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人の車の車窓から故郷を想う

 元々、私は車の運転が好きだ。
 車の運転が好きというか、元々車そのものが好きだしそれが身を結び今の仕事は広義的な意味合いで言えば“自動車関連企業”にカテゴライズされる。従って、仕事でもプライベートでも車の移動となれば私が喜んでハンドルを握っていた。

 先日、仕事で2時間ほど車移動をする用件があり私がドライバーを名乗り出る前に、既に後輩が運転席と助手席に座っていた。一瞬の悲しさはあったものの、たまには楽をして後部座席に座るのも悪くない。そう思い、大人しく後部座席に座った。

 何百回運転席にと乗ったであろう社用車も、運転している時はシャキッと路面に吸い付くように走っているように見えて、意外と後部座席に座ると路面の凹凸がダイレクトに伝わるというか、とにかくヒョコヒョコと跳ねているようで落ち着かない。決して後輩の運転が下手とかそういう訳ではなく、元々こういう乗り心地なのだろう。運転中は気にならない風切り音や、タイヤの音も後部座席に座ると耳障りなものである。
 同じ車でも運転席にいる時と後部座席にいる時とでは色々と違いを気付かされるなと感じた。

 仕事での車移動は最初こそ当たり障りのない話題である程度の会話はあるものの1時間経てば、車内は無言の空間となる。そうなれば窓の外を眺める他にない。2時間の車移動のそのほとんどは高速道路であった。私の生活テリトリーは北東北なので、高速道路と言えども車窓から見える景色の殆どは山林である。5月の快晴の日なので新緑が眩しいほどだった。 
 高速道路を移動する車の窓から新緑を装った木々を漠然と眺めていると山や森との合間に家々が点々とあるのがたまに見える。大概が田畑に囲まれた一軒家で、純和風な日本家屋がその殆どを占めているが、稀に近代的な住宅もある。


 こういった土地で暮らしている方々はどうやって生活をしているのか以前から気になっていた。
 こういった家屋が見える時は、トタン葺きの作業小屋風の建物やビニールハウスとセットになっていたりするが、生活用品を販売するような店舗らしい施設を見た記憶がない。俗世と切り離された感じがしてどういう生活をしているか全く読めないのだ。

 折角今回は後部座席に座る側の人間だ。思い切って調べようと思う。この集落の生活を少し垣間見ようではないか。謎解きに挑む時のような気持ちで私は手持ちのスマートフォンで地図アプリを立ち上げる。確かに、先ほど車窓から見えた一瞬の景色と同じで高速道路脇には家が2軒しかない。そしてそれは店舗ではなく一般家屋のようだった。
 地図アプリを今度は逆側に向けてみる。

 事実は意外と呆気なく見つかるものだった。
 私が見ていた対向車線側の集落とは逆側、つまり左側の車窓からの景色は今走っている高速道路を工事する過程で、山を削った際に出来る法面しか見えないのだが、その小山の向こうには恐らく車で10分かかるかかからないか程度でコンビニエンスストアやドラッグストアのある太い幹線道路があった。さらにそこから10km程で大型商業施設もある。

 私が勝手に不便な生活を想像していた集落の実態は、そう大きくない山一つ隔てただけで生活に不自由の少ない立派な地方都市の一部であった。いやいや、そこに住む人が歩くのも儘ならない高齢者とかだとしたら不自由がないと言うと語弊が生じるが、それを言い出すとキリが無くなるのでこの話では触れないとする。

 普段ハンドルを握る側の人間の時は、もしかしたら週に2回程度はトラックで移動販売が来ていたりするのだろうか?それとも見える家は一般家屋に見えるが昔の駄菓子屋風に最低限の生活用品が売っている個人商店だったりするのだろうか?大穴で考えるなら、もうすでに誰も住んでいなかったり、何かの隔離施設だったり、それとも“こんな山奥でも生活出来るんですよ”とその地方自治体の移住支援アピールの一環なのかも知れない。そんな勝手な推測で1人だけで盛り上がっていた。

 事実とは現実的なものであった。見ず知らずの集落の充実した生活感に安心した気持ちもあれば、今まで散々広げいていた空想の暮らしとの差に少し拍子抜けしたのも正直なところである。

 私はハッとここで故郷を思い出した。
 私の故郷ほどの田舎もそうそう無いだろう。高速道路脇から見える訳もなく、田舎道の辺鄙な所を入っていき、鬱蒼とした木々の間を進むと何軒か家が立ち並ぶ集落がある、そんなイメージだ。以前に、友人を私の実家のある集落に案内した時は“本当にこの先に人の住む場所があるんですか?”と恐怖交じりに疑われた程の田舎である。バスも電車も来ない、令和の今でも木製の電柱が残っていて、真っ当な携帯電話の電波が入ったのが今から8年ほど前の山奥である。   
 ただ生活に何か苦をしたかと言うとあまり思い浮かばない。学生時代は割とインドア思考で休日は駅まで自転車を漕いで友人と遊ぶ、なんて性格でも無かったので余計に不便さを感じていないのかも知れない。家にいてインターネットさえ繋がっていれば良かった。故郷での生活の中で不便だった出来事で、なんとか思い出せるのは高校生時代の恋人とのメールくらいだろうか。高校生だと家に帰ってからもメールがしたいのが青春というもので、近所にある、ようやく電波の入る小高い丘に夜中まで居てメールのやり取りをしていたというエピソードがある。ごく稀に近所の人も電波を探してその丘に来ていたりしたものだった。
 ちなみに、この元恋人と私の壮絶な失恋とそれからの立ち直りの物語は前回書いた記事を読んで欲しい。
 とはいえ、スーパーは車で20分程度の場所にあるし、その辺りにはそれなりの商店もあるので、最新で最先端の生活を追求しようとしな限りは生活に支障はないのである。ここまでの田舎にもなると高齢者に“免許返納”なんて選択肢が与えられる訳もなく、90歳を過ぎても当たり前に生活のために運転をしている。不思議な事に私が聞く限りはこの地域でアクセルとブレーキの踏み間違いだとかそういった類の事故があったとは聞いたことが無い。

 生活の不便、便利というのはあるのだろうか?私の故郷のような山奥でも文化的な生活は当たり前に送れるし、そこで育った私が社会人になり、僅かながらも東京で過ごした時はモノと情報に溢れすぎてその取捨選択に疲弊した。恐らくその都会から来た人が私の故郷で過ごしたら大変だとは思う。“住めば都”という言葉があるが、その土地やそこで育った人たちの生活の“型”というのがあると私は思う。

 とんでもない山奥で育った私が、高速道路で一瞬見える集落の生活を案じるというのは全く余計なお世話であるなと、考えさせられた仕事での移動中の一コマであった。

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