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オンラインゲームと野球部監督で培った“自己流”マネジメント術

「DOVA’s Story」では、ドヴァの社員やパートナー、ユーザーなどの中から一押しの人物をピックアップ。彼ら、彼女らの仕事観や生きざまなどを紹介します。前回に続き、ドヴァの若きリーダー、Nさんのストーリーをお届けします。

お前の人生買うよ

「お前、落ちたらうちに来いよ。俺が人生買うから」

沖縄県名護市辺野古にある沖縄工業高等専門学校(沖縄高専)。ここに通っていたNさんは、ある大学への編入試験を受ける準備中だった。これまでITの勉強をしてきたが、スポーツ関連の道への転身を図っていたのである。受験に向けて奮起する中で、こんな声を掛けられた。

相手はドヴァの土橋整社長。同社のエンジニアとして働かないかという誘いだった。

数カ月後、Nさんは試験に落ちた。しかし、それでも土橋社長の誘いを断り、2012年4月に高専の専攻科へと進んだ。

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「その時はまだ諦めきれなかったんですよね。スポーツブランドメーカーに入ってシューズを作りたいと思っていました。だからスパッとお断りしたんです」とNさんは苦笑する。

ただ、専攻科の2年間の中で視野が広がった。スポーツ関係の仕事には憧れを持ちつつも、土橋社長や高専の先生などといろいろな話をする中で、ITエンジニアになる決意を固める。ドヴァの基幹事業であるネットワーク分野にも興味があった。採用試験を受けて、2014年4月、ドヴァに入社した。

オンラインゲームでの活躍を認められて……

土橋社長との出会いは強烈だ。

幼少のころから“ゲーマー”だったNさんは、高専時代はオンラインゲームに熱中していた。特にサービス開始当初からやり込んでいたスポーツゲームでは、いつしかその世界では知られた存在になっていた。

「ゲームについてのブログを書いたり、チャットでメンバーを募っていました。そのメンバーとして参加していたのが、実は土橋社長でした。とある大会で優勝した際には、『ゲームのパラメーター解析をするところだけじゃなくて、そもそものマネジメント力やリーダー的な資質があるよね』と評価してくれました。今思うと、オンライン越しでも人のことをよく見てるなって思います。その人が分かっていない特性までよく気が付きます(笑)」

それからしばらくしたある日、土橋社長から突然連絡が来る。沖縄にいるから会おうよと。

「怖いなと思いました。アカウント名も……だし。変な人だなと(笑)」

とはいえ、興味本位で、那覇市内に出向いて、ご飯を食べながらいろいろな話をした。そこで地元の新聞記事も見せられた。沖縄に設立するオキットという新会社の代表取締役に土橋整と書いてあった。「代表ってなんだろう?」とNさんはよく分からずも、付き合いが始まった。

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沖縄高専はオキットのユーザー企業でもあったので、その後も土橋社長はよく学校に来ては、Nさんと他愛のない話などをしていた。冒頭の言葉は、そんな折に掛けられたものだった。

先に触れたように、最初は断ったものの、2年越しでラブコールを受け入れたNさんは、生まれ育った沖縄を離れ、横浜での新生活をスタートさせることとなった。

何でもやってやろう

当時のドヴァでは、新卒採用はほぼ行っておらず、新人の育成制度などもなかった。Nさんは自ら主体的に動いて、とにかく吸収するしか方法がなかった。

「自分には何もないし、最初はとにかく経験だと、雑用でも何でも全部やりますと積極的に手を挙げました

仕事も体当たりで覚えていった。ドヴァのエンジニアは技術レベルの高い人たちがそろっていたが、当時は、各々が一匹狼として仕事をしている状況だった。Nさんは臆せずに、そこに割って入り、先輩エンジニアとコミュニケーションをとっていった。

「みんな親切に教えてくれました。むしろ、一聞いたら十以上も教えてくれるほど。終業時間前に聞いたら最後で、いつの間にか夜遅くなっていることが何度もありました(笑)。でも、それが今の私の技術力の土台になっています。本当にありがたかったです」

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自分よりもメンバーを優先

先輩たちに揉まれながら育ったNさんも、今では開発部のリーダーの立場だ。ただ、マネジメントにはそこそこの自信がある。このスキルはもっぱら学生時代のオンラインゲームと野球部で培われた。

オンラインゲームに関しては、上述したようにチームを作って、さまざまなメンバーを率いていた。「主婦や学生もいれば、おじさんもいました。皆、我が強かったのですが、それをまとめるのは面白かった」とNさんは振り返る。

野球部での経験とは、20歳で高専野球部の監督になったことである。沖縄では当時の最年少監督として話題にもなった。監督として学んだのは、1対1のコミュニケーションの重要性だ。ただし、やみくもに対話をすればいいというわけではない。

「メンバー一人一人の表情などをつぶさに観察することが大切です。そして、ちょっとした変化が見られたらすぐにコミュニケーションをとるようにしました」

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(出典:「沖縄タイムス」2013年6月30日付)

それらの経験が、開発部のマネジメントでも大いに生きてきている。例えば、メンバーが担当する案件に疲れている様子が見えたら、「ちょっと違うプロジェクトをやってみない?」などとすぐさまフォローする。

ただ、メンバーとの思考ロジックが似ているため、マネジメントしやすいとNさんは感じている。それにはわけがある。実は、開発部のメンバーはリファラル採用が多く、基本はNさんの時のように、土橋社長が連れてくる。また、Nさんも沖縄高専の後輩を誘ってきた。

「土橋社長とマインドが合う人が入ってきます。それだと話が早いし、仕事も進めやすいです。社長も変わった人間が好きなので、『もっとぶっ飛んでる人が来ないかな』とよく言われていますが(笑)」

若きリーダーであるNさんに対しては、後進育成への期待も大きい。自身も、人を育てることに重きを置きたいという。

「俺が、俺がではなく、常にお手本になるような行動、リスペクトされるようなことを背中で見せていきたいと思っています。ガツンと言うのも大事ですが、私は、基本的には何も言わず、各々が考えて行動できるようになってほしい」

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Nさんにとっての理想のリーダー像は、チームを陰で支える存在だという。自分が誉められるのではなく、メンバーがすごい、チームがすごいと言われるのが何よりも嬉しい

常に責任がある状態でいたい

メンバーのため、チームのために、縁の下の力持ちでありたいと願うNさん。それは顧客のためでもある。開発チームのパフォーマンスが向上すれば、サービスなどを通じて、より大きな価値を顧客に提供できるようになるからだ。自社開発サービスを手掛けるようになってから、その思いは以前にも増して強まっている。

「自分たちが持っている技術でお客さんの力になれれば嬉しいです。例えば、人件費を削減できたとか、業務全体の質が高まったとか。些細なことでも、お客さんから『ありがとう』『このサービスを導入して良かった』と言われるのがやりがいです」

顧客の役に立つことは、自分たちの成長にもつながる。同時に、顧客に対して責任を持つことも成長につながる。「常に責任がある状態でいたい。責任がある方が頑張れる」とNさんは断言する。

そのためには、常に新しいチャレンジできる環境が不可欠。幸運なことに、それは会社が提供してくれている。

「私は飽き性なので、クリアしたら、次のステージ、また次のステージといきたいんです。もし、ほかの会社にいて、ずっと同じプロジェクトに関わるような仕事しかなかったら、今ごろ転職を繰り返していたかもしれませんね」

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沖縄から横浜に出てきて7年が過ぎた。今ではこちらに数多くの友人ができ、居心地の良いコミュニティーもある。仕事仲間の紹介で知り合った女性と結婚もした。「横浜はとても住みやすいです。今では沖縄に帰りたいとはあまり思わないですね」。屈託のない笑顔でNさんはそう語った。


1990年、沖縄県生まれ。幼少のころから空手、柔道、陸上、サッカー、バレー、野球などのスポーツを経験。かたや無類のゲーム好きでもあった。沖縄工業高等専門学校を卒業後、2014年にドヴァ入社。エンジニアとしてネットワークやサーバの開発、運用管理などに携わる。18年から自社開発サービス「アシロボ®」の開発リーダーに。週末はフットサルや映画鑑賞などをして過ごす。

(取材・文:株式会社ドヴァ オウンドメディア編集チーム)

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