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産んで初めてわかった育休の大切さ

男性の育休って必要?

出産前は正直ピンときていなかった。

出産した女性が産休・育休をとるのであれば、2人も育休に入る必要はないのでは?

そう思っていた私は、出産後の体や精神が、ボロボロだということも知らなかったし、
育児の何が大変なのかもわかっていなかった。

そして夫婦と子供で暮らす、核家族だからこそ、夫の育休が必要だと思っている。

まだまだ理解されない男性の育休

私の夫は育休を取らなかった。

会社に育休の制度はあるにも関わらず、
「育休をどうしようか?」
という相談すらなかった。
会社の誰も取っていなかったことも一つの要因だろう。
夫も私同様、必要性を感じていなかったのだ。

初めに言っておきたいのは、
夫の育児については、なんの不満もない。

私に過度な負担がかからないよう、出勤前にできる限りの家事をこなし、帰宅後は身支度もそこそこに息子の相手をする。

私は恵まれている。
私の夫が彼で良かったと心から思うし、
子供が産まれて、なおさら愛情が湧いてくる。

ただし、産後1ヶ月のメンタルは違った。
ひとり孤独な戦いがあったし、夫にも理解してもらえない苦しみがあり、
頭の中によくない考えが何度も浮かんでは、必死にかき消した。

あの苦しみを思うと、産後の2週間、いや、1週間だけでも夫が育休をとってくれたらどんなに良かったか。

産後2週間は、暗いトンネルの中で赤ちゃんと向き合っていた

産後、妊娠高血圧症だった私は、なかなか血圧が下がらずにいた。
しかし、初めて世話をする目の前の小さな子に対して気を張り詰めていたので、自分の体の状態に気づけずにいた。
産後夫の実家で療養させてもらうことにした私は、
部屋でただただ産まれたばかりの子と向き合っていた。

産まれたばかりの赤ちゃんの小ささ。
体はしわしわで柔らかく、今にも崩れそうだ。
赤ちゃんを前に、産まれたばかりの子猫が思い浮かぶくらいには、馴染みがなかった。

赤ちゃんの世話以外はすべてお姑さんにお世話になっていたが、精神的に甘えるにはハードルが高い。

未知の子育てにひとりで挑んでいたといっても過言じゃなかった。
退院後最初の夜は、赤ちゃんの様子がわからないのが怖くて一晩中電気をつけていた。(豆電球がないことを知らず、ライトを持って行くのを忘れていた)

まさかの苦労。授乳の受難

産後の1番の壁は授乳で、
息子は産後1ヶ月半もの間おっぱいからの授乳を拒否していた。
産院では助産師さんが「うん、おっぱいは充分出ますね」と言ってくれたものの、上手く咥えさせられない。

無理に咥えさせようとすると泣き出すか、口をつぐんで寝たふりをするかで手におえなかった。
母乳、特に初乳には大切な栄養が詰まっているらしく、しぼって哺乳瓶で飲ませた。

しかし、通常母乳は、赤ちゃんに飲んでもらうことで分泌量が増えるらしいのだ。
1ヶ月半もの間、母乳を止めなかったことだけでも涙ぐましい努力をした。
おっぱいを絞れど水が出てくるばかりという悪夢を見て汗だくで起きるほど追い込まれていた。

本来赤ちゃんにとって、おっぱいを飲むことは幸せであるはずのもの。
それを、嫌がる赤ちゃんの口に押し付ける虚しさは、言いようがなかった。

授乳の時間になるとおっぱいを押し付け10分ほど粘り、
その後ミルクをつくり飲ませる。
ミルクもたった50mlから始まるが、その50mlですら飲むのがやっとで、20分ほどかけて飲ませた。

その後、ゲップをさせ、瓶の後始末をすると、一回の授乳で50分は簡単にすぎる。

飲ませ始めた時間から、3時間ごとに授乳をしないといけなかった為、まとまって寝るのは2時間ほどしかない。
(新生児期は量を飲ませるため、時間で起こして飲ませるように言われていた)

さらにその合間を縫って、分泌量が増えるはずのない乳房を搾り、なんとか母乳を哺乳瓶に溜めていた。
手はジンジン痛むし、虚しい作業。

授乳の辛さを夫の両親に相談できるはずもなく、ただただ辛い時間が続いた。

授乳の話で言えば、その後、母乳外来の助産師さんと試行錯誤した。
赤ちゃんも成長し口が大きくなると、咥えることが出来るようになった。
完全母乳とはいかなかったが、ある程度分泌量が増え、安心したようにおっぱいを飲むようになった。 

その姿がどれほど愛おしいものか。

授乳で苦労しているのは何も、私だけではない。
私が悩みを打ち明けると、周りの友人もそれぞれ悩みを話してくれた。

母乳が全く出ず、母乳外来に通った人。
赤ちゃんの体調が優れず、素早い水分補給のためミルクを飲ませた人。
私の母は、私や兄弟を低体重で産み、産後1ヶ月も赤ちゃんと離れた為、母乳は諦めミルクで育てたそうだ。

私も自分が苦労するまで知らなかったことだが、声を大にして言いたい。
「母乳?あ、ミルクなの?可哀想に」なんて絶対に言わないで!!!

話は逸れたが、授乳による困難が、
産後の私の精神や体の状態を極限まで追いやったことを知って欲しかった。

一番一緒にいて欲しかったのは夫だった

そんな状態でなんとか赤ちゃんと向き合うこと3日間。
休日である土曜日になり、夫が実家に帰ってきた。

私は夫を見るなり、しがみついて声を上げて泣いた。
それほど限界がきていた。

描いていたのは、産まれたばかりの赤ちゃんの顔を見ながら、幸せを噛み締める生活。

精一杯それを実行しようと振る舞ったが、あまりに辛かったのだ。

その後、予定より早く夫と自宅に戻った。
少しでも夫の近くで安心したかったのだ。
県外に住む私の母が来てくれることになっていたが、数日夫と私、息子の3人で過ごした。

私の体調はというと、腰痛は酷く、屈むだけで激痛が走り、立ち上がると目が回るほど眩暈がした。
自宅に戻ったことで緊張の糸が解けたように不調が出てきた。

夫は家事をこなし、夜中もできる限り一緒に起きてはミルクを作ってくれた。
私は夫が睡眠不足になることを心配しつつも、眩暈でまともに世話をすることができずベッドに横になった。
会社で眠いだろうな、車の運転大丈夫かな?そんなことが頭をよぎった。

ここまでが、実母が手伝いに来るまでの産後2週間の出来事である。

夫が育休をとってくれたなら

そもそも私が県外の実家で里帰り出産をしなかったのは、コロナ禍で県外の移動が容易でなかった為ということがある。
出産当初、県外の人と会っただけで、2週間病院に行くことが出来なかった為、里帰りはしなかった。

また様々な要因から、実家で心から安心して過ごせる自信もなかった。
今となっては実母の愛ほど安心出来るものはないことを知ったが、出産前までそれも分からなかった。

また、母は自営業で仕事があった。
母はそれを抜けてまで手伝いに来てくれたが、
女性もバリバリ働く現在、実母に産後の手伝いを望めない人も多いだろう。

家事手伝いをしてくれるサポートや、産後泊まりこめる助産院もあるらしい。

しかし、思うのは、
「夫が育休をとればいいじゃない!!」

仕事が大好きな私にとって、仕事への責任は痛いほどわかる。

だけど、仕事よりも産まれたばかりの子と、妻の命を守ることが第一優先じゃない!!

産後2週間の苦しみを経て思った。

男性の育休は必要です!!!

2週間、いや1週間でも良い、積極的に取らせて欲しい。

それでも私が「育休とって」と言えない訳

とは言え、もし2人目を授かったとき、
私は夫に「育休とって」と言わないだろう。

こんなにも必要と感じたのに、言うことが出来ない。

男性がとる育休に理解が進んでいないことが、わかるからだ。

女性の私ですらわかっていなかったのに?
理解してもらえるの?

育休をとることで、部署移動になった先輩の話

もう10年も前になるが、こんな出来事があった。

私が新卒で入社したのは都心の大企業。
私はたった1年で離職したが、
離職後、同期の男友達からこんな噂が飛び込んできた。

「〇〇営業所のKさん、営業部から総務部になったらしい」

Kさんは私もよく知る2年上の先輩だった。
いかにも優秀、自分の営業に自信満々で誇りを持っているように見えた。

同じ営業所のOさんから、
「これからのキャリアを考えるなら育休をとるのは止めておけ」
と言われたにも関わらず育休を取った為、怒りを買い総務部に移動になったというのだ。

Oさんというのは、
一見穏やかだが礼儀に厳しく、昔気質の営業マンだった。
結婚はしていたが子供はいない。

私は当時その話を、
「えー、マジで?」の一言で片付けた。

新卒の若手にとって育休への認識はその程度だった。

そしてそれから10年。
都心ではもしかしたらもっと認識が進んでいるかも知れない。

しかし、私が住む九州の田舎で、それが望めるだろうか。

都会から田舎に帰ってきて、
ジェンダーギャップさえ肌感で感じている。

私が「育休を取って」と言えば、
夫は取れるように動いてくれるだろう。

でもそのことで夫の立場を危うくしたら?

そう思うと私は言えなくなるだろう。


ただこうして文章を書き、
少しでも多くの人に育休の必要性を感じてもらえればと祈るだけだ。

いや、はなからそんなにたくさんの人に読んでもらえるとも思っていない。

今はただ、自分が感じたことを忘れないように、
将来、この思いが何かに役立つように、
長々と書かせてもらった。

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