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「音がら」#シロクマ文芸部

※「声がら」の続編にあたります。前回読んでいなくても問題はないです。

 ラムネの音がらがまだ残っている。ラムネを開栓する音だけは響くが、ラムネも、それを開けた人も、もういない。彼と一緒に見た窓からの花火の音も、彼が出ていった時の、乱暴に閉められたドアの音も、音がらとして去年の夏から残り続けているのに、新しい夏が来てしまった。

 蝉が脱皮して抜け殻を残して飛び立っていくように、去っていったものの音だけが残る現象を「音がら」という。教えてくれたのは二歳上の姉だった。姉の部屋には人の声の「声がら」が残っていたという。姉の殺した恋人の声がらが残り続けていたのだという。そのアパートが取り壊されて、姉は私の家に転がり込んできた。ラムネを開栓する音も、花火やドアの音も、姉の耳に届いていたので、私の幻聴でないことを知ったのだった。

「あなたも殺したの?」と姉は言った。私は姉のいう恋人殺しの話を真に受けていたわけではなかった。
「もう来なくなっただけ」
「本当に付き合ってたの?」
 そんなどうでもいいことに姉はこだわって聞いてきた。音がらばかりで声がらが残っていないのはおかしいじゃないの、というのだった。
「そんなことよりこれからどうするの」と私は姉に聞いてみた。
「馴染みの野良犬とどこか遠くへ行こうかな」
 そんな冗談を残して、翌日姉は消えた。後日、大きな犬と山の中を歩いている動画を送ってきた。

 音だけの打ち上げ花火を書いた小説があった気がして本棚を漁ってみたが、目当ての本は見つからなかった。その小説を漫画化した、暗い夜空にあがる、音だけの花火を大勢の人が橋の上から見上げている漫画も持っていた気がするのだが、本棚の裏板を破って探しても見つからなかった。恋人に勧められた本だけが本棚に積みあがっていた。とても建設的な、ポジティブな、前向きな言葉ばかりが並んでいたので、私は数ページでそれらを読むのをやめていた。

 私は自分の大切な本が、縛られもせずにゴミ捨て場に捨てられていたのを思い出した。生ゴミ漁りに飽きたカラスがそれらをつついて開き、読み始めていた。少し賢くなった様子のカラスが、私の方を見て何やら語りかけていたっけ。
「捨てたんだ」と言っていたっけ。
「捨てられたのよ」と答えたっけ。

 姉は薄汚れたレトリーバーとの生活風景を時々送ってくる。そのまま犬と結婚できる国へと渡ってしまえばいいのにと思う。ラムネを開ける音がらに合わせて私は発泡酒の蓋を開けて、二口だけ飲んで流しへと捨てた。開かれていないドアの閉じる音に合わせて、私は枕を殴ったりもした。

 家の近くに住むカラスたちは、捨てられた私の本を読んだせいか少し賢くなり、小銭と文庫本をくわえて本屋のレジに持っていく姿を見るようになった。先日は図書館に居座っていた。その中の一羽が、窓を開けて音だけの花火を眺めている私の隣に、寄り添ってくるようにもなった。
「誰もいなかったんじゃねえの」とそいつは言った。
「お前の残した音がらが残っているだけじゃねえの」と続けた。
 姉が殺したという恋人のように、声を残してくれなかったのだから、そう思われても仕方がなかった。
「無口な人だった」と私は反論した。
 会っている間は、一言も口をきかなかったのだと。黙って行為だけをするのだと。私が用意していた彼の好物のラムネを渡した時だけ、少し微笑むのだと。金を渡すとすぐに帰るのだと。

「そんなの恋人じゃねえよ」といってカラスが私にくちばしを寄せてくるので、羽根を一枚ちぎってやった。羽根の裏には文字が書かれていた。捨てられた私の本の中の一節だった。
「人の本を食べるんじゃないよ」と私はカラスを小突いた。
「もっと食わせてくれ。読ませてくれ」
 私は昔自分で書いた本の一冊を持ってきた。ほとんど読まれることなく、ひっそりと絶版になっていった本の、最後の一冊。
「なんだこれは。よくわからんな。文章も、味も」
「カラス向けに書いたわけじゃないから」
「じゃあ誰に向けて書いたんだよ」
 そう言われて、私は詰まった。誰にでもなく、私にですらなかったのかもしれない。その詩のような、夢のような、断片のような話を、私はどうして書いていたのか、今ではうまく思い出せないでいる。でも嫌いにはなれないでいる。捨てられないでいる。

 仕事から帰ると、カラスの羽ばたきが聞こえた。窓を開けっ放しにしていた。音がらかと思ったが、カラスは実際に部屋にいて、まだ本になっていない、本にするつもりもない、書きかけの私の原稿を読んでいた。ノートに書いたものも、パソコンに打ち込んだものも両方。
「何してんの」
「腹が減ってたんだ」
「何で読んでるのかって聞いてるんだけど」
「音がら、食っておいたぞ」
 そういえば、ラムネを開ける音も、花火の音も、ドアを閉める音も、聞こえなくなっていた。

 その後私たちは二人の人間の子どもと、二羽のカラスの子をもうけた。
 なんてことにはならなくて、その夏の終わりとともにカラスはうちにこなくなった。一度本屋で他の女性の肩に止まって結婚情報誌を読んでいたのを見た。私が羽根をむしったところがまだはげていた。

 私は久しぶりに恋人に電話をかけてみた。当たり前のように不通であった。恋人の在籍していた店も既に閉店しているのは知っていた。私は恋人の残した本を廃品回収に出した。きちんと紐で縛っていたので、カラスはつつきにこなかった。

 後に「犬と別れた」といって再び私の部屋にあがりこんできた姉と一緒に、カラスを撲滅する旅を始めるのは、もう少し先のお話。冷蔵庫に眠っていたラムネは、とっくに賞味期限が切れていた。

(了)

今週のシロクマ文芸部「ラムネの音」に参加しました。

音だけの花火、もしくは音のない花火の話、内田百閒の話のどれかだったとは思うのだけれどうまく探せず。その世界観を漫画化したのが高橋葉介の夢幻紳士シリーズのどこかにあったのだと思うのだけれど、そもそも本棚までたどり着けず(押し入れの奥)。

今回は挿絵を控えたのは、やっぱり女性画像を描かせると、これは、というのがなかなかできてこないから。水墨画調だと和装から抜け出てくれないというのもある。

登場する人物とはイメージが違う。
この後二人は別れる

原案は架空書籍54冊目

最終的に姉妹はカラス撲滅の旅の途中で出会った、同じくカラス撲滅を目指す兄弟と出会い、なんやかんやあった後、どうにかなって、結局カラスを撲滅はできなかったけれど、天寿を全うします。

※画像は全て生成物です。文章は生成物ではありません。

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