこそ居酒屋で「俺、普通の会社員だよ」などとうそぶきながら自分の名刺を渡したり、自身の年収を周囲に言いふらされても満更でない態度を取ったりと意気揚々だったが、当時からクラスの中心にいたキャプテンが遅れて参加すると、急に口数が少なくなって「って言うかお前ら、さっきから思い出話ばっかだな」と呟くのが精一杯。

それから翔太は、高校当時の彼女・佑佳子と同窓会から抜け出した。二人は、高校時代の渋谷デートのことを思い返す。お互いに会話が弾み、翔太の腹黒さや佑佳子の毒舌を初めて、どちらからともなく相手に告白できた渋谷という街は「人を強気にする何かがある」ことを思い出すが、佑佳子は半ば自嘲気味に「結局戻ってきたら何も言えないんだけどね」。そこに翔太の小学校からの友人・丸尾が合流。三人は、丸尾の言う「飲めるところ」に、翔太の「戻るの禁止!」の声を合図に暗闇に向かって歩き出した。

夜道、佑佳子が呟く。

「結局さ、根本的に違うんだろうね。同窓会を楽しめるような連中は、十代の頃からずっと明るいところにいて、私たちはいつまで経っても暗い道を歩き続けると」

丸尾も同意する。しかし、翔太は足取りを止め、二人に言い放つ。

「悪いんだけどさ、違うよ。俺は、お前らと違う。暗い道なんか歩いてるつもりないから」

「あっち側ってこと?」「いやいやいや、あんな奴らと一緒にするなよ」「じゃあ、翔太はどんな道を歩いてるの」そう問われると、翔太はしばしの沈黙のあと、

「決まってんじゃん。居酒屋への道だよ」

と言って歩き出した。佑佳子はそんな翔太を「あいつとは違う、こいつとは違う、って言う割に、じゃあ自分はってなると何もない」と突き放す。結局、三人が歩いた末に辿り着いたのは、丸尾が建てた小さなマイホームだった。

おそらく、翔太は自分でも意識できていないが、キャプテンたちの道(言うなれば、「マイルドヤンキー」的な明るい安定志向)も佑佳子たちの道(「オタク」的な暗い安定志向)も、明確に拒絶した。高校時代、渋谷に繰り出したとき、確かに東京に魅せられた。俺と佑佳子は元々「オタク」の道を歩んでいたが、渋谷が俺たちを変えた。佑佳子は結局元の「オタク」の道に戻ってしまったが、自分は違う。「マイルドヤンキー」「オタク」のどちらに転んでも、浦安からは抜け出せない。東京には行けない。それなら、自分は不安定な未来へと向かう「第三の道」(=「居酒屋への道」)を選ぶ

そうは言っても、人間誰しも不安定は怖い。東京に出た翔太とて、「エリート商社マン」という安定した足場を築き上げて己を守っていた。しかし、小島から「いい加減降りろよ、そこから」と言われたその足場がふと崩れかけたとき、翔太は急に不安になった。それで、浦安に戻って「商社マンなんてさすが」と言われたい。俺が捨てた二つの道が間違っていたこと、俺が選んだ第三の道が正しいことを再確認したい。そんなことを思った。

翔太は彼女に対して、今、同窓会に行く理由をこう答えた。

「見せつけに行くんだよ。東京で成長した俺を」

翔太は「オタク」の道なんかに戻りたくないと強く思って、それから今一度、「マイルドヤンキー」の道が自分と合わないことを確かめる。翔太は、丸尾のマイホームと今来た方角の「明かり」を一瞥して、吐き捨てた。

「歩いて歩いてあれくらいの一軒家か。俺には無理だわ、そんな道」

■第六話〜第十話:足場を築いて、失って、それから

東京に戻ってきた翔太は、2011年4月、高校の同級生・川井一馬が経営するベンチャー企業を訪れる。久々に再会した川井は、翔太にCOO(最高執行責任者)としての入社を勧める。渋る翔太に川井は、

「これは翔太にしかできない仕事だよ」

と口説く。

一方、商社の上司・林は、小島と自分とで何が違うのか問う翔太に、

「自分にしかできない仕事なんて、そんなものはない。誰がやっても同じ。それが仕事だよ。お前と小島に差があるとすれば、それを自覚しているかどうかだな」

と言い放つ。「ここにはないんですかね、僕にしかできない仕事」と続いて尋ねると、林は、

「ない。そうあるべきだと、今回のことで確信したよ」

「今回のこと」とは、東日本大震災のことである。

結局、林の会社・&EVER(アンドエバー)への転職を決めた翔太は、商社を去るときに小島と再会する。翔太が訊く。

「小島はさ、自分にしかできない仕事ってあると思う?」
「あると思わなきゃ頑張れないだろ」

小島は、不安定な東京、不安定なポスト3・11の中で、林とは別の結論に至ったのだろう。ともあれ、翔太の様子を訝しげに思った小島は、震災で考え方が変わったのかと尋ねた。翔太は、

「大地震が起きたら、価値観変わんないといけないか。軽い気持ちで生きちゃダメか」

それから「俺は、今まで通りだよ。重い生き方はお前に任せる」と言って、会社を去った。

&EVERのCOOとなった翔太にも様々なエピソードはある(第七話〜第九話)が、わたしが第五話の考察にエネルギーを使いすぎたこともあり、ここでは省略する。簡単に言えば、はじめは活躍していたが、社長の林と対立した挙句、「林のアイディアを実行するのは翔太でなくとも『誰だっていい』」と吐かれ、とうとう会社を辞めることとなる。

第九話では、&EVERの社員・瑠璃子との恋愛模様も描かれる。再度無職になった翔太はすっかり覇気を失い、東京タワーを見た瑠璃子が「行ってみる?」と尋ねるも、「え、今から?」と面倒そうに返答。瑠璃子は、

「前はすぐ動く人だったのに」

と言って先を歩いていった。

しかし、偶然にも元&EVERのエンジニアだった黒田と再会した翔太は、第九話の最後、陶芸家を志す黒田とともに、工芸品のネットショップを立ち上げることを決める。

「なぜか昔から、訳もなく惹かれてて。たまに思うんですよ。なんで俺は東京にいるんだろうかって」

最終話の第十話、翔太は隅田川でとある大学生の動画配信者に出会う。彼は、かつて自身の配信動画に翔太が残したコメントに、希望を持って上京した

「俺は軽い気持ちで東京を生きてるよ」

翔太は、青年に話しかけた。

「さっき君が喋ってるの見て思い出した。軽い気持ちで東京で生きるために、結構必死で努力してたんだよ、俺」

第五話、高校の同窓会のために浦安に戻ったとき、高校時代の翔太の彼女・佑佳子は、なぜタイプの全然違う翔太と丸尾がずっと仲が良いのかを尋ねた。丸尾は佑佳子に、翔太と丸尾がともに小学五年生だったとき、ある晩二人がそれぞれ自転車をこっそり練習しているときに、偶然鉢合わせしたエピソードを話した。それゆえに二人は昔からの仲だったのだろう。

結局、翔太が東京に「訳もなく」惹かれているというその中身には最後まで触れられない。翔太も、視聴者も、それを言葉にすることが難しいのだろう。もしかしたら、その必要すら感じていないのかもしれない。

例えば、わたしが初めて『東京女子図鑑』に「訳もなく」惹かれたことも、同じ話だと思う。そうだとすると、このnoteは野暮の極みなのだろうか。

このnoteのはじめに、わたしは「東京の中を駆け抜けた綾の姿が、わたしの心に溜まった「東京」のかけらを、わたしにもう一度くっきりと認識させた」と書いた。それは本作も同じだ。目くるめく東京の情景、移りゆく舞台。仕事や結婚、地元との対比などで淡く描かれる、人それぞれの価値観の違い。それから、作中何度も挿入される、各登場人物へのインタビューという形で示される多面的な翔太像。

ただし今度は、もう少しだけそのかけらが、不安定にゆらぎながらも、いや、不安定にゆらぐことによって、未来に向かってきらきらと輝いているようにも感じられた。美しいドラマだった。では例えば、ウィズ/ポスト・コロナ時代の東京はどうか?

物語の最後、黒田は翔太に問う。「僕は、ウェブエンジニアとしてここにいるんでしょうか。陶芸家としてここにいるんでしょうか」「それは自分で決めようよ」「そうですね」「でも、どっちにしろ負けないから。勝ち負けじゃないけどね。でも、負けないから

「僕が次に何をするのかは内緒です。あなたの人生ではないですから。僕の人生なので。一つ言えるのは、まだしばらくここにいようと思っています。東京に。あなたはどうですか? なぜ東京を目指すんですか? なぜ来ないんですか? どうして東京にしがみついてるんですか? なんで出ていったんですか? 僕は、今でもやっぱり、訳もなく惹かれてます。でも思うんですよね。訳なんてそこら中に転がってるって。だからとりあえず、軽い気持ちで、東京に」

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