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特掃隊長「特殊清掃 死体と向き合った男の20年の記録」

 特殊清掃とは「人間遺体・動物死骸・糞尿・山積ゴミなどに関係する特殊な汚染汚損を処理する」仕事。本書は「特殊清掃 戦う男たち」というブログ記事を編集したもの。2012年刊行の本だが、ブログはまだ継続している。

 書籍刊行の時点で20年のキャリアだから、現在はキャリア30年という大ベテランとなっている。

 凄惨な現場、印象に残った現場の記録が書かれている。とりわけ読んでいて心に残ったのは

・昔尊敬していた知り合いの自殺した現場
 幾つもの惨たらしい現場を経験している著者が、気付いた途端に平静でいられなかった様が書かれている。

・息子の自殺した部屋の清掃を、一緒にやりたがる父親
「俺にはもう、息子にしてやれることはないんだから、やらせてよ」
 私とて父親の息子であり、息子の父親である。読んだ瞬間涙がこぼれた。

・敗血症で亡くなった娘の母親
 たった一晩で身体が3~4倍に膨れ上がり、「昨日まではこんなに綺麗な娘だったんですよ」と写真を見せる母親。病気による死は覚悟していたものの、死後の遺体の変容までは覚悟出来るはずもなく。

 人とは何か。死とは何か。読んでいてそんな気になってくる。そこへ解説の養老孟司さんが切り込んでくれている。

人を「人間」というのは、日本だけだと思う。「人間」は「人と人との間」だから、中国語では昔もいまも「世間」という意味になる。

日本の社会では、つまり世間では「世間の人だけが人」だったからでしょうが。「世間の人じゃない人」ってどういう人か。被差別民がそうでした。それと「死んだ人」でしょう。死んだ人は世間から「出る」。その代わり、浮世の義理はチャラになるんですよ。そうした意味では、「人間」とは差別用語というしかない。はじめから世間の「外」にいる人もあって、それが「外人」なんでしょ。

人と人の間が薄くなると、だから自殺が増える。私が死んだら、家族が傷つく。そう思う人が減ったから、自殺が増えたのではないか。逆に、「死んでやろう」という面当ての自殺が昔は多かった。そういう気がする。人間関係が濃密で、自分の死が家族に影響を与えることがわかっていたからであろう。

湯船でドロドロに溶けた遺体の残骸の下に、何かカチカチ当たる物がある。故人の銀歯が大量に転がっていたのだ。ドロドロに溶けた遺骸の中に残る銀歯、という手応えの描写に震えながら、まだ血の通って生きて動いている自分の手を見つめてみる。眼の前にあるのに何か嘘みたいだな、と思えてくる。


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