【ショートショート】隣人は密かに妬む

「え?食中毒?」
 頭が真っ白になった。姉の家族が食事中に急に腹痛を訴え、救急車で運ばれたとの知らせだった。
 うちも夕飯の最中だったが、旦那と娘に事情を説明して車に飛び乗った。
 病室に行くと、ちょうど母が出てきたところだった。私の姿を認めると、「あら」と目を丸める。
「ヤスヨ。わざわざ来てくれたの?」
「だって、私のためにこんなことになっちゃったんだもん。ごめんなさい」
 深々と頭を下げる私に母は顔を上げるよう促した。
「気にすることないわ。誰でも間違えることはあるんだし。幸いみんなたいしたことなかったから」
「そうなの?」
「ええ。念のため一晩泊まるだけで、明日には帰れるだろうって」
「よかった……」
 胸の中で神様に感謝しつつ、ふと疑問が浮かんだ。
「でも、お母さんは?大丈夫だったの?」
「私?そうなのよ。これが不幸中の幸いってことかしらね。明日人と会う約束があるから口が臭くなるのは困るって言ったら、トモコがニラ抜きの餃子を作ってくれたのよ」
 数日前、姉から近々餃子を作るつもりだという話を聞いた。それならご近所さんからニラを貰ったばかりだからあげるわよと、全部譲ってあげた。彼女はそれを使って餃子を作ったのだが、それはニラではなくスイセンだった。スイセン入りの餃子を食べた結果、姉とその夫、そして二人の子供は食中毒に。でも母だけはそれを口にしなかった。だからいち早く家族の異変に気付き、救急車を手配し、その結果大事に至らなかったようだ。
「ところであなたは?トモコが心配してたのよ。あのニラはヤスヨから貰ったから、あのコも食べてないかしらって」
 全部姉にあげてしまったとは言い出せず、
「大丈夫。明日にでも食べようかと思ってたけど、捨てちゃうわ」
「うんうん。そうしなさい」
「じゃあ、ちょっとお姉ちゃんの顔見てくるわ」
 すると母は申し訳なさそうな表情で私を止めた。
「残念。つい今しがた寝ちゃったのよ。散々吐いて疲れたみたい。それで、今のうちに着替えを取りに行こうと思っていたところなの」
「そうなんだ。だったらまた出直そうか」
「うん。明日だったら、もう家に帰ってると思うから」
「わかった」
「ところでヤスヨ。病院まではどうやって?」
「車、だけど」
「ちょうどよかった。だったら家まで乗せてってくれない?ほら、来るとき救急車で一緒にきちゃったから」
「もちろんいいわよ」
 母と並んで廊下を歩き始める。しばらく進むと、「そう言えば……」と何かを思い出したようだ。
「あんた、神田マキコさんって女性、知ってる?」
「うん。ご近所さんよ。あ、そうそう。例のニラをくれたのも彼女なの」
「ニラじゃなくスイセンでしょ」
「そうだった。それなら神田さんにも知らせたほうがいいよね。彼女も間違えたわけだし」
 それを聞いた母は怪訝な表情を浮かべ、
「間違えたのかしら」
 その意味がわからず「は?」と問い返してからふと気づいた。どうして母の口から神田さんの名前が出たのか。
「ねえ。どうしてお母さんが神田さんのこと知ってるの?」
「その人と同じパート先にお母さんの友達もいるのよ」
「そうなの?」
「おすそ分けをくれるってことは、その人とは仲がいいの?」
「どうなんだろ。近所だし、娘が同い年ってこともあって、よく顔はあわせるけど……」
 言いながら母の表情が険しくなるのがわかった。
「え?どうしたの?」
「やっぱりそうなのね」
「やっぱりって?」
「私の友達がたまたま耳にしたんだって。その神田って人が、自分の子供の同級生の悪口を言っていたって。名前が私の孫と同じだったから私に教えてくれたの。そのときは偶然同じ名前の子のことだろうって思ってたんだけど」
「ん?なに?神田さんが、私の娘の悪口を言っていたってこと?」
「そうよ」
「どうして?」
「知らないわよ」
「あの人、私と会うときはいつもニコニコしていたんだけど」
「人間が一番怖いのよ。顔は笑っていても、腹の中じゃ何考えているのかわかったもんじゃないんだから」
 そんなものだろうかと神田さんの顔を思い浮かべるうちに、二ラをくれたときのことが甦った。
 あの時、神田さんは実家が農家だと言っていた。そこからニラが送られてきたけど、食べきれないからと私にくれたのだ。
 あのニラは、本当に実家から送られてきたものだろうか?
 そう考えて、先ほど母が口にした言葉の意味がようやくわかった気がした。
『間違えたのかしら』
 あの家の庭には、きっとスイセンが植えられていたに違いない。

 

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