見出し画像

私の見た。それぞれのあの戦争!(第二次世界大戦)〜空に憧れ、散る事に憧れた少年〜

つい先日、北九州市に伺った際の出来事であります。

体当たり勇士のお話(北九州市立平和のまちミュージアム)

私は、北九州市八幡西区を拠点にあの戦争を伝える活動を行う、平和村という団体の活動に参加をさせていただきました。

その際に、出会ったある語り部の男性のお話を伺い衝撃を受けたのを覚えています。

その男性は、終戦の前年である1944年に予科練に志願をし男性の思い出あった飛び勇しく逝く事は敵わず、15際で終戦を迎えるのであった。

特攻隊の写真

男性は、1944年に予科練に志願をするのではあったのだが、当時の戦況理由などもあり2ヶ月程入隊が遅れるのだった。その2ヶ月が彼が生きるか死ぬかの分かれ目となったのも事実として、ここに書き残させて頂きます。
空に憧れ勇ましく逝くことに憧れて少年が、予科練入隊を志待ちしおりました一九九四年八月二十日に、現在の北九州市八幡西区の前田にて何時も通りに過ごしていたら、空から爆撃機のプロペラ音が聞こえたといいます。
その日は八幡の大空襲で唯一爆弾が落とされた日としても有名です。
彼は前田から空を見上げると6機の編隊を組んだ爆撃機が八幡上空を飛ぶのをはっきりと観たと語ってくれた。
少年は夢中になって空を見ていると山口県小月基地所属の屠龍という複座式戦闘機が上空を飛ぶボーイング社の爆撃機の下から突っ込んでいく場面を目撃し屠龍もしくは爆撃機の破片が近くをとぶもう一機の爆撃機にもあたり、屠龍と2機の爆撃機が墜落するのを観て感化をされて、私も早く空を飛び勇ましく桜の如く散って満開の花を咲かせるんだ意気込んだと当時を振り返って私に語って頂きました。

散る零式艦上戦闘機

戦後77年が経過をする今年。
あの戦争を考えることが多くなった昨今、私たち若い世代があの戦争を知り先人達の話しを伺い、次の世代に語り継ぐ事をしなければならないと想う。

私には考えられませんが、当時少年だった彼は空に憧れ勇ましく逝くことに誇りを持ったと語って頂き、私は違う意味で逝くことを選んで行く昨今の若者に対して、全力で生きろと伝えていきたいと思う。


戦後77年の終戦記念日を前に、日本の平和を守ってきた一国の元総理大臣が武力によりこの世を去った。
その元総理大臣の名は #安倍晋三  享年67歳だった。

彼にありがとうと伝えたいと思います。

        安倍晋三氏に敬礼‼️

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?