算数、理科好き少年の頃考えていたこと。うるう年は4年に一回ではない?ダイヤモンドリングが不思議。


たしか小学生の頃。西暦が4の倍数の年がうるう年で、4年に一回やってくるけど、西暦が100の倍数の年は4の倍数なのにうるう年じゃなくなる。さらに100の倍数の年でも400の倍数の年は今度はうるう年になるという。そして一年は365.2422…日だとのこと。一日が地球が自転する時間で、一年が地球が公転する時間。一年が一日のぴったり365倍ならうるう年は必要ない。もし365.25日ぴったりなら4年に一度のうるう年だけで済む。
思うに自転と公転の時間の比は「きれいな」数字ではないのではないかと低学年の頃直感していたのだ。それなら100年に一度は例外、さらに400年に一度はそのさらに例外というように無限に補正しつづけるのではないかと思った。もし補正が例えば400年に一度の補正で終了するなら400年を周期として一日と一年の比をとることができることになる。つまり400年がぴったり365×400+97日ということになる。現実の自転の時間と公転の時間がそんなにきれいな関係なのかなあと漠然と思っていたので、補正は終わらないと考えたのだ。
そして後にこれは有理数と無理数のことを考えていたことに気づくことになる。
補正が有限で終わるならば自転公転の比が有理数ということ。子供の頃漠然と考えていたのは、自転と公転の時間比は「きれい」ではない数字、それは無理数なんじゃないかと考えていたことになるのだろう。周期性と有理数は密接に関係ありそうだ。
さらに、なぜ何となくきれいな数字なわけはないと直感したのか。大学の数学に有理数の稠密性という概念があり、有理数も無理数も当然無限に存在するのだが、それでも無理数の方が「密」である、つまり混みあって存在しているらしいのだ。そんな事実とも関係しているのかもしれない。


似た話では天文のダイヤモンドリングという現象についても不思議に思っていた。地球、月、太陽が一直線に並んで、太陽がほぼすっぽり月の影に隠れることで、太陽の光が月の縁からわずかに漏れることで美しいダイヤモンドリングを形成する現象だ。あの状況になるには地球から月の距離と地球から太陽の距離の比が、月の大きさと太陽の大きさの比と同じになっているということではないか?これら二つの比が同じになる必然性ってあるの?なければ奇跡的じゃないのか?そんなことを思っていた。調べてみると実際は少し比の値は異なるようで、値いが近いのは偶然のようだ。
美しさへの感動の前に、比の値を気にしていた変人小学生だったのでした…

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