「夕焼けは裏切り」#シロクマ文芸部
夕焼けは裏切り、と松永久秀は一人呟いた。清少納言「枕草子」のパロディである。
・春はあけぼの
・夏は夜
・秋は夕暮れ
・冬はつとめて
という書き出しで、それぞれの季節の見どころを伝えているエッセイを久秀がふと思い出したのは、空に血が飛び散っているような美しい夕焼けを見たからであった。久秀が特別に「枕草子」を愛読していたということではない。多読の久秀の頭の中にある無数の引き出しの一つがふと開かれたというだけのことだ。「夕焼けは裏切り、朝焼けは泥酔、胸やけは」と続けかけたところで止めておいた。
松永久秀(1508-1577)は室町時代に活躍した戦国武将であり、裏切者の代名詞としても知られる。仕えていた主君の三好長慶が亡くなると、彼の基盤を乗っ取るように動き、当時の将軍であった足利義輝を暗殺、その後織田信長に降ったあとも離反するなどした。もっとも、動きが派手なために当時の悪名を全部一人で引っ被った感もあり、将軍義輝暗殺も実行犯ではない。大仏殿を焼いたこともあるが、それが彼の命令だという証拠はない。
まあだからといって彼に着せられている汚名が全て誇大広告というわけでもないだろう。後世でいわれているほどではないにしろ、十分な悪党であったのではないか、とここに記す私は思うのである。
久秀が夕焼けを見て裏切りを想った時に脳裏に浮かんでいたのは、現在の主君である織田信長の顔であった。無類の読書家であった久秀には、これまで読んだ書物を総合した結果、ある程度の未来予測ができた。あまりに苛烈に部下を支配する信長のやり方では、いずれ自分の配下の者に謀反を起こされ、志半ばで倒れるのが目に見えていた。いやむしろ、信長は敢えてそうして自分の跡を、自分とは違ったやり方をする誰かに継がせることで、この国を治める腹積もりなのでは、と思うところもあった。
そうすると自分が裏切ることさえ、信長の掌の上で踊らされているのに過ぎないのか、とも思えた。しかし一度芽生えた裏切りへの欲望は萎えて縮まることなく、むしろむくむくと肥大して久秀の全身を支配していった。「春も、夏も、秋も、冬も、全て裏切り」と「枕草子」を書き換えていった。
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物語を中略するので、血生臭い話の合間にかわいらしいレッサーパンダの画像をお楽しみください。
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結論からいえば久秀の謀反は失敗し、信長旗下の軍勢十万に、彼の立てこもる信貴山城を包囲されていた。使いの者が、久秀所有の名物茶器「平蜘蛛の釜」だけでも避難させるように促したが、久秀はこれを退けた。茶器一つ差し出せば助かるかもしれない命などに未練はなかった。久秀は頭脳明晰過ぎたがために、自分の取る行動によって引き起こされる結果も、現状の織田勢力と自分の実力差も、はっきりと分かってしまっていた。だからこそ、だったともいえる。自分が織田政権下に残り、天下統一の助けを果たしたところで、早晩何かしらの難癖をつけられて処罰されるのは目に見えている。それならば、将軍暗殺、大仏殿焼き討ちなど大量の悪名に更に上乗せして自ら生涯を閉じる方が、後世に自分の名を残せる、と判断したのだ。中途半端な成功と穏やかな余生よりも、未来永劫残る悪名の方を久秀は選んだ。もっとも、自分の悪名よりも信長の方がずっと、という思いは拭えない。
平蜘蛛を抱え、底を叩く。タン、と乾いた音がする。城門が破られ、織田の軍勢が雪崩れ込んでくる足音がドドドドと響いてくる。久秀は平蜘蛛ごと自身を爆発させるための大量の火薬を、彼の籠る天守に撒き始めた。爆死の準備が整うと再び平蜘蛛を手に取り、タンと叩く。タタタタと鳴らす。軍勢の鳴らすドドドドが近づいてくる。ドド、タン、ドド、タン。ドドタドドドタドドドタドドドタド、久秀の口から自然と辞世の句がこぼれ始める。それは数百年後に「シアターブルック」というバンドによって歌われることになる「裏切りの夕焼け」という歌の歌詞と、寸分たがわぬものであった。歌詞を丸写しするといろいろ怒られるので、ここでは動画を貼るにとどめておく。
「裏切りの夕焼け」を歌い終えた久秀は、叩き過ぎてヒビの入ってしまった平蜘蛛を抱えて天守に火をつけた。直後の大爆発により、天守に迫っていた軍勢がいくらか呑み込まれたという。爆発直前に聞こえていた久秀の圧巻のライブパフォーマンスを伝え聞いた信長は、平蜘蛛の消失よりも、久秀のラストライブを観れなかったことを悔しがった、と伝えられている。
(了)
今週のシロクマ文芸部「夕焼けは」に参加しました。
久しぶりの時代小説。「裏切りの夕焼け」と松永久秀を絡めるアイデアはずっと前からあったもの。
入院費用にあてさせていただきます。