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わからないに向き合いたい

11月。6時過ぎに目が覚めた。
早起きできたのに曇っていると勿体ない気持ちになる。悔しいから散歩に行かないでレコードかけてみたりする。

曇りのことを天気が悪いっていうのはなんでなんだろう、私は曇りが好きなのに、というドラマ「カルテット」の一節を思い出しいつもなるほどと思うが普通に晴れが好き。布団干せるし。

許せないという感情は、理性の果てにある

最近の学び。(自由律俳句とする)
重く見えるけど、そんなこともないと思う。
当事者間で折り合いがついたとしてもそれが実際起きた現実は変わらないわけで、折り合いをつけているのは自分の中の一部分で、事象自体を咎めることはないにせよ、起きたことを許すつもりはない、なんてことはざらにあると思う。(折り合いがついた=許された、ではないよね)私は人生初でしたが。何事も経験しないとわからんね。

それぞれの人の悲しみも苦しみも誰にもわかってもらえるわけはなくて、それはある意味良いことでもあり絶望的なことでもあると思う。経験から得た感情は全て自分だけのもので、これはどこまでいっても揺るぎない。
結局、共感なんぞはおごりでしかない。
悲しいけど、その人になれるわけではない。

けど、わからないなりに寄り添ってくれる姿勢、わからないなりに考えてくれることこそが尊いと思う。わからないに向き合いたいし、そんな人たちを愛したい。でもすぐにわかった気になったり、わかりたいと思ったり、まだまだだなあ


こういう曇りは好きやわ


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