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大江健三郎「私という小説家の作り方」(再読本)

 一見「小説家のなり方」系の本と見間違いかねないが、あくまで「大江健三郎という小説家がどのように出来上がったか」について書かれているので、他の人が読んでも、小説を書く参考にはならない。大江健三郎になるには、大江健三郎として生まれるしかないわけだから。同様に、自分を小説家にしたいならば、小説家としての自分を作らなければならない。

 少年が世界の見方に目覚めるきっかけが書かれている。
 学校で見た映画で、桜の花が枝ごと揺れているのが大写しになる場面で、こういうことは実際にはない、監督や助手がわざと枝を揺らしているのだ、と反撥した。しかし翌朝、間近に接して見た柿の枝は、前日の映画と同じように際限なく揺れていた。風の気配は感じなくとも。


 いわば悔いあらためた者のように、それからの私は、自分の生活圏の樹木と草の細部を、眼をすえるようにして見つめる慣いとなった。私が見るたびに、樹木の小枝は揺らぎ、草の葉は揺れていた。なにひとつ本当に静止してはいなかった。それまで自分が自然のなかの事物の細部をまともに観察してはいなかったことに、私は驚きをこめて気づくことを繰りかえした。私はこれまで自分をとり囲んでいるこれだけの樹木と草を、じつは見ていなかった! 映画のカメラによってそれを思い知らされるまで、十重二十重に樹木にとり囲まれ、草を踏むことなしにはわずかに歩くこともできぬ土地に生きてきながら、なにも見ていなかった……。


 何かを見る時に思い込みだけで「これはこうだ」「これはこういうもののはずだ」と書くのではなく、観察して実態を把握する。現在続けて著者の初期の作品を読んでいるのだが、そこに現れるのは瑞々しいというより、過剰なほどに生々しく、現在であれば「これはやりすぎです」と編集者に突き返されそうな描写もある。初めて大江作品に触れた十六歳の私は、まず初期の短編から取り掛かっていた。その後の読書の方向を定められたその頃、私は根本から歪んでいった。


 小説を書き始めた頃、当然に私の作品は細部から全体のレヴェルにかけて欠陥を持っていたに違いないのに、私はまったく書きなおしをしなかった。それは、書きなおしをするということ自体、小説を書く人間にとって、習練と経験を要する技術であることを意味している。最初の草稿を書き進めることは、自然発生的にできる。ところがそれを書きなおすことは、決して自然発生的な勢いでとりかかることのできる仕事とはいえぬものなのだ。


 初読の際に貼った付箋とは別の、今回読むにあたって改めて今使用している付箋を貼ったところを読み直してみる。二十年ほど前に読んだ際には琴線に触れなかったらしき所が今では響くこともある。私は大江作品に触れ、離れ、無性に読みたくなり、また離れ、時には他の作者を読めなくなり、といったことを繰り返してきた。読んだ直後には文体の悪い影響を受けてしまうことも多かった。

 自作について語る著者の文章を読みながら、ふと自作を思い出す。あの話を別の形で書き直したらどうか、とか、設定を一部替えて、男女置き換えて、時代を、主題を、などと思ううちに止まらなくなる。同様のテーマで何作でも書いていいし、昔書いたものを今の自分で上書きしてもいい。あの頃より廃れた感性もあれば、あの頃では書くことの出来なかったあれこれもあるはずだ、と。


『懐かしい年への手紙』への展開で、その後の私の小説の方法に重要な資産となったのは、自分の作ったフィクションが現実生活に入り込んで実際に生きた過去だと主張しはじめ、それが新しく基盤をなして次のフィクションが作られる複合的な構造が、私の小説のかたちとなったことである。


 一時私の書くものは「私小説風ファンタジー」と読者に言われていた。いつの間にやら大江健三郎の影響を受けていたのかもしれない。
 生々しさに嫌悪感と好感を同時に抱き、反撥しつつも離れることは出来ずに、いつの間にやら生涯傍らに置いている。再読シリーズが大江作品一辺倒にならぬよう、気をつけなければいけない。


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