見出し画像

「プロ意識を持て!」 若き開発リーダーの目を覚まさせたある事件

「DOVA’s Story」では、ドヴァの社員やパートナー、ユーザーなどの中から一押しの人物をピックアップ。彼ら、彼女らの仕事観や生きざまなどを紹介します。今回は、ドヴァの若きリーダー、Nさん。2回に分けてNさんの物語をお届けします。

会社の歴史を変えた瞬間

2019年2月14日——。創業してから二十数年のドヴァにおいて、初の自社開発サービスがローンチされた。そのときの興奮を、同社のICT Software Services Division(開発部)でサブリーダーを務めるNさんは鮮明に覚えている。

「嬉しかったですね。これまではずっと受託だったため、かゆいところに手が届かないというか、自分たちでシステムのすべてを開発できないもどかしさがありました。自社開発だと、“ブラックボックス”ではなく、自分たち次第でいかようにもできるし、開発したサービスを直にユーザーが使ってくれるようになります。喜びはひとしおでした」

これは開発部の他のメンバーも同じ気持ちで、以前にも増して自主的に動くようになった。とにかく作り込みたいという新機能のアイデアが山ほど出てきて、実際に開発するかどうかはさておき、それらすべてを数えると数百件に上る。

「当社のエンジニアは皆、凝り出すとキリがありません。もう少しお客さんの要望が強くなったら開発しようとか、なだめるのに精一杯です。それでも『勝手に作っちゃいました』というエンジニアもいるんですけどね(笑)」

画像4

ドヴァの自社開発サービスとは、RPAソリューション「アシロボ®」のこと。アシロボはIT専任担当者がいない中小企業でも容易に導入できるように、操作性や使い勝手を考慮して設計されたRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)。リリース以降、多種多様な業種の企業で採用されている。Nさんは、そうしたユーザーからのフィードバックが来るのが楽しみで仕方ないと笑う。

同社の歴史に残るような新サービスのローンチを、当時20代の開発責任者としてやり遂げたNさんだが、今は決して浮かれてはいない。苦い経験があるからだ。

現場の人が本当に使えるものを作りたい!

その話に入る前に、アシロボが生まれた経緯を説明しておきたい。

エクセルへの入力業務といったルーチンワークをロボットで自動化するため、数年前からRPAがブームになっている。さまざまなツールが市場に投入される中で課題も浮き彫りになってきた。

特に多かったのは「使いづらい」という声。ユーザーのこうした反応を見聞きしていたドヴァの土橋整社長は、業務現場の担当者でも簡単に使えるシンプルなRPAツールを開発しようと考え、号令をかけた。

当時のRPAは具体的にどう使いづらかったのだろうか。

「開発者やプログラマー目線で、かつ海外製品のローカライズが多かったため、使われている言葉が難解でしたし、RPAを設定するには業務フローチャートを描かねばなりませんでした。業務担当者の手には負えず、結局、情報システム部門の負担が増えるばかりでした」とNさんは説明する。

アシロボがターゲットとしたのは現場の人たち、つまり、総務や事務などのバックオフィスで本当に使えるツールだった。

「そこで、使用する言葉もこういうのだったら大丈夫かなと細かく確認したり、見た目のUI(ユーザーインタフェース)もフローチャートではなくブロック形式にしたりするなど、とにかくわかりやすさにこだわりました」とNさんは振り返る。

画像4

それだけにとどまらない。RPAサービスの後発組であるのを逆手に取って、既存製品に対する課題点などをすべて解消しようとした。β版を数十社にテスト導入し、現場担当者の意見をどんどん収集した。

例えば、テクニカルサポート機能を充実させて、アシロボ上からすぐに改善要望などをメールで飛ばせるようにしたり、セミナーやワークショップなどを頻繁に開催して直接ユーザーの声を拾ったりしていった。

「なるべくお客さんの声を集めようとしました。独自で作っていくよりは、ユーザーの視点を大事にしました」

β版では機能を毎月アップデートしていたが、そのペースはリリース後も変わらなかった。

「毎日コンスタントにフィードバックがあります。もちろんすべてを改善するのは困難ですから、販売元とも議論して、吟味して、取捨選択しています。企業向けITサービスの中では、アップデートしているほうではないかなと思います。バグ報告などあったら、すぐに修正して出しますね。基本的には早く、かつ、正確に」とNさんは力を込める。

目が覚める事件

アシロボのユーザーは次々と増えていき、Nさんの仕事も順風満帆に見えていた。ところが、サービスローンチからしばらくしたある日、事件は起きる。サービスに不具合が発生したのだ。

即座に土橋社長に呼び出され、開口一番、「プロ意識が足りないよな」と言われた。

Nさんは前々から物事を俯瞰(ふかん)して、常に考え続けろと言われていた。リリースから少し経ち、余裕が生まれてきたところに落とし穴があった。「考えることをやめてるよ」。土橋社長の言葉は自分の慢心を見透かされたようだった。

「本来はダブルチェック体制にするとか、自分が開発するのではなく、チームメンバーに任せて、全体を管理する側に立てばよかったのですが、責任を取る人間が開発者としてやらかしてしまった。リスクマネジメントが足りていませんでした」

不具合のその後の処理も、今思うと、もっと落ち着いて対応すればよかったと反省する。多忙な時期で、スピード開発しなければならないという気持ちが開発部全体にあった。だからこそ、細心の注意を払い、こうしたトラブルは最も避けなければならないことだった。

画像4

しかし、悔やんでも仕方ない。顧客は待ってくれない。すぐさま挽回するため、体制を再構築する。開発を2人体制にしたり、逐一レビューするようにしたりという運用面に加えて、サービスの根本のシステム設計から考え直した。

「常に言われたこと、求められたことを作り続けるのではなく、根本的に何が必要かを考えて、別のアプローチでも解決できるという提案をしなければ意味がありません」

この出来事をきっかけに、Nさんは、相手が何を求めているのかをしっかり聞き取って、それに対する解決策を先回りして提案できるよう、これまで以上に力を注ぐようになった。

向こうから出てきたものをそのまま作るのではダメです。ユーザーはプロではないので。何をやりたいのかを聞いて、こちらが複数のアイデアを用意する。そこまで考え続けるべきなのです」

Nさんはかぶとの緒を締め直して、今はアシロボのさらなる発展のために前を向く。

他社のエンジニアにはない恵まれた環境

土橋社長からも直々に叱咤激励されるのは、サービス開発を任されていることへの期待感の表れだろう。Nさんもそれを自覚しつつ、結果を出すことで応えたいと思っている。そこには、エンジニアのやりがいを最優先にしてくれている会社への恩義もある。

ドヴァの開発部のメンバーは、自由に働ける環境を用意されている。出社時間も決まってない。ある意味で治外法権となっているのだ。だからこそ、Nさんはリーダーとしての結果に対するコミットメント、責任感も強い。

実は、Nさんは会社を辞めようと思ったことがあった。地元・沖縄の学校を卒業してすぐにドヴァに入ったため、この会社しか知らない。外の世界への憧れもある。

画像4

ただ、受託開発で他の企業に常駐していて、ドヴァは恵まれていると実感した。それは「エンジニアファースト」の環境に他ならない。他社のエンジニアなどと話をしたり、様子を見ていたりすると、上から言われたことをただこなすだけだったりと、とても生き生きと働いているようには思えない人も少なくなかった。

加えて、Nさん自身の性格もあった。飽きやすく、次々と新しいことをやりたい性分だ。他社では同じ仕事を何年もするのがザラだった。そんな働き方は、Nさんにはとうてい無理だった。

「正当な理由があれば、ドヴァは何でもできる会社だと思います。もし私が明日から営業をやりたいと言えばやらせてもらえるでしょうし、IT以外のビジネスを立ち上げることも可能なはずです」

自由で、前例にとらわれない。そんなドヴァの社風がNさんのモチベーションになっている。

1990年、沖縄県生まれ。幼少のころから空手、柔道、陸上、サッカー、バレー、野球などのスポーツを経験。かたや無類のゲーム好きでもあった。沖縄工業高等専門学校を卒業後、2014年にドヴァ入社。エンジニアとしてネットワークやサーバの開発、運用管理などに携わる。18年から自社開発サービス「アシロボ®」の開発リーダーに。週末はフットサルや映画鑑賞などをして過ごす。

(取材・文:株式会社ドヴァ オウンドメディア編集チーム)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?