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回転寿司で覚えた残酷さとトラウマ


noteのネタに困ったので“ネタ”繋がりで
私の寿司小話を

子供というのは、残酷な生き物である。
 皆さんの子供の頃にも、周囲に誰か1人はいたとは思うが、虫だとか小動物を面白半分に痛ぶっていた人。幸いなのかは分からないが、私は子供の頃は動物愛護と自然保護に熱心だったので、そういった子供特有の“サイコ”は芽生えずに育った。


 子供の頃私の家は裕福だった。正確に言うと裕福だったのかは今となっては知る由も無いが、本当に何不自由ない生活だったというのは子供の私にすら目に見えて分かった。母親は専業主婦だった。地方都市の賃貸住まいではあったものの、その賃貸も当時住んでいた基準からしたら明らかに一等の立地で高額だっただろうし、私の欲しい物は大体買って貰えた。

 そんな私の子供の頃の話だが、近所に回転寿司店があった。“裕福”だったであろう私と家族は1ヶ月に2、3回は食べに行っていたと思う。

 ビントロマグロを食べない子供だった。

 ビントロマグロが嫌いな訳では無かったと思う。私は“裕福”な家庭で育ったつもりの人間だが、食への執着はあったのか好き嫌いなく本当に何でも食べる人間だった。少し話が脱線するが、子供の頃に母親と餃子を手作りした時に空腹になった私は、餃子の皮に包む予定だった生の挽肉をそのままモリモリと食べた事がある。その後は母親にこっ酷く叱られて、トイレに連れて行かれて背中をバンバンと布団のように叩かれた思い出がある。
 そんな私なので寿司ネタのビントロマグロを食わず嫌いする筈が無かった。幼い私がビントロマグロを食べなかった理由はクロマグロとの価格差である。

1皿のマグロが120円でビントロマグロが100円の時代だった。

 子供心にこの価格差が食べない理由だったと思う。同じ“マグロ“という名前があるのにビンチョウマグロの方が安い。幼い私はこれだけで“ビントロは貧乏人が食べる物だ”と無意識にレッテルを貼っていたのである。裕福な育ちのつもりでいた私はプライドが知らず知らずに立派になり自然と安い食べ物を口にしなくなっていたのだ。
 事実私がビンチョウマグロを初めて口にしたのは20代になってからである。

 自然保護と動物愛護という心優しいフレーズが当時の私のモットーだったが、このエピソードを思い出すと幼い頃は他人に対しても世帯収入の高そうな家庭の友人ばかり作ったりと妙に選民思想が強かったような気がする。

 余談ではあるが、現在の私は親元から離れ賃貸住まいとなり、地方の中小企業で勤め上げて名前の通り“下流貴族”となったので回転寿司には1ヶ月どころか3ヶ月に1回程度しか行けないし、ビンチョウマグロは今となっては大好きなネタの1つである。今の私はクロマグロより安いビンチョウマグロを好んで食べている。


 そういえば先日、同居しているパートナーと私の誕生日祝いに回転寿司に食べに行った時に思わぬ指摘をされた。
『100円のお皿しか注文しないよね。もっと高いの食べても良いんだよ?
私は自分の食べた皿を見る。確かに100円の安いネタしか食べていなかった。誕生日祝いという事で、同居人の奢りでの回転寿司だったので、気を遣って安いのしか食べていないという訳ではなく、無意識の内にそういう行動をしていた。私の寿司話ネタのもう一つがこの“回転寿司の安い皿しか取らない理由”である。

母親に酷く叱られた小学生時代の回転寿司のトラウマ話

 あれは小学校の低学年の頃だったと思う。先述した“裕福”な育ち方をしていた私だったが、小学校入って間も無く父親の仕事の都合で、母親の実家に引っ越す事となった。母親の実家は田舎で大農家ではあったものの、収支事情は自転車操業状態で決して裕福とは言えなかった。母親も専業主婦からパートとなり、私は地方都市の“裕福”なつもりで生きていた幼少期から、一気に電車もバスも通っていないど田舎の鍵っ子となったのだった。
 そんな小学生の低学年のある日のことだった。妹と母親の車で1時間30分ほど出掛けた先にあるイオンモールへ一緒に出かける事となった。田舎暮らしというのはイオンモールが中心にあるといっても過言では無いほど、切っても切れない関係である。

 昼食か夕飯だったかは定かではない。回転寿司で食事をする事となった。父親は仕事で家にはあまり居なかったので、回転寿司へ行く機会も幼少期と比べたら明らかに減っていた。
 久々の回転寿司でテンションが上がった私は、意気揚々と回転レーン側の席に座った。いざ寿司を食べようとしたところで、母親がある事に気がついた。自分の財布の中身が少なかったのである。
『100円以上の寿司は食べないでよ。』
母親は妹と私キツく言った。パート勤めになった母親は専業主婦だった頃より言葉に感情が出やすくなっていた。この声色は、母の財布事情が幼い私たちにも分かるほどだった。

 令和の今とは違って、当時は100円の皿がたくさんあった時代である。サーモンだとかビントロマグロだとか確かイクラも安い皿に分類されていた気がする。そういう時代だった。したがって、子供のお腹を満たすには安い皿でも十分なラインナップだった。ただ、当時の私は育ち盛りで好き嫌いも全くないという事もあり、目に入ったお皿で食べられる物は片っ端から食べていた。その中に“アジ”があった。
 普通のアジなら100円皿だったであろう筈だったのだが、私の手に取ったアジは“高級”なアジだった。確か1皿200円少しした記憶がある。

 私は母親に大声で叱責された。回転寿司なので個室でも無くて、周囲の席に他のお客さんも居た。しかし、母親はそんな事は気にもせず、勘違いで200円皿を取った私を酷く大声で怒鳴った。明らかに店全体の雰囲気も悪くなり、私の勘違いで他のお客様の食事を害してしまったと思うと涙が止まらなかった。

 その“高級”なアジを食べた記憶はある。が、確かその後は何も食べなかったと思う。          

 それがトラウマとなり、あれから20年過ぎた今でも、そして他人の奢りで食べる寿司だろうが自分の稼いだお金で食べる寿司だろうが、1番安いネタ以外は食べなくなった。食べても喉の通りが良くないのである。いくら他人が美味しいから食べなよと勧めても100円以上の寿司ネタは心から美味しく感じられないようになってしまった。


 子どもの頃の記憶というのは、20年以上過ぎた今でも後を引き摺っている。恐らく寿司だけではなく、普段の生活の些細な所作や思考回路でも気づかないところで影響しているのだろう。

 私がもし、いつか親になる時が来たら、いっぱい勉強して立派な大学へ行って大企業に勤めなさいとは言わないと思うが、せめて100円以上のネタを何の負い目もなく食べられるように育てたいなと思う。

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