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引き裂かれた破壊的リリシスト、JID(JID「The Forever Story」全曲解説)

はじめに

JIDはラップスキルとソングライティングというシンプルで最も重大な二つの技術において、間違いなく最も優れたラッパーの一人だ。

1989年、7人兄弟の末っ子としてアトランタに生を受けたJIDは、両親のファンクやソウルのレコード(特にSly and the Family StoneとD'Angeloの名前を挙げている)で音楽に出会い、そこから同郷のOutkast、T.I.、Goodie Mob、Gucci Maneはもちろん、NasやJAY-Z、Wu-Tang ClanといったNYのHiphopシーンにあるラッパーを敬愛するようになった。

そして2010年、電子音でふんだんに装飾されたデビューミックステープ「Cakewalk」、続けて「Cakewalk2」と精力的にミックステープをリリースした。
これらは音楽的にはお世辞にもあまり成熟しているとは言えない出来で、ラップスキルも発展途上ではあったが、類まれなソングライティングスキルの片鱗を垣間見ることが出来る。

そして2012年、JIDの現在まで通じる音楽的趣向が全面に現れたソウルフルなビートを中心に、時には不気味なブーンバップの上でシームレスなフロウを披露する「Route of Evil」を、2013年にはその方法を定着、発展させた「Para Tu」をリリースした。

こうして自身のスタイルを確立したと思われたJIDだったが、2015年にリリースしたデビューEP「DiCaprio」は相当迷いのあるサウンドで、失敗作と言われる作品であった。
しかし「DiCaprio」は、ダブルミーニング、トリプルミーニングを持ったバースをてもなく滔々とスピットしながら、粗暴なマチズモと物質主義への傾倒、そしてそこに隠された葛藤というキャリアを貫くテーマがぼんやりと見え隠れする作品でもあった。

そして2017年、J. Cole主催のDreamville Recordsとの契約を勝ち取ったJIDは、ついにデビューアルバム「The Never Story」をリリースする。
ここで優れたプロデューサーと出会い、スムーズでソウルフルなビートとトラップ調のパーカッションが挿入された不気味なビートを軸に、デビューアルバムに相応しく自身のハードな生い立ちを語りながら、ほろ苦いラブソングやR&B調のコーラスを多く含ませる多角的なアプローチにより、大衆がアクセスしやすい作品となった。
しかし挑戦的で野蛮なリリシズムは貫かれており、"俺のフロウが神話であるように、サウスにリリシストは存在しない" と宣言しつつ、トラップが支配的となったアトランタのシーンに"俺のサウンドは特にない"と語るような自由なサウンドとOutkastのようなスキルとリリシズムを自らの存在によって復興させたのであった。
そんな原理主義的な立ち振る舞いが彼を(特にアトランタというシーンも相まって)特異なものにした。

また「The Never Story」の主題はその名が表すように、不可能性にある。
先述のラブソング「All Bad」や「Hereditary」では人間関係の不可能性を示し、「Underwear」ではコミカルに革命の不可能性を提示した。
またリードシングル「Never」では、"神よ、俺に意地悪しないでくれ。"と自身の苦しみを悲痛に語りつつ、"俺はビッチといたこともなければ手首にロレックスを巻いたこともない。コレくれアレくれなんて言ったこともない。"とラップする。
これは単なる反物質主義ではなく、貧乏だった経験によるリアリズムと恐怖、いわばPTSDである。
JIDは観念的なもの、自らのアーティスト像を肥大化させるが、嘘は言わないし、無駄遣いもしない。いや、出来ない。

"お前は何者にでもなれるかもしれないが、何者にも決してなれない。"
"もし俺が何一つ持たずとも幸せだったなら。"
自身の変革不可能性と他者との接続不可能性、そしてそれを根拠に持つ世界の不可能性。それでも生きていかなければならない人生、それが「The Never Story」であった。

続けて2018年、先述のデビューEP「DiCaprio」の続編として「DiCaprio2」をリリースした。
この作品は808を唸らすトラップの枠組みでどれだけスキルフルでありうるかという実験的アルバムでありながら、ソウルフル、あるいはジャジー、そして不吉な鍵盤を叩くJID本来的なビートの上でもバースを蹴る。
「DiCaprio2」 はJIDのキャリアを損なわないだけの高い批評的評価を与えられたが、ここでは前作以上に尊大で野蛮で強力なギャングスタ的アーティスト像を作り上げることに注力しており、リリックにおいてはどうキュレーションしてもアルバムを一貫するテーマは見えづらい。(オムニバス形式の映画的アルバムだとJID自身も語っている。)
しかし、アルコールやドラッグに溺れることへの批判を粗暴なまま婉曲にスピットし、成功とそれに伴う不安の感情を
"すべてにおいて、すべてを捧げても何も返ってこない"
"毎日神に祈っているが、全く上手くいっていない"と吐露するのであった。

またアウトロの「Despacito Too」では、弱さに対する過剰な嫌悪とラップへの執着が語られており、"強者だけが生き残る"、"俺は何者にでもなれる"とした上で、"ブラックパンサーに会いたい。でも彼は現実のものじゃない"という子供のつぶやきに、重く"Yeah"と呟いて終わる。
この可能性と不可能性、理想と現実の対比が、そのまま彼の作り上げたギャングスタ的アーティスト像とリアリスト的思想の対比になっているのである。
そしてボーナストラック「Hasta Luego」でも前作「The Never Story」で彼自身のニヒルでリアルな思想と絶望が表明されたように、フットの現状を憂鬱に語るバースを蹴ってアルバムを終わらせる。

「DiCaprio2」で分かることは、野蛮で尊大に作り上げられたJIDというアーティスト像は、小さく弱く、そして自分自身を含め何一つ変えられないというリアリスト的思想、そしてその弱さを創作の方法にすることへの嫌悪、ラップスキルの価値を貶めた現行シーンへの嫌悪と、90s Hiphopへの憧憬の表れである。

そしてそのリアリスト的思考と強さを誇示する方法の間を揺れ動く矛盾が彼を語る言葉をはねのけ、とにかく「ラップが上手い」という世間の共通認知に至った。

そんなアプローチを引き継ぎながらDreamvileのコンピレーションアルバムの参加、また彼が元々所属していたアトランタのHiphopコレクティブ、Spillage Villageの一員としてのアルバムのリリース、そしてその他幅広いアーティストとの客演で今日まで絶大なインパクトを残してきた。
特に近年JIDを一気にメジャーに押し上げた要因は、Netflixアニメ「Arcane」のメインテーマ曲であるImagine Dragons「Enemy」に参加したことだろう。
Arctic Monkeysに大きな影響を受けたと語るJIDはこの楽曲において、ポップなバンドサウンドにも乗れる器用で決定的なスキルを持った自身を"型破りで常識外れの宇宙飛行士だ"と誇るのであった。

ここまでJIDのキャリア、作品を追ってきた上で、JIDとはいかなるラッパーなのだろうか。
ここで冒頭の言表を繰り返す。
JIDはラップスキルとソングライティングというシンプルで最も重大な二つの技術において、間違いなく最も優れたラッパーの一人だ。
つまり前述の通り、JIDは絶対的に「ラップが上手い」ということに、そしてその技術向上の野心のみに集約されうる、もしくはそう定義されてしまうようなラッパーなのだ。
もちろん「The Never Story」 に多く見られるようなシニカルなリアリスト的一面も彼の魅力の一つである。
しかし事実として、(彼をリリシスト、もしくはコンシャスなラッパーと捉えるならば)大量のバースを蹴り、留まることなく言葉を発し続けたJIDに対し、Destin Choice Route(JIDの本名)はあまりに寡黙であった。

またJIDのストーリー、アイデアはアルバムという単位に対しては散文的であるように思われる。
そしてJIDはJ. Coleのような説教的で直接的なコンシャスとは異なり、Kendrick Lamarのような自らの思想、言動を示すことによるコンシャスを遂行する部分も多くあるのだが(JIDは声やフロウにおいてもしばしばKendrick Lamarと並べ語られる)、婉曲な手法と過剰なラッパー像により、そこにおよそ血が通っていないように思われるのも仕方ないかもしれない。

しかし今作「The Forever Story」においては、金稼ぎの欲動に突き動かされ、マチズモに呪われたペルソナの先に見え隠れする何かを、Destin Choice Routeをこれまで以上に窺い知ることが出来る。
今作はついに自我とラップ的ペルソナが、つまりDestin Choice RouteとJIDがアルバム単位で融合し、そして矛盾したコンセプチュアル・アートでありうるような作品である。

しかしそれでもJIDにとってアートとは、Art(技術)だった。
"俺は最高レベルのラップと最高レベルのシンガーを目指しているんだ"と語るように、それこそが彼を定義づけ、個を埋葬させるほど決定的なものであった。
JIDはアトランタのシーンを背負うことはなく(前述の言表に顕著だが)、ただ自らを過剰に大きくし、形作られた伝説的ラッパーの肖像を実存的に追いかける。

そんなJIDのアート観/ラッパー像は、はたして矮小なのだろうか?
また拝金主義は悪なのだろうか?
そしてそれが「改善される」見込みはあるのだろうか?
結局なにが可能で、なにが不可能なのだろうか?

それらの疑問に対する解答を、(#NEVERISFOREVERというプロモーションハッシュタグにも表れているように)「The Never Story」における不可能性というテーマと自分語りを拡張しながら、Destin Choice Routeは「The Forever Story」という時間概念が大きく関与する語に詰め込んだ。
今作は「The Never Story」の前日譚的な要素、つまり自身の生い立ちや家族を絡めた思い出を、トラップ調に再構築した不吉なブーンバップ、そしてソウルフル、あるいはジャジーなブーンバップを中心としたビートに乗せ、JIDが愛するシネマティックな方法で語る。

またJIDは「The Forever Story」の意味を聞かれ、
"俺は若いアーティストとして契約したわけではなく、もともとアーティストになりたいと思っていたわけでもない。
昔はただの熱狂的な音楽好きだったんだ。
ここまで来るとは思ってもみなかった。
だから俺たちはとにかくずっと活躍するつもりだ。"と答えた

彼がそう語るように、愛に溢れ、今までにない希望的なきらいさえ思える温かい血の通った今作は、最高レベルのラップはもちろん、今作のために歌のコーチを雇うほどの気合いが入った美しく伸びやかなコーラスを響かせ、JIDのクリエイティビティとエネルギーを存分に感じられる。

そんな「The Forever Story」というシンプルながら、むしろシンプルだからこその複雑さ、奥行きを孕んだ両義的な言葉を紐解いていこう。

1、Galaxy

アルバムのイントロを飾るこの楽曲は、1、2、3、4とのカウントから、
"「永遠」は遠くまでは行けない。あなたがいるところに留まっていて。"
という意味深長なコーラスと柔らかいビートで幕を開ける。
そして前述のデビューアルバム「The Never Story」のイントロ「Doo Wop」のコーラスを挿入し、
"みんなスターだ。毎日が移動だ。あなたがどこにいても、他のみんなに祈ろう。"
と続ける。
この2つのラインは原点回帰の意思とスターダムにのし上がった実際の生活が対比されているのだろう。

その美しいコーラスを打ち切る電話が、彼の人生に大きな影響を与えた父親のような存在である大学アメフト時代のコーチからかかってくる。(JIDはアメフトの特待生で、プロを目指していた。)
"だから電話しないのか?電話に出ないのか?
ああ分かった。お前は俺が思っていた通りの奴だった。お前はプラスチック製のFake野郎だ。"
もちろんこれは彼のコーチの心から発された言葉ではなく、名声を得て、遠くを見据えてあちこちに動き回ったJIDが、家族や身近な人たちに目を向けるための内省的な警句である。
そしてそんなコーチの言葉を裏付けるように、尊大で野蛮なJIDが姿を表すのである。

2、Raydar

この楽曲は、JIDが所属するDreamvileとSpillage Villageとの両方に所属し、JIDの楽曲の最も多くを手掛け、今作のほとんどの楽曲に参加するJIDの相棒的プロデューサーChristoによる凶悪な808の響くビートに乗せ、頭からスキルを見せつける。

またこの曲は公民権運動を起点に集まった民族主義的なHiphopトリオ、The Last Poetsの戦争と国家支配に反対しながら平和を願う楽曲「Mean Machine」から悪意にサンプリングされており、普段人種を直接的に背負うことのあまりないJIDと共にコミュニティをレペゼンしつつ、その兵器の名前を連呼するイントロでは、JIDの平和とは程遠い攻撃的なバースを予感させる。(余談だが、彼らのグループ名はEarl Sweatshirtの父親、Keorapetse Kgositsileの詩にちなんで名付けられている。)

バースでは、
"I got the shit-"と文頭を合わせながら立て続けに
"俺はライターで火をつけるものを持っている。クソ喰らえだ。俺はストーブで火を灯せる。"
"俺はお前の母親のために出来る曲も、尻軽女のために出来る曲も、ドラッグディーラーに売ることも出来る曲も手にしたんだ。"
とバースを蹴る。

"俺は金を得ても貧乏なラッパーを知っている。金のために魂を売っている。お前はお前自身を演じる。お前の役を演じる。"
とラップする。
これは後に続くラインからも分かるように、他のラッパーへのディスというよりも、そうしなければならない業界や資本主義のシステムを憂うものだろう。そしてそれは、自身の過去にも突き刺さっている。

けたたましくファールを告げる警笛が鳴り響く中で、JIDは続けて白人至上主義者や国家権力に対して攻撃を始める。
"俺たちを鎖でつないだ白人共が法律を作り 、冷酷になった。そして奴らはギャングまで結成しやがった。
負け戦にどうやって勝つんだ?"
"「変化を起こせ。」黒人は同じことを言っている。
毎日不平をこぼして、太陽は照り、雲は雨を降らす。でも何ひとつ変わらない。"
と、ここで一つ「Never」を提示し、「Forever」との接続も見せつける。

続けて黒人の置かれた現状を憂いつつ、自らをアベンジャーズに例えて尊大に表現しながら、
"ラッパー?シンガー?違う。俺は殺し屋だ。
お前は警察、もしくは黒人キラーだ。"
とバースを締めくくる。
こうしたヘビー級のライムを飄々と蹴ってしまうのがJIDだ。

"奴らは理解できないだろう。私は調和と平和に生きる。そして太陽は再び東から登るのだ。"
とサンプリングしたところでさらに激しく不安げなビートに切り替わり、信教的かつ凶暴で半狂乱なラップが繰り広げられる。

そこでは
"俺たちは話しているが、それは一度も聞き入れられたことは無い。"
"鏡よ、なぜお前は笑ってやがるんだ?"
などとJIDの今までにない気負いが伺えるのと同時に、
"ラップもバースもファックだ。"
"これはラップではなく、霊歌だ。"
と尊大に宣言するのである。

3、Dance Now

この楽曲は前曲の雰囲気を打ち砕くように怠惰でキャッチーな雰囲気のコーラスが挿入されたビートに乗せ、
"JIDが街に戻ってきた。"からバースを始め、世間のJIDに対する訝しげな目線とお節介な意見をラップしつつ、ワークアウトやNBA選手の名前を巧みに引っ掛けながらここでも信教的なバースを蹴る。

そして世間の声に答えるように、フックでは、
"奴らは俺には出来ないと言っている。大嘘だ。"と語り、
"俺たちはあいつの仲間に引き寄せられる。地滑りだ。
俺のパンツには9が入ってて、(それを)手にしてる。撤回しようとしても無駄だぜ。"
とラップする。
ここでは同調圧力によってフッドに蔓延るドラッグや暴力(9は9mm口径を表すスラング)だけでなく、国家や権力、数の大きな力に流されてしまうマイノリティとしての黒人コミュニティを表すラインだろう。

続く
"俺は蟻の山を踏むことが出来る。
俺は地面を撃った、さあ踊ろうぜ。"
というラインは、蟻の山に足を踏み入れ、蟻を潰す様子、足に昇ってきた蟻を振りほどく様子と、足元の銃撃を避ける様子(アニメなどによくあるシーン)を共にダンスと表現している。
JIDはAを強調して発音された蟻の山、つまりアトランタの街の敵を掃除するようにダンスをするが、JIDの敵、もしくは他のラッパーたちは、文字通り足元を掬われるようにダンスをさせられるのだ。

そして同じくアトランタ出身の若手、Kenny Masonのコーラスが続く。
"ああ、なんて寛大な贈り物だろう。
罪の国に生きること。バッグとレンガ(金と麻薬)と共に。"
と金や麻薬などの欲望に満ち、その原因となるシステムの上に成り立つ罪の国アメリカで生きることを皮肉りつつ、
"彼は俺の願いを叶えると言った。
お前は悪魔と踊っている。
お前はもう二度と踊れない。"
と自身への戒めともとれる言葉を発する。
私たちはどう「踊る」か。少なくともMasonは、踊らされることを嫌う。

2ndバースは、
"俺はtwo-steppin' manじゃない。「俺は踊らない」と言った。
パンツの中には銃があり、全世界が彼の手の中にある。"と始める。
two-steppinは踊ることに加え、物事に段階を踏むことをも表し、銃、つまり暴力で世界を一息に変えてしまおうという粗暴で諦観に満ちたJID像を浮かび上がらせる。
またそれと共に、先ほどのフックを引き継ぎパンツの中の銃を男性器に暗喩し、銃をぶっぱなすこと、トイレを我慢する様子をもtwo-steppinと表現している。

そんな考えをそのまま
"住宅街に撃ちまくれ。復讐は止められない。"と続ける。
これも一つの「Never」であり、それは「Forever」だろう。

続けてMichael Jackson、JAY-Z、Kanye Westのリリックを引き合いになんでも手に入れられると豊かさを誇示しつつ、料理を比喩的に用い、コミカルに"俺とChristoのコンビは最高だ"とラップする。

ただそんな尊大で激しいダンスを打ち砕くように、黒人間の暴行の現場が押さえられ、
"これは重罪だ。奴はFを手にしたんだ。
黒人たちはAに来たが、X'd outしていた。
でも俺は助けようと思ってここに来ただけなんだ。
自分を助けられるのは今の自分だけなんだ。"
とバースを締めくくる。
F(重罪)で捕まった黒人を助けにA(アトランタ)に来たが、助けに来たみんなはX'd out(薬物でよれていること)していた。
そんな事態はJIDの作った物語ではなく、FAX(事実)だと婉曲に言っているのである。
(またここではテレビドラマシリーズAtlantaを制作したFXプロダクションにもかかっているのだろう。)
それを見たJIDは、誰かを助けることが「Never」だと気づき、この物語のように手遅れになる前に警句を送るのであった。

アウトロでは、ジャマイカ出身のミュージシャン、Jesse Royalによる詩の朗読がなされる。
"人生とは旅なんだ。目的地ではない。
エゴイスティックな語調に傾かないように。
ポジティブな波動は、真の解放をもたらす。
それは心の意志であり、心の強さである。
そして創造主の愛が、このサディスティックな状況から立ち上がらせてくれる。
そして私たちの創造物の中に存在する純粋さを経験させるのだ。分かるか?"
これはアメリカ的な神秘主義と黒人コミュニティに向けたエンパワメントであるが、最後の言葉は西洋美学を思わせる部分もある。

ここではシニカルなリアリスト的JIDと尊大なJIDが互いに矛盾しながらも見事に調和している。

4、Crack Sandwich

この楽曲ではピアノの鍵盤が不吉に響きながらも、B級ホラー映画のようなコミカルさを備えたビートに乗せ、ついにJID自身の半生を家族を中心に語り始める。

ここでJIDはバースに入る前に、
"臆病者のお前らに届けたい。お前らが望んだことだ。"と宣言する。
おそらくこれは血も涙もないようなアーティスト像を提供し続けてきたことに対する回答だろう。

バースでは、
"俺のような奴は何も持っていないとお前は言える。"と自ら語りつつ、
"RIP、仲間が恋しい。Mike Vickのように。"
とNFL選手を引き合いに隠してきた人間味、想いの丈を吐露するのである。

また黒人の貧困と暴力にまみれた現状をラップしつつ、
"黒人が飢えた時、ビスケット(銃)を握らなければならない皮肉。"と続け、
ここでもNFL選手を引き合いにファールを厭わず目的に向かう様子をラップする。

続けて兄弟喧嘩をThe Shiningのワンシーンに喩えつつ、
"ママは言った。
「転んだら立って包帯を巻け、」
「チーズバーガーを買う金がない、サンドイッチを作れ」
「なぜ悪いことをするの?またね、お父さんにケツを叩かれな。」
7人のコカイン常習者の悪ガキが徒党を組んでいる。"と厳しいしつけをされる自分たち兄弟をコカイン中毒者に喩えながらユーモラスに表現する。

2ndバースでは、
"俺みたいな奴は俺みたいな奴に会ったことがないとお前は言える。
夢の中で見た形而上のもの、お前は何を信じるんだ?"と兄弟について「ain't met a〜」の発音を「aim at」に聞こえるよう濁しつつ語り、そこから銃で血を流した場面、そして尊大なJID像に移行する。

"俺は銃を持ったエンターテイナーだ。
俺は俺の世界を平和にできる。お前の世界にエーテルを与える。"
ここでエーテルは麻酔薬に用いられるため、JIDのラップで動けなくなるほどの感動を与えると私たちに、もしくはもう動けないほどの衝撃を与えると他のラッパーに宣言しているのだ。
そうして続けざまに多様なワードプレイを用いた尊大なバース、つまりJID本来的なバースを蹴り、最後は"お前がこれ以上ラップするかどうかさえ俺は知ったことじゃない。"と締めくくる。

そして
"俺の街に乗り込んで、俺は俺の狙撃手だ。
俺は俺のやることをやる。俺はお前じゃない。"とコミカルに繰り返し、
3rdバースでは、兄弟をそれぞれ誇らしげに語り、家族総出の卒業祝いの日を振り返る。

ただJIDはこれを"クールなことのようだが、実のところこれは懺悔録なんだ。"と語り、
口論の末に妹を殴り飛ばした奴を兄弟でボコボコにしたこと、喧嘩の日々に明け暮れていたこと、17歳の時にありとあらゆるものに手を出していたことを、"一緒に闘うことが俺たちの結束を固めた。"と回顧する。

しかしJIDら兄弟はニューオーリンズのパーティでの騒ぎによって警察を呼ばれ、6、7時間拘束されてしまった。
ただそこでも兄弟の絆は強固で、
"みんな同じ考えを持っているのに、誰かのせいに出来るだろうか?
俺たちはギャングみたいなもんだ。ママとパパは 誇りに思ってるだろうけど、恥ずかしいとも思ってる。"とバース締めくくるのであった。

アウトロでは前述の口論の様子が描かれ、一応の緊迫感をもってこの曲は終わるが、全体としては家族愛、兄弟愛がテーマとなった温かい楽曲である。
JIDはこうしたビートの雰囲気を裏切るようなバースを度々蹴るひねくれ者でもあるのだ。

5、Can't Punk Me

この楽曲は、前述のSpillage Village所属でJID一番の盟友であろうHiphopデュオ、EARTHGANGを客演に、Outkastを彷彿とさせる勢いとフロウでラップする。

"詩人になる前、俺はただの貧相なガキだった。"から始まるバースでは、フッドの現状が克明に描かれていく。
"肋骨の見えた子供は銃で狙いを定め、しつけを施そうとする。
失望するかもしれないが、俺も参加した。避けられなかったんだ。"
"彼らは黒人を殺すことで空白を埋めようとし、ファールとドローを感じる。"
このラインはJIDのフッドにある一つの「Never」であり、彼らは他者から奪う罪悪感をお互い様であると、仕方がないと割り切りながら生きていかなければならない。

"それがある世界のある女の子、子供、少年だ。そんなノイズをかき消そうとする。"
JIDはそう続け、
"ポンプ(銃)を引き抜く、俺はパンクさせることは出来ない。"と繰り返す。

続けてEARTHGANGのJohnny Venusのバースでは、様々な宗教において信教の意味を模索しながら制作されたSpillage Villageの最新作「Spilligion」の方法を引き継いでおり、
誰もが銃を携帯するようなアトランタにおいて、
"俺は偉大さのために生まれた。なぜ自分を偽る必要がある?"などと神の寵愛を尊大に宣言し、
"パリではヨーロピアンのキスの雨で土砂降りだった。
俺がいたジョージアでは、銃撃の嵐だった。"とコミカルな対比を挟みつつ、
"あいつは俺達がしっぽ巻いて逃げると思ってたんだろう。
あいつは拳銃を持ってたからな。
坊や、俺はAから来たんだぜ。"
とバースを締めくくる。

同じくEARTHGANGのDoctur Dotのバースでは、
"これはリアルだ。殺すか殺されるか、模範的な市民はいない。"とフッドを表現し、
また、
"アドレナリンのない人生なんてありえるか?"
"死は解放だ。だが時折もっと酷い目にあう。"
"俺はガンジーのような奴を相手にしない。"
と粗暴な様を肯定的にスピットしつつ、
"地獄だけが俺を裁くことができる。
俺はただズバリ言うだけだ。
謙虚に歩むには人生はあまりにも厳しい。"
とタイトなバースを終わらせるのであった。

6、Surround Sound

この楽曲はアトランタのアーティスト、21 SavageとBaby Tateと初の共演を果たした、今作のリードシングルだ。
JIDはMos Def「Ms. Fat Booty」と同じく、Aretha Flanklin「One Step Ahead」をサンプリングしたビートに乗せ、自身とそのフッドを巧みなワードプレイで誇示する。

まずフッドでは、
"ストラップ(拳銃)を手に入れろ、それをぶっぱなせばSurround Soundsが鳴るぜ。"
とラップする。
ここでは拳銃の音と「Make some round sounds」がかかっており、JIDがラップすれば拳銃の音のように噂がすぐに広まるとラップしている。

"膝の上に乗っけた子猫ちゃんを押しのけてtown downに行く。"
と、「Peace up, A-Town Down」というアトランタを誇る慣用句(ピースサインをturn down、つまり下へひっくり返すとアトランタのAサインになる)を暗喩してフッドを誇示しつつ、
"ラップを背負って、俺は黒人のまま王冠をかっさらうんだ。"と続ける。
「Surround Sounds」でタイトなライムを踏み続けながら、ワードプレイを欠かさないJIDらしさ全開の気持ちのいいフックだ。

バースでは、
"俺はクラックをポンドで売りさばく黒人のように戻ってきたぜ。
今は金を手に入れたが、自慢するようなことでもない。"
などとラップしつつ、セックスを暗喩しながらフックのライムを何度も踏み続ける。

さらに
"ぶっ壊れちまった気分だ。
ジュエリーを身に付けてるみたいに輝いてる気分だ。
盲目の黒人はアガってる。"
と破滅的な雰囲気を漂わせるのであった。

続いて21 Savageのバースでは、
"俺と俺の金は感情的に結びついている。
もしお前があまりに近づいてきたら、俺はclutchinする/になる。"とラップする。
ここでは貧乏だった頃の経験に起因する金への執着が「emotionally」と表現され、金を失う恐怖、そして危険なフッドを生きてきた経験から銃を握る癖をclutchin(握りしめる)と互いに表現する。(このいわばPTSDによる金への執着、恐怖は、「The Forever Story」を一貫するテーマとして後にJIDにおいても検討される。)
またclutchinはクールなもの/状態というスラングとしても使われており、敵がやってきた時、21 Savageは冷酷で最高の状態になるのだ。

続けて
"俺は俺があるべきトップにいる。"
とラップし、不安感による拝金主義、そして尊大なラップ的ペルソナとを落ち着いた雰囲気で表現する。(これは今回のJIDと対照的だ。)

そしてワードプレイを用いて金を誇示、また自らが恐れられていること、警察への批判、フッドのスニッチを淡々と語りつつ、
"昔は地元に投資してた。
今は急いで株に投資している。"とラップする。
事実、21 Savageは資産運用や金融リテラシーを学びつつ、それらを地元の子供たちに学ばせるプログラムを行っている。

そして銃を製作するドイツの防衛関連企業、Heckler & Koch GmbHへの投資を明かし、
"俺は銃に大量に投資してるんだから、弄ぶなよ。"とバースを締めくくる。
尊大なラッパー像と不安、現実主義的な目線が交差した素晴らしいバースだろう。

ここでBaby Tateのアトランタを引き合いにセックスを暗喩させるコーラスが挿入され、ビートが切り替わる。

JIDは多様なワードプレイを用いたボースティング、フッドの現状(暴力が蔓延り、子供の多くが片親なこと)を語りながら、
"お前は俺に敬意を払え。
もし俺がワナビーだと思うなら、それは本当のコメディだ。
俺は憂鬱でクールだ。だから冷静に努力する。
俺の真実は速度を伝える。"
とラップゲームにおいてリアリズムとファストフロウを武器にハードワークをこなす自身について表現し、
"ラップすることをクラックの製造として扱う。"とラップする。
JIDは薬物に対して婉曲ながら明確に批判的であり、(前作「DiCaprio 2」のリリック中にも"ラップゲームはリスクを冒す者から薬物中毒者のものに変わった。"等のリリックもある。)ここで語られるのも、ラップでのし上がる決意と啓蒙だろう。

続けて
"俺たちは故郷にいて、故郷を所有してる。
支配的なゲームだ。奴らの財産を奪う。"
と力強く宣言し、最後は
"俺は大きなスティックでキューボールを突く。このクソに発砲するんだ。"
と発砲音を繰り返す響かせて不穏に楽曲を終わらせる。

「Surround Sound」は徹頭徹尾素晴らしいワードプレイによるボースティングと力強い決意が貫かれた楽曲だが、21 Savageの「Never」と現実的で持続的思想(資産運用について)と、JIDの「Never」と破滅的な言動と裏腹にある冷静さ、持続的思想(反薬物)が見事に対比された楽曲でもある。

7、Kody Blu 31

「Our featured presentation」、つまり映画の本編を示す音声、また祖母の葬儀で父親が歌った歌をそのままサンプリングしながら幕を開けるこの楽曲は、その宣告通り、今までの流れを断ち切った壮大なコーラスと切なげなストリングスを響かせるブルース調の楽曲だ。(この楽曲以降、そういったレイドバックしたビートに切り替わっていく。しかし、終盤につれてソングライティングにさらに磨きがかかっていく。)

「Kody Blu 31」の意味するところは、若くして亡くなったJIDの友人の息子、Kody(サッカー選手で背番号が31番だった。)に向けた鎮魂歌、そしてその家族へのエンパワメントである。

バースでは多くのラッパーが引用する有名な祈りの詩を送りつつ、
"プレッシャーが自分を作り、旅が自分を連れて行く。歴史が自分を止めることも壊すこともできない場所へ。
雨が降るのは何かのため、痛みがあるのは何かのためだと知ってるだろう。
変化が訪れることを願う。ただ揺れ動き続けるんだ。"と詩的なメッセージを送る。

2ndバースでは、コーラスの「swangin」を多義的に用いて兄弟愛をラップし、黒人の歴史について、"俺たちは運ばれ、俺たちは兵士で、魂を持たなかった。"とラップする。
また
"お前らクソ共は俺たちのストレスや悩みを知らないと断言する。
俺の成功への執着は俺自身の定義だ。"
と奴隷制から続く黒人の自尊心の問題に続け、祖母を失った、つまり"母が母を失い"ながらも毅然と振舞っていたことにも触れる。
"自分が歳をとって、世界が自分の背中や腕には途方もない大きさだと感じた時、足取り重く、嵐の中で身体を引きずるようなものだ。"
"街を見つめるが、お前は穴の中に囚われている。
ロープに追い詰められても、揺れ動き続けろ。"

この楽曲はボースティング、普遍性から離れた、Destin Choice Routeの言葉に他ならない。

8、Bruddanem

この楽曲はシカゴのラッパーLil Durkを客演に、JIDにおいては兄弟愛を、Lil Durkにおいてはギャング仲間という意味での兄弟愛をソウルフルなストリングスに乗せてラップする。
タイトルの「Bruddanem」はAAVE(黒人英語)における広く「兄弟たち」を表す言葉だ。

JIDは、"俺は兄弟のためにグロック(拳銃)を手にし、地元を動かし、沢山のことをやってきた。"と兄弟愛とその連帯についてラップする。

続けて
"毎年夏になると誰かが死に、誰かが怯えている。だから誰も見向きもしない。"とフッドの現状を語りつつも、
"俺はスニッチもしないし、裏切ったりもしない。
彼(JIDの兄)は俺のためなら口を割らない。
俺のためならぶっぱなす。"
"俺は兄弟のこととなれば、再び地元に嵐を巻き起こすぜ。"
と最後まで兄弟に対する愛と信頼を口にする。

Lil Durkのバースでは、父親が投獄されていたことによる幼少期の貧困と兄との思い出を語りつつ、
"俺は金持ちになる。お前も金持ちになる。"と仲間に対する気負いを口にし、
"塹壕の中の赤ん坊、ストリートの奴、リアルな奴、本物の殺し屋、墓を暴く奴、地元のfoenem(仲間)、全員ギャングのメンバーだ。
Fakeのパーコセット、あいつはもう飲んじゃいない。
あいつは俺たちが本当の鎮痛剤だと感じていると言った。"とギャング仲間との強固な連帯についてもラップする。

そして
"俺の兄弟は殺し屋だ。抗争はファックだ。俺は同じヤツらとつるんでる。"と続け、
"俺の兄弟は2人死んじまった。
あいつらは俺の大事な仲間だったんだ。"
と親友であるKing Vonを失い、立て続けに兄であるDTHANGを同じく失ったことを語る。
またそんな暴力や復讐の連鎖を止めるため、Lil Durkは自身の作品に殺された仲間たちの名前を出さないこと、名前が登場する楽曲をパフォーマンスしないことを宣言しており、ここでも言及を「兄弟」という言葉に留めている。

アウトロではトロントのシンガーソングライターMustafa the Poetによる2人をエンパワメントする詩の朗読がなされる。
"俺にはお前が見えてるぞ。俺はお前を愛してる。俺たちはまだここにいるんだ。"

9、Sistanem

この楽曲でもJIDは兄弟、ここでは姉についてラップしている。

まず1stバースでは、
"あなたは俺に「こんなことに巻き込まれちゃいけない。」と言った。
俺が傷つくのを見たくないんだろうな。俺のために誰かを傷つけたいんだろう。
俺のためにくだらないことはするなよ。"
と愛と警句を送る。

続けて、"百万週間話さなくても気にしない"ほど強い絆で結ばれた家族に家を買ったことを明かし、女性関係や事件の元となることを断ち切ったことを姉に電話で伝えようとする。
しかし、姉の携帯は電源がついておらず、姉が手紙を受け取る頃にはJIDは地元を長い間離れていたのだった。

コーラスでは、
"ショーに女達を呼び、プラチナやゴールドを添える。
家族がいなくなったらこれがどうなるか分かるだろ?お前はなんの為にここにいるのか分からなくなる。"と家族愛を口にする。

続いてJames Blakeによる
"ママ、娘、殉教者、訪問者、成功者、父親を忘れないでいよう。全ての亡くなった者たちを悼もう。"とのコーラスが挿入され、2ndバースでは、
"あなたは俺に名声を気にするなと言った。
あなたはラップゲームについて聞いたことを気にしているようだ。なぜなら黒人は小銭を手にするとすぐに変わってしまうからだ。
そして神の名を弄び、無駄口を叩くんだ。"
とラップする。

そして姉がJIDの曲を聴いた時、"あなたも同じことをしてる。"と言ったが、JIDは聞き入れなかった。
ライブには行列ができ、チケットは売り切れた時、姉の忠告を思い出す。
そこでJIDは"現金のために世界をブルドーザーで破壊する。"と決意する。
ともあれ彼女がJIDの成功を喜んでいること、魂を売らないことを続けて宣言しながら、自身の本名を見事に絡めつつ今後の方針を思案する。

続くラインでは、
"心の毒に冒されているのは俺だけじゃないんだ。
氷づけにされたダイヤで輝くライフスタイルは、ミソジニスティックな固定概念と結びついている。
奴隷時代の方言、民族の死、奴らは解釈するために解剖しようとする。
俺はそんな固定概念をただ物のように海に投げ捨てた。"とラップする。
ここではラップゲームに蔓延る物質主義とミソジニーを鋭く批判すると共に、民族の死(die tribe)をdiatribe(強い非難)にかけてそれらに対する自身の立場を表明するのであった。

そして"俺はこの作品で神への手紙を見つけようとしてるんだ。"と続け、
"いま俺はツアー中だ。探求する時間ができた。仲間に今まで見たことのないものを見せてやるんだ。
ドアを開けてくれ、あなたは俺が行くって知ってるはずだ。"とバースを締めくくる。

続いて
"なぜ私は顔の感覚が無くなるほどハイになるの?
心を解き放とうと手を尽くすけど、方法が見つからない。"とコーラスが挿入され、
3rdバースでは、"この曲の教訓は俺たちは直接会って話すべきだってことだ。伝言はファックだ。"とメタ的に言及し、
"親父のように馬鹿げたことをする。
俺はヤク中で、金はあるが血まみれだ。
もし俺を愛してるなら、理解しようとしてくれ。"と憂鬱にラップする。

そしてアトランタから離れていたJIDは姉とFaceTimeで電話するが、冷たい顔で、会話も少なかった。
また話すとなると、JIDは"Are you okay?"と声をかけられる。
JIDは姉が"家族から離れたい"と言い、教会の集いにも参加しなかったため、自分に怒っていると思っていた。

しかし、"悪いことがあった時だけ家族に会うのは嫌だ。"と語り、最後に会った日を振り返りながら、
"今日はもう疲れた。明日会える?
この歌を歌い終えたらすぐにでも会いに行くよ。"と語る。

"そしたら俺が未だにやること全てにおいて誠実だって分かるだろう。
悪魔とは関わらないが、俺は奴が追ってくることを知っている。
イエスが33歳で亡くなったのも知っている。Patrick Ewing(背番号33番のNBA選手)みたいに。"と続け、
"あいつは多分俺たちと同じことをしてたんだ。あなたの憎しみが増していくのも分かってる。
どんどん悪化している。俺たちの関係がそんなクソなことで壊れたのは悲しいが、もう過ぎたことだ。
Cashapp(送金サービス)で送った金を全部俺に返してくれよ。まるでお前は―みたいな態度だから―"と不穏な雰囲気になってきたところでバースは打ち切られ、電話が繋がらなくなってしまう。

この楽曲はまさにJIDではなく彼自身、Destin Choice Routeが語った、完璧なストーリー構成の楽曲だ。
この帰結を引き継ぎながら、物語は散漫に、そしてある程度憂鬱に進行していく。

10、Can't Make U Change

Ari Lennoxによる"あなたを変えることは出来ない"とのコーラスから始まるこの楽曲で、JIDはまたも「Never」に立ち返る。

バースでは、
"自分のやり方に固執する、それが失敗の元なんだってことは分かってる。
この時間と信頼を全て無駄にする。"と
ラップする。
そこに繋げて、
"ダイヤモンドの原石は、愛を見つけるのに最もタフな運を持っていた。
(ラップ)ゲームをしている奴を変えることはできないから、君はサブを見つけるべきだ。"と語る。
これは自身の頑固さをダイヤモンド硬さに喩えつつ、その原石に内在する幸運(加工されたダイヤモンドは幸運の石と呼ばれる)をタフ(硬い、困難)な運だと言っているのであり、そんなダイヤのように頑固な奴らが多くいるラップゲームでは従順なパートナーなど見つからないのだ。
ゆえに女の子はサブを見つける必要がある。

続けてLil Wayneの楽曲にかけて愛の方法を知ったと語り、またTLCの楽曲にかけて自らを皮肉る。
"昔はそうだったが、今は本当にゆっくりと分かってきてる。
俺は成長し、なお頑固者だ。
お前は急いでやろうとするけど―"
とここで先程のコーラスが挿入される。

ここまでのバースを踏まえると、"あなたを変えることは出来ない"の"あなた"はJID自身への言及でもあると分かる。
またこの楽曲は同じくAri Lennoxによるコーラスを挿入したJ. Cole「Change」と明らかに対比されており、自己をコントロールし、いわば禁欲的に夢や愛を大切にすることを伝えるJ. Coleに対し、JIDは自己のコントロールが出来ない部分、つまり「Never」にあえて目を向けるリアリスト的な一面を見せている。
しかし続くコーラス部分では、
"置いてかないでくれ。君は僕の求める全てだ。
もし君がここに残ってくれるなら、僕はやり方を変えるよ。"と歌い上げられる。
そんな意志を貫けない自己撞着も、変えられないもの、どうしようもないもの、つまり「Never」のひとつだろう。

それらを表すように痛みと葛藤の中、危険を冒し、尊大に生きていく様をラップする。
続く"奴らはリボルバーのように変化している。"というラインは巡り巡って同じ場所へ来るような変革不可能性を表しているのだろう。
最後は
"名声も金もクソ喰らえだ。"
"後は神にお任せしよう。俺は遠くまで行き過ぎたのか?"
と矛盾を抱えながら、思考も動転したままバースを終える。

"あんたは変えられない。あんたが変えたいのはこのクソみたいなビートだけ。
話をしよう。私たちはこのクソについて話すことが出来る。私の言ってることが分かる?"
多様なビートスイッチに、そしてそれにシームレスに対処するJIDのフロウに対して、彼の「Never」は変化を妨げる。

"私たちはこの黒人について話すことが出来る。無責任にね。
悪い女について話したいけど、それはあまりに責任が重すぎる。"
これも他者との接続不可能性による「Never」だろう。

思惑通りにビートが変わり、
"黒人は変わりたいんだ。できる限りハードに努力する。
でも、人間の本質を再設計することは困難だ。"
と今作を、そしてJIDのキャリアを貫く考えが頭から提示される。
続くラインでは
"DND(携帯のおやすみモード)、彼女は俺のDNAを求めてDM(ダイレクトメッセージ)を送る。詐欺には引っかからない。
そしてまた俺はパンツの中の全ての考えを撃退している。"とコミカルでスキルフルなワードプレイを披露する。(JIDの「パンツの中の考え」は、銃による暴力への観念であったため、そこにもかかってagainと表現しているのだろう。)

さらに
"俺は変えられる。お前は俺に一度のチャンスすら与えないんだ。(俺はお前に100万、200万、300万回とチャンスを与えてきたのに)"と言いながらガールフレンドとの思い出を辿りつつ、そのガールフレンドが女性に寝盗られるまでの物語をラップし、
"人生は愛だ。愛は人生だ。それが純粋なものである限り。
俺は性別の話なんてしてないぜ。お前も一緒にこれについて考えられるはずだ。"
とLGBTQへの言及(Hiphopコミュニティから!)を含ませる。

そして自身をコントロールしていることをラップしつつ、
"匿名の女たちについて話している今も、俺たちはオーディエンスを獲得している。"
とバースの冒頭のラインを引き受けながら最後までコミカルにバースを終わらせる。

ただまたも
"私を弄ばないで。コインを集めてな。
子供を持ち帰ってあの女んとこに帰れ。"
"お前は私の家族を滅茶苦茶にした。"
と不穏な電話が挿入されるのであった。

11、Stars

JIDはYasiin Bey(Mos Def)の楽曲をサンプリングした「Surround Sound」に加え、自身のアルバムにYasiin Beyを客演を迎えたことについて"正気じゃないことだ。"と興奮を語っている。
そして同時にYasiin BeyはJIDのファンだと2017年時点で公言しており、この楽曲は両者にとって夢のコラボとなった。
楽曲の内容もキャリアを振り返りつつ、創造における苦心とここまで成り上がった過程についてラップしている。

バースでは、
"ベイビーガール、無職の黒人を信じろ。
そして君の家に泊めてあげるんだ。
俺がミックステープを出したら友達に聴かせてやって。
俺がブレイクしたら俺たち2人とも成功するさ。"とラップする。
ここでは過去のJIDの根拠の無い自信、そしてミソジニーや家父長制的な考え方を多様に声を歪ませながら語っており、そんな考えがどこの誰にでも蔓延っていることをその方法で表現すると共に、ブレイク前の制作における試行錯誤をこの楽曲中での声の変化によって暗喩している。またこれはJIDの表面上の自信と対比された潜在的な迷いの表現にもとれるだろう。

続けて贅沢な生活をあれこれと夢想しながら、"俺はアーティストだ"と何度も自分に言い聞かせる。
また"一生懸命にやっている。約束をしている。"と何度も自分に言い聞かせ、"ただアーティストとして成功するために―"と語る裏では、"俺は俺のクソな部分についてセンシティブなんだ"と本音もこぼす。
そして結局、このバースでは自身の声は定まらなかった。

コーラスではさらに本音がこぼれる。
"堂々と顔を上げて注目されるすごい方法。
ただ長くて寒くて怖い。でももう何も感じない。
目標を決めて準備万端だ。君はそこにいてくれるのか?"と自信と不安の入り交じった感情を吐露する。

"みんなスターに寄って集って、スターと一緒に過ごしたがる。"と続けながらJIDにおけるステレオタイプなスター像が語られる。("クリスチャン・ディオールを着たキリストは信じないくせに。"と皮肉を飛ばしながら。)

またJIDはTwitter(ネット上)で暴走するアーティストについて触れ、"お前はPOW-ERをコントロール出来てない。"とラップする。
自傷行為や薬物中毒についても同様に語り、そしてそんなアーティストを周りは制御する気がない。("誰も言いたがらない。")
"なぜなら仕事を失うのを恐れているから。"

また一つ前のラインではPowerをPOWとERと分けて発音しており、POW、つまりアーティストの置かれた状況をPrisoner of War(戦争捕虜)、ER、つまりアーティストの暴力行為やドラッグを中心とした自傷行為をEmergency Room(緊急治療室)と表現しており、それらの状況をもコントロール出来ていないと指摘しているのである。

続けて
"でもそうか、お前はJIDになりたいんだな。"
と子供に呼びかける。これはネット上で暴れる、もしくはエネルギーを持て余す若者、つまり"パワーをコントロール出来ていない"子供たちに送った言葉だろう。
JIDは彼らに向けて
"俺もJAY-Zに、Lil Wayneになりたかった。
Kanyeに、Andre 3000になりたかった。
フッドの女の子たちはBeyonceになりたがってた。"と語る。(SNS上の暴走の話題からKanyeとAndre 3000を並べるのはおそらく意図的だろう…)

そしてBeyonceの楽曲にかけて"携帯電話の料金を払ってくれないか?"と続け、そこからJIDは貧乏だった時代を再び語り出す。
"俺はただ契約を求めていた。
一生懸命に働いて、スキルを磨いた。
今も仲間と働いて、強靭な精神を磨いてる。
アパートで盗みを働いて、飢えをしのいだ。
そこから早送りで星が輝くビルにいる。"
と昔と現在を対比させつつ、
"少し待て。
スターとギミックの違いを知るんだ。
本当に芸術や評判のためにやっているのか?
本当に心や精神で生きているのか?
それはお前の一部であって、全てではない。"
JIDは星が輝いていることとそのギミック、つまり作り上げられたスター像に対して疑問を呈し、高尚なことだけをのたまうアーティストに対して警告する。(アートとは、自身を見つめること、真実を見つめることでなされるものだ。)

ここで今作の共同プロデューサーでもあるTane Runoによる
"俺たちの先祖から受け継がれた言葉。
俺は「新たな奴隷」が好きなんだ。"とのセルフが挿入され、Yasiin Beyのバースに入る。Yasiin Beyは、
"チェーンが垂れ下がり、揺れ、背中が壊れる。"と豪華なチェーンの重みで姿勢に支障をきたす様を数小節に渡ってワードプレイをしながら続け、
"打ち砕かれた精神を隠すように整えられた外見。"とスターを皮肉る。

また
"Jinn(イスラム教における精霊)は矛盾した格好を嘲笑う。
牢獄としての宮殿、小売の宗教、レッドカーペットの圧迫感、自由は虚構だ。"
とスターが自らの欲望や不安、名声、業界の「新たな奴隷」であることを暴くのであった。

さらに「人種」という概念が自然界に存在するように振る舞う私たちに疑問を呈しつつ、
"さあ金を手に入れろ。お前はイカれてる。
奴と一緒に行け。これを打て。これを飲め。"と快楽主義的で欲望に支配されたスター像を再び浮かび上がらせる。

そしてそんなライフスタイルを"そこに喜びはない。"と切り捨て、"イケてる女や冷酷な心"を持つ人々に嫌悪を示す。
続けてISISやエジプト神話を用いて税務署にも嫌悪を示しつつ、
"ガスの価格が気候を悪化させるまでは遠い親戚だ。"とコミカルにエジプトを揶揄し、
"不快な奴、おめでたい奴、卑劣な強盗、誰が一番良い奴なんだ?
約束された死は奴らの人生がなんであるかを知っている。"
と倫理を揺さぶりながら物質主義のライフスタイルにニヒルな価値観で対抗する。

最後は
"嘘つきのライオンを征服し、庭を求め、火から逃げろ。"と婉曲に皮肉ってきたスターたちを婉曲に警告するのであった。
(例えばここでいう嘘つきのライオンは作り上げられたスター像、庭は物質主義と世間の目から離れた穏やかな場所、火は欲望ととれるだろう。)

この楽曲では一気にスターダムを駆け上がる物語的、希望的な「外見」が語られるのと同時に、JIDの危うさと内省によるアイデアがYasiin Beyの深い啓蒙によって拡大されている。
JIDはリアリストとして、Yasiin Beyのアイデアにどう答えるのだろうか。

12、Just in Time

この楽曲は先程も登場したKenny Masonと、今作でも何度か言及のあるニューオーリンズ出身のレジェンドLil Wayneを客演に迎えており、
前曲「Star」のアウトロで流れたカウント(冒頭と同様のもの)を引き継ぎながら目覚まし時計が鳴り、Kenny Masonによる
"6時に起きて、9(9mm経口)に祈る。
12歳まで逃げていて、俺はトんでいた。
今日は時間を手に入れた。"
とのコーラスで幕を開ける。

"時間は最も重要なもので、俺は徐々に進歩してる。"から始まるJIDのバースでは、パクリや反物質主義など散漫なアイデアを婉曲にラップしながら、
"戯言はさておき、俺は十分な時間を手に入れた。
黒人が時間を浪費する街で、いつでもどんなことに対しても準備してきた。"と続ける。
そこから貧しく危険に溢れたフッドをアイロニカルに表現しながら、
"お前のお気に入りのラッパーにパジャマ・タイムだと言ってくれ。
彼は嫌な奴だが、俺の息子だ。
お前はover(終わり)だが、それはunderlined(強調されている)。"
とユーモラスに他のラッパーの曲、隠し子を揶揄し、時間を有効活用しながらスキルフルでリリカルなバースを蹴るJIDの存在は、そんな「終わったラッパー」に下線を引くのであった。

最後は
"俺は謙虚な心でお前の前に現れる。
腹も鳴くし嫌な臭いもする。
humble pies(屈辱)から大きなものを取る。"
と前曲のスター像を打ち壊しながら決意が語られる。

続くLil Wayneのバースは、
"時間は最も重要なものであり、俺はバレンシアガで祝福されてる。
ダイヤモンドは印象的だが、その親友は高価だ。"
と金、女性両面から物質主義的なバースで幕を開ける。
また
"俺は保護なしで完璧だった。それがあってもなくても。
「なぜ俺はこんなにreckless(無謀)なんだ?」という質問には答えられない。"
とダイヤを暗喩させながら自らを尊大に表現する。

"俺はtimeless(時を超越してる)だが、時間は十分に手に入れた。
鼻腔に炎症はないが、Slime(仲間)は十分に手に入れた。"
と巧みにワードプレイを仕掛けながら尊大な表現を続け、ここから時間をいつでも大事に使ってきたこと、ラインを超えてはならないことをテーマに怒涛のバースを蹴りつつ、それをやり遂げることを説く。

さらに
"俺は疎外しない、共感しない。
それが彼の心の中にあるのなら、決断の手助けをしよう。"と誠実なエンパワメントをラップする。
最後は敵対するものに脅しをかけながら
"俺はこの瞬間も武装している。この時間を逃すことはできない。
俺は今日、時間を手に入れた。お前もちょうど間に合ったな。"
とエンパワメントを含めつつ綺麗にバースを締めくくるのであった。

JIDはこれを受けて、アメフトや地元で非犯罪化された大麻をを引き合いにラインを超えないことを誇り高くラップしつつ、
"ゴールテープを切るまで何も考えるな。"とエンパワメントをも引き受ける。

また
"俺たちは十分な時間を手に入れて、沢山のライムを踏んできた。"
"俺たちは誰より金持ちだ。"とLil Wayneの楽曲を引き合いにスピットし、
"10セントで十分だ。黒人たちは忠告された。
これは警告だ。俺はただラップゲームを高級なものにするだけだ。
ルネサンスに値する現代のラッパーは誰だ?
時が止まるまで俺は動き続けるぜ。"と楽曲を終わらせる。
ここではYasiin Beyの反物質主義のアイデアを保持しながら、ラップゲームを高級化することで優れたラッパー以外を閉め出し、自らのスキルとリリシズム、エネルギーによるルネサンスを宣言するのであった。

13、Money

この楽曲は、
"小さな子供たちが集まって"、
"金だ。私が必要な全て。私が求める全て。
私を信じてね。あなたを臭いままにして、匂いを嗅ぐ。
私を信じてね。いや、あなたには信じられない。信じない。"
と拝金主義的なコーラスから楽しげに、そしてコミカルに進行する。

しかしJIDのバースでは、
"ほとんどの時間、金のことが頭にある。
奴らは金の上に俺たちのマスクを被せた。
だから俺は首謀者だ。
自分が混乱してるって認めてもいい。
俺はただ韻を踏んでるだけじゃないんだ。"
と前曲の決意を打ち砕き、金を求め、物質主義的に解釈されること、その矛盾を受け入れるような重い言葉を吐く。

そして自らを核兵器や神に例えながら、"永遠に俺についてこい。"と宣言すると、
"彼は1文無しで終わってしまった。
家族の中で一番若かったから、犯罪を犯さずに済んだ。"と幼少期を回顧する。

そこから自らの歩んできた道、貧しいフッドの現状をアメフト選手を引き合いに語り、
"Father Time(時の翁)が母なる地球を犯し、アンクル・トム(白人に媚びへつらう黒人)を産んだ。
いま白人どもは黒猫を口車に乗せてをかっさらっているんだ。"とラップする。
ここでJIDは、「時間が連れて来たもの」である、黒人差別の歴史とそれが解決されないことがアンクル・トムを産んだとしつつ、そんな黒人たちを白人が上手く利用していると指摘している。

また無知に漬け込む「聖なる水」を買った祖母、幼少期に手に入らなかったジーンズを手にしただけでNFL、NBA選手に嫉妬するほどスター気取りだった10代の自身を振り返り、
"金稼ぎの計画をもし誰かが話していたら、put some green on his head(懸賞金をかける)しようと考えている。
そいつはMarcus Smartになった方がいいな。"とラップする。
これはNBA選手であるMarcus Smartの髪色(緑)にかけて、JIDの前でそんなことを話すのはやめて、Smart(賢く)になった方が良いとワードプレイしている。

そしてまた幼少期を振り返り、
"俺たちは何一つ手に入らなかったから、そいつはいつも心の中にいるんだ。
なぜなら俺は子供の頃ボローニャ・サンドイッチを沢山食べたからだ。
そいつが俺のためにそれを作ってくれるなら、今誰かを殺してやるよ。"とラップする。
ここでは金稼ぎの計画をする誰かを今でも求め、奪おうと考えていること、そして幼少期の経験が現在の欲望や人格形成にいかに大きな影響を与えるかを過剰な表現で語っているのだ。

続けて
"貧乏でいることが豪勢なライフスタイルであるなんて皮肉なことだな。
奴らが日の出から日没までドラッグを売り続けても不思議じゃない。
窓の外へ叫びながら、さらに稼ごうとする。"とバースを締めくくる。
これも貧乏だった経験が人に豪勢なライフスタイルをさせること、もしくは豪勢なライフスタイルを見せつけるために貧乏でいるようなラッパーを皮肉っている。
とにかく貧乏だった者は、金稼ぎの強迫観念から逃れられないのだ。

2ndバースでは、1stバースのリリックが最初から最後まで対比されながら進行する。
"いつにも増して金のことが頭にある。
俺の仕事はライムを促進し、自慢せず、輝くんだ。"とバースを始め、爆弾を用いて敵を牽制し、
"社会に適応するな。
ゴールは時間切れになる前に最も多くの10セント硬貨を手に入れることだ。"
と反社会的かつ拝金主義的な考えを語る。

そこに絡めて
"奴らがゴールラインを動き続ける時、黒人が得点するのは難しい。
あいつは宝くじを持って酒屋の前にいる。
グレシャム通りのWalmartで2交代勤務。(人生は俺にとってクリスタルの階段なんかじゃない。)"とラップする。
ここでは生得的な条件が優れている人間、競争においてリードする人間が必死に努力し続けた場合、「黒人」は逆転不可能であることをワードプレイを用いた比喩と錆びた現実の風景で表している。これもJIDにおいて何度も語られる「Never」だ。

続けて
"早送りだ。忍耐なんてクソ喰らえだ。俺はもう待たない。
俺はDreやJAY-Zみたいに金を追いかけるようになった。Yeみたいにイケてる格好でな。"と今までの考えを破壊する破滅的な拝金主義をスピットしながら、口汚くNワードを口にした有名人にディスを飛ばす。

"OPP(他人の女)かIOP's(新規上場会社の社長)のビッチが必要だ。
ODB(Ol' Dirty Bastard)みたいな気分だ。お前ら俺の金を持ってた方がいいぜ。"
とさらに野蛮にラップしながら、子供を養うために母親の祈る回数が増え、食卓には冷蔵庫から昨夜の晩御飯が並んだ幼少期を(1stバースと同じように)再び振り返り、
"座っていただきますをしよう。
子供の頃、俺たちはボローニャ・サンドイッチをたくさん食べたからな。
俺はそれを今すぐ食えるならなんでもする。"と今度は1stバースのアイデアを肯定的にラップする。

最後は
"ドラッグを手に入れながらそのライフスタイルを宣伝しないなんて皮肉だな。
ただ家族と仲間を食わしてやりたいだけだ。
今すぐ乾杯しよう。金を手に入れろ。
俺と一緒に大声で言ってくれ―"
と「行儀の良さ」を見せながらも、露悪的なコーラスを肯定するのであった。

JIDはここからどう逃れるのだろうか。逃れられるのだろうか。そもそも逃れようとしているのだろうか。時が運んできた「PTSD」は、「Forever」なのだろうか。
徹底的な自己撞着を孕んだこの楽曲は、それ自体がひとつの「Never」だろう。

14、Better Days

この楽曲は
"以前はより良い日々を過ごしていた。
永遠が遠い昔のことだったかのように感じる。
良い時と悪い時のバランスをとる。
君の目隠しを受け取って、ただ神のみぞ知る。"とのコーラスから幕を開ける。

JIDのバースでは、
"双子よ、良い時代を忘れるな。
俺たちは10歳の頃から友達だったんだ。"
と家族ぐるみの付き合いがある("君の両親は俺を三男のように扱った。")JIDと最も親しい("君は俺の兄弟だ。俺は君のために殺してやる。")いとことの思い出を語る。

カサンドラ症候群に悩まされていたいとこは現在収監されているが、"27歳まで(Dreamvilとの契約を勝ち取るまで)熟睡できなかった" JIDは何度も面会しており、
"彼が怒りに燃えている"間、JIDは"アトランタを熱狂させていた。"
"コービーが亡くなった時、JIDはLAのグラミー賞の会場にいた。"
と対比を繰り返しながら、
"恩寵を与えられるようアラーに祈る。
法は通路に横たわる。"とラップする。

しかし、
"君が他の事件で捕まった時、俺はお前が何を考えていたのか分からない。"と再び事件を起こしてしまったことを明かす。
その事実を受けて、
"ママが言ってた。「お仕置きを受けるのには十分な歳だ。」
俺はまだ彼女の子供の一人だが、彼女はお前がまだここにいることに感謝するべきだと感じている。"と語る。
JIDの母親は彼に冷たくあたるが、彼がいなければ自分の子供を失っていたかもしれないほど、JIDにとって彼は大きな存在だったのだ。

続いてJohntá Austinによるコーラスが挿入される。
"人生はあまりにも現実的になり、あなたはあなたを作り上げる。
築き上げた人生のスキルはあなたに選択させる。
古い時代と新しい波の間で、偽りの友人と本物の裏切り者。偽りの知識と本当の価値。
それを見抜くために計算し、行動する。
時間をかけて息を吸って、人生のスキルを通して達成する。
あなたのビジョンが私をあなたの奴隷にするから、私を通して自由でいてくれ。
だから私はより良い日々を祈る。"

2ndバースでは、
"永遠に成功するには本当に長い時間がかかった。
道を間違えて、長い間待った。
ただ長い言葉をラップするだけのことに。"
と人生を振り返る。
続けて自身の稼ぎを誇り、
"進歩するんだ。教訓、祝福、旅。
白人の罪悪感を煽り、黒人の重荷を説明する。
ストレス、入り口、出口、目的。
悪い日々の間の良い日を過ごせるよう祈るんだ。"とラップする。
前者の方法には同意しないが、易々と批判もできないだろう。

また両親に絡めて、
"完璧なものなんてないけど、俺は成功した。だからママは働かないで過ごせている。"と続け、父親は幼少期には敏感で注目されることを嫌っていたJIDがここまで成り上がったことを予言していたという。
"お前は自分が思い描くものになるよう運命づけられている。"

そうして強くなった自分自身を誇りつつ、
"奴らを投獄しようとしたが、逃げられた。
もし俺たちが捕まえられないなら、神が捕まえてくれるさ。
殺人鬼のカルマを背負う必要はない。
しかし、あなたは俺たちと良い日々を過ごした。友達が恋しい。"とラップする。

過剰さを捨て、トラウマを運ぶ「Forever」から逃れ、ある種の諦観を手にしたJIDの頭から離れないもの、それは友達だ。
収容されているいとこはもちろん、次の楽曲「Lauder Too」のLauderも、昔亡くなったJIDの友人の名前である。

15、Lauder Too

アルバムのアウトロを飾るこの楽曲は、一曲でここまでの音楽性を統合したように、切迫したベースラインに不吉なシンセサイザーのウワモノ、ソウルフルで甘美に聴かせるコーラス…と怒涛の展開を見せる。
またリリックにおいてはデビューアルバム「The Never Story」のアウトロ「Lauder」の続編として描かれている。

「Lauder」は尊大なリリシズムで他のラッパーを攻撃しつつ、
"時は流れ、第三の目は実際に精神の病を映す。(貧困層の多くは依存性含め精神病の実在を認めていないとされている。)
頭がおかしいのか?
死ねたらいいのに。薬で病気になる。中毒になる。
俺の鉛(ペン/銃)は奴らを襲い、与え、地獄に送る。"
と自身の暴力性、ひいては人は自らの精神性から逃れられないことを、つまり決定的な「Never」をボースティングを含ませつつ語り、憂鬱にバースを終わらせる。

しかし「Lauder Too」はより内省的に、より真実に向き合いながら落ち着いた口調で、不安に滲む希望が少しだけ語られるのである。
JIDは、
"踏み込みすぎない方法を見つけよう。
でもそれが俺なんだ。
なんというか、うーん、なんでもいいか。"
と自らの人生、リリックを振り返りつつも結論を出さないままバースに入る。

バースでは、
"申し訳ないが、俺の一部はさらに多くを求めてる。
心を、アートを、動脈を捧げる。
お前は何が欲しいんだ?「もっとだ。」
マイノリティの黒人は喜びを求めてる。
奴らはそれを奪い取り、振り返る。
俺はその一部始終を描くんだ。"とラップする。
ここでいう「お前」は、JIDを消費する私たちでもあれば、JID自身でもあるだろう。

続けて
"神の御前の幕屋では、形式は意味をなさない。
声と共に出てくる言葉を無効にするつもりはない"
とラップスキルへの崇拝を一部取り下げるような考えを語り、言葉に意識が向けられる。

"俺は頭の中のノイズにうんざりしてるんだ。
だからもっとビックな奴になれ。引き金に指をかけろ。
壁の鏡を見ている時にな。
そいつの背骨が裏返るまで、そいつを引き裂こう。
クラックはお前らなんか相手にしちゃいない。"
ここでは自己の変革を過剰な形で表現しつつ、反薬物のアイデアをスピットする。

そしてここでJIDは
"ライムを走り書きして、観客は歓声を上げる。
でも俺の心の中では、彼らが俺の言うことを全く聞いていないように感じるんだ。"とラップする。
彼の心の中の感覚は、決して間違っていないだろう。スキルの影に隠れたJIDの言葉を真剣に検討したリスナーは少ない。

そんな受容のされ方を打ち砕くように、
"物事をもっと大きく捉えようぜ。
俺たちには欠点がある。でも良いんだ。"
と温かくエンパワメントする。

さらに
"お前は数字を拾っている。俺たちは誇りに思っている。お前は料金を払った。
だが今、お前は自分のできることをしなければならないし、権力を乱用してはならない。
計画を立てよう。そして追い求め、食い尽くそう。"とエンパワメントを続けながら、
"だがクソみたいなことはするなよ。
俺は45口径で最前線だ、前へ出るな。
昔も今も先週も来月も。
後部座席。散弾銃。逃げるな。一発だ。"
と「永遠に」ラップゲームをリードしていくことを決意するのである。

ここでRavyn Lenaeのコーラス
"何を言おうが何をしようが、ハイになろう。
これは旅だ。私はあなたのそばにいる。
悪魔よ、戦いに向かおう。"

2ndバースは、1stバースの冒頭を引き継ぎつつ、"過去を引き継ぐ"私たちについて、今度はマジョリティによる圧迫を語りながら幕を開ける。
"閉ざされた窓、選ばれた役員室、退屈な黒人たち。
やることはないが、戦争の傷とさらなる抗議の祈り。
キャンドルライト(追悼)の月、多くの女たち、多くの未亡人たち。
男も子供もなく、食料を探している。"

また
"くそったれ。俺は本当に病気なんだ。お前らにもう治らないって言ったんだ。
騒ぎを起こして、咳をしながら正当な愛をスピットする。"と悲痛にラップする。
ここでは「Lauder」のアイデアを引き継ぎつつ、「Forever」に逃れようと必死にもがいているのである。

そんなJIDをドラッグへの誘惑が襲うが、
"銃弾ではなく兄弟を抱きしめてやろう。
トラブルが起こっても俺たちは決して崩壊しない。"と強く語る。
しかしその思いに反して、"だから俺たちは一生を棒に振るんだ。"と撞着したアイデアが浮かび上がる。

ただそれらを振り切り(振り切ろうともがき)つつ、
"敵が来ているような変な気分になるんだ。
少し元気を出せば、何でもやる気になる。
さあ、恐れないで。恐怖を閉め出して。
愛を感じよう、今すぐ愛を感じよう。
雨よ降れ。愛を感よう。"と何度も語られる。
時間を流れで捉えてきた忍耐強いJIDが今すぐこの瞬間に欲するもの、それが愛であった。
「Forever」に唯一抵抗しうるもの、それが愛であった。
ただこのアイデアはそれがいかに難しいかを示すように、多くの声にかき消されそうになりながらかろうじて聴こえてくる。

そしてそれらは突如として打ち切られ、Ravyn Lenaeによるコーラス、
"海が乾いて死ぬまでずっと。
休息は保証されている。太陽は必ずまた昇る。
だから目を閉じて、恐怖を和らげよう。
あなたの耳元で囁かせて。永遠に。"
とJIDのリアリズムを維持したまま、終わるはずのない「The Forever Story」は、祈りのような静けさの中幕を下ろすのであった。

おわりに

私は「Lauder Too」までを作品概念として受け取ったが、真のエンディングはクリアランス問題によってアルバム収録が叶わなかった「2007」というYouTube限定トラックだ。
ここではJIDの父親とJ. Coleと共に自身の人生を振り返りつつ、"永遠にその名を鳴り響かせる"と前向きに歩み出すエンドクレジットのような楽曲だ。

とはいえやはり永く続く痛みや苦しみ、変えられないもの、そしてそれによる「Never」は確かにある。
むしろこの世は「Never」だらけで、その多くは「Forever」だろう。
それは理性的なリアリストであるJIDこそが認める部分だ。
しかしJIDは、「Forever」を「Never」だと主張することで、「Never」から逃れようとした。
"「永遠」は、遠くまでは行けない"のだ。

その上で、JIDにとって「Forever」は、否定的なニュアンスのみを含む訳ではない。
引き裂かれ、自己撞着的なバースをスピットするJIDは、「Forever」を破壊しながら、「Forever」を崇めた。
"永遠にラップするために、俺は辛抱強いんだ。"
JIDのこう語る限り、そしてその言葉は、永遠だろう。
(JIDはこの作品に一切留まらず、DJ Dramaのミックステープシリーズ「Gangsta Grillz」として「DiCaprio 3」のリリースを見据えている。)

また不可能性に目を向け、それらを切り捨てた時、新たな可能性に出会う。あるいは持っていた可能性に気づくのである。
自己の変革を要求せず、引き受ける。そうして開かれる世界の変革可能性。
今作はその潔い野心の萌芽でもあった。

そして悟性と構成力の自由な戯れ、もしくは自我との格闘の結晶化、そして根拠の届かぬ真理に出会わせることを芸術だと言うのであれば、生きんがために育まれた、そして育まれなければならなかったJIDの真実を結晶化するラップスキルそれ自体も十分に芸術だ。
デューイが経験、生活の中に芸術を見出したように、プラグマティズムに基づく芸術観は、そんな卑小に思える技術を、日常を祝福した。

JIDの言葉が事切れるのに一切の響きが無かったように、例えば死という「終わり」がいかなる形容も必要としないのと同じように、JIDはラップが上手い。
それ自体が彼の内的葛藤の証左であった。
そしてだからこそ、彼の発する「言葉」には胸を貫かれる。JIDはアーティストだ。

今作はビート、リリックにおいてもOGの引用が数多くされており、今日に至るまでJIDらが引き継いできたカルチャーは、また次の世代へ引き継がれていくことだろう。
人生、あるいはあらゆる意味で有限なるこの物語は、芸術作品を通して、また他者との出会い、葛藤、反抗、愛、広く生きんがための行為を通して、永遠の物語に変わるのだ。

また私たちは、痛みも悲しみも涙も引き連れながら無感情に進んでいく秒針に、何らかの態度を示さなければならない。
手垢のついた金言、"避けることができないものは、抱擁してしまわなければならない。"

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