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乙一「シライサン」

 ふと聞いた怪談に強力な呪いの力があり、聞いたことで伝播していくものだから、死の連鎖が止まらなくなっていく……という話。

 発端となる怪談の聞かせ方が巧い。手の指を使い、右手と左手で、追う者と追われる者の演技をする。指の演技に見入っていると……。

 この指演劇を、私はよくやる。
 寝かしつけの時が多かったが、最近は日中やお風呂場でもやる。
 今の流行りは「川へ洗濯に行くおばあさんと、遊び回るおじいさん。やがておばあさんがおじいさんを捕まえに来る」というお話。
 最近はそこに息子の指がゲスト参加して、「おじいさんと一緒に遊ぶケンちゃん」の役をする。両手を使って二人に分裂したりする。

 家から徒歩一分の場所に、近隣の幼稚園及び小学校低学年の、遠足の定番となっている大きな公園がある。敷地と敷地の距離でいえば、徒歩十歩だ。
 コロナや夏の暑さで避けていた公園遊びも、秋頃から再開した。連日連れ出されることもしばしばだ。
 冬が本格化し、陽が落ちるのが早くなり、夕方五時を過ぎると真っ暗になる。
 家が近いので、他に誰もいなくなっても、息子と遊び続けることがある。
 そんな中、砂遊びや滑り台で動き回った後の休憩中に、指演劇が始まることがある。

「昔々おじいさんと、おばあさんと、ケンちゃんと、やって!」
 暗くなった公園のベンチで、左手のおばあさんが川へ洗濯に行く。
 右手のおじいさんは、息子役の息子の手と遊び回る。
 おばあさんがゆっくりと引き返してくるがおじいさんは気付かない。
 息子の指はいち早くおばあさんの接近に気付き、身を隠している。
 おばあさんが「コッチを、見ろォ……」と小さな声で呟く。シアーハートアタックである(「ジョジョの奇妙な冒険第四部、吉良吉影の使用する遠隔操作爆弾スタンド)。
 おじいさんは「え、何?」よく聞き取れなくて、しつこく遊び続ける。
 やがておじいさんはおばあさんに食べられてしまう。

 その場で止まらず、息子が走って逃げていくバージョンもある。おじいさん役の右手も付いていくが、当然追手であるおばあさんも帯同するわけで、おじいさんの負け確定の逃走劇である。

 そんな遊びを、彼は誰時の公園でするのだ。
「シライサン」を読んでいる最中の私は、怖いのだ。
 この演劇が本物になってしまいやしないかと。
 人ではないものが暗い公園に現れはしないかと。
 通りすがりの人にも驚かれているのではないか。連日続けば、「真夜中に遊び続ける親子連れの幽霊が」と、脚色されて噂になるのではないか。夕方五時も夜中の二時も変わらない暗さなのだ。追いかけっこの途中や、帰る準備の最中で二人の距離が少し離れた時など、端から見れば異様な大人もしくは子供と捉えられてしまうだろう。

「演じる」の「演」は、「縁」にも「怨」にも「淵」にも通じる。うっかり入り込みすぎて変な者を呼び出さないよう注意しないと。
 ただでさえ、息子が右手と左手それぞれを「ケンちゃん」と呼び、「二人ケンちゃん」として舞台に参加させるのを、私は結構怖がっていたのだから。どちらもおじいさん役の右手を一切助けてくれなかったし。半透明の見知らぬ子供が突然割って入ってきても不思議ではない。




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