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伐り倒された木々の記憶(「殺され屋」第七話)#シロクマ文芸部

 新しい父親が来る前に叩き込まれた教えが「積極的に人と話せ」だった。
 母親代わりだった女性はこう言った。「口数が少ない、大人しいというだけで、何をしてもいいと思う人間もいる」と。自分自身について語っていた部分もあったのだと思う。
「会話をすれば、人と認識される。同じ人間相手ならば、酷いことをされる可能性が低くなる。相手に物か人形かと認識されてしまえば、酷いことをされる可能性が高くなってしまう」
 そうして私は積極的に人と話し、父親の代わりになった男たちと打ち解けることができた。人見知りせずに話しかけ、彼らの話したいことを引き出した。ある男からは読書の楽しみを教わり、図書館通いが始まった。ある男はギャンブル狂であった。ショッピングモールのメダルゲームコーナーで私にギャンブルの薫陶を施した。


 ふとそんな昔のことを思い出したのは、子どもの頃住んでいた街が近くにあることに気がついたからだった。殺し屋に狙われるようになってから頻繁に住まいを変えていたが、近頃は狙われることも少なくなり、一つどころに長く留まっていた。子どもの頃に通ったショッピングモールは、名前を変え、昔よりずっと巨大化していた。電車で二駅の場所にあるそこに私は足を運んだ。子どもの頃の思い出といったって大したものではない。たまには一人で過ごそうと、誰も誘わなかった。

 親子連れ、カップル、仲良く練り歩く子どもたち、彼らの間を一人で通り抜ける。これといって欲しい物があるわけでもない。誰もが誰かと繋がっているのを見ているだけでもいい。
「あれ買って」「だめ」「ケチー」そんな会話をいくつか耳にする。
「あいつまじ最悪」「でもあいつだってひどくない?」「うんうんわかる」その横で「全くわからない」みたいな顔をしている子もいる。
 かつて私は同じ場所で、親代わりの大人たちに何かをねだった覚えはなかった。友達と呼べる誰かと歩いたこともなかった。今では曖昧になってきている大人たちと交わした会話の節々で、私は細かくボケている。突っ込まれることで会話のやり取りは続いた。

 殺し屋だ、と気がついたのは、同じ顔が何度も目に入ったからだった。特殊な訓練を受けたわけではないが、物騒な連中と常日頃接していれば、自然と人の殺気やら気配にも敏感になる。人よりやや爬虫類寄りな、カエルっぽさもある顔の男とやけに目が合った。エスカレーターで、店の中で、回数を増すごとに彼の瞳に殺意が増えていくように見えた。結局何も買わずにモール内を数時間うろついた後、フードコートで腹ごしらえをすることにした。
昔と変わらず営業を続けているラーメン屋で、「野菜もりもりラーメン」を頼む。大人たちが一番喜ぶメニューだった。殺し屋らしき男もフードコートにやってきて、パスタを注文して席についた。ラーメンが出来上がるのを待っている私をさりげなく伺う気配がある。

 ラーメンが出来上がると、私は頼まれてもいないのに、カエル男の目の前に座った。
「殺し屋さん、こんにちは」と語りかけた。カエル男は頻繁にまばたきをして、声をあげられないでいる。
「違いますか? 殺し屋さんのような気がしたものですから」ラーメンの味は変わらない。美味くも不味くもない。昔よりも野菜のもりもり感が減っているのは物価高のせいだろうか。コロナ禍も一段落して、テーブルの間にあったパーティションは取り払われている。カエル男の顔に触れることもたやすい。少し触れてみる。
「何するんだよ!」
 肌の質感はカエルではなくて人のものだった。
 カエル男は私の名前を口にした。
「殺し屋って何のことだよ。同じ小学校の、覚えてないか?」
 少しの間ではあるが、子どもの頃に住んでいた地域だ。偶然顔見知りと出くわしてもおかしくはなかったわけだ。殺し屋に殺されかけることに慣れすぎた私は感覚がおかしくなっている。何が「物騒な連中と常日頃接しているから感覚が磨かれている」だ。自意識過剰じゃないか。もちろん彼の名前は全く覚えていなかった。「野菜もりもりラーメン」を見ながら「森君だよね。覚えてる覚えてる」と言った。覚えてない覚えてない。
「林だよ! 木が一本多い!」

 カエル君が言うには、病気で入院していた彼に、クラス全員で手紙を送ったことがあるらしい。その中で私の書いた手紙が特別印象に残り、「退院したらぜひ友達になりたい」という返事を書いたという。その返事が返ってくる頃には、私は自分で書いた手紙の内容を全く覚えていなかった。そして長期入院していた彼が私と会うことを願って小学校に復帰した頃、既に私は転校してしまっていた。

 正直に言った。
「どんな内容の手紙だったか、全く覚えてないんだ」
 最近書いたパルプ小説の結末も既に忘れてしまっている。書いている最中は覚えている。何事も完結してしまうと、流れるように忘れていってしまう。物語も。人間関係も。
「メダルゲームのギャンブル性についてだったよ」
 通常ならば、100円で10枚のメダルと交換できる。しかしメダルの塊をすくい上げるクレーンゲームがあり、うまくいけば100円で20枚や30枚を取ることができる。次に、じゃんけんゲームに挑戦する。勝てば2枚から20枚まで獲得するチャンスがある。設定が甘かったのか、10枚以上獲得するのも珍しくはなかった。全てが運良く回れば、100円でメダル50枚獲得することも難しくはない。しかし、逆に全てがうまくいかなければ、100円でメダル0枚ということもある。
 ギャンブル狂の男に教えてもらった、当時のメダルゲームコーナーの立ち回り方法だった。そんなことを入院中の級友への手紙に記す子どもはどうかしている。でもおかげで少し思い出せたことがある。
「阿佐田哲也の本を読みふけっていた頃に書いたやつだ」
 読書家の父の後にギャンブル狂の父がいた。いや、順番は逆だったかもしれない。ともかく、父親たちと私の共同作業により、彼の人生に影響を与えてしまったわけだ。

 殺し屋などではなかったので私は安堵した。
「手紙の主がいないから、仕方なく俺は一人でメダルゲームコーナーに入り浸るようになった。少し大きくなればそれはギャンブルへの情熱に変わってしまった」
 小学校時代の手紙の思い出を頼りに、偶然見かけた私を見つけてくれるなんて嬉しいじゃないか。
「せっかく重い病気が治ったっていうのに、別の病気に取り憑かれてしまった。自分で稼ぐ前に、親の金を持ち出してのギャンブルさ。次第に市民のお遊びじゃ物足りなくなって、鉄火場に入り浸るようになった」
 しかし彼の話を総合すると、よく考えたら私と彼は顔を合わせることはなかったわけだ。手紙に名前は書いていた。頻繁に父親が変わるので、私は一貫して母親代わりの女性の名字を名乗り続けている。どこかで私の名前を検索して、顔写真でも手に入れたのだろうか。
「膨れ上がった借金は、親の金では賄えなくなった。非合法なことに手を出して捕まりもした。一度狂った歯車は二度と戻らない。出所後もギャンブル狂いに後戻りさ。賭ける金を手に入れるために、殺し屋を始めることにした。登録した殺し屋サイトで、俺は決して忘れることのない名前を発見した。それがお前だった」
 懐かしい場所を訪れて懐かしい食べ物を食べながら、昔話に花を咲かせる。何だかどこにでもある平和な光景だ。私にだってこのような生活を送れるのだ。毒殺とか爆弾とか、そんなものとは無縁の世界で。
「俺をこんな風にしたきっかけのお前を、殺してやろうと思った。報酬の金で人生をやり直そうと思った。しかしお前がどこにいるのか分からない。殺しの武器となるような物を買う金もない。俺はふらふらとこの懐かしい場所に来た。俺だって始めはうまくやれていたんだ。初めてメダルゲームをプレイして、お前の作文に教わったやり方で、100円が本当に50枚分のメダルに変わった。あの時のように、全てをいい方向に転がせることができるんじゃないかって思った。そしたらお前に会えた。その気になればこのフォークでだってお前を殺すことができる」
 先程からカエル君が何やら話しているが、私は「野菜もりもりラーメン」と格闘しているうちに、箸を床に落としてしまった。しゃがみこんでいた私の上に、彼の手が伸びている。手にはフォークを握っていた。汚れた箸と見比べて、フォークを受け取る。
「ありがとう、木(き)君」
「木を一本足せ! あと人の話聞いてたか?」
「木木(きき)君、この後上のメダルゲームコーナーに行こうよって話だよね」ところどころは耳に入っていた。多分大体合ってるだろう。
「もういいよそれで!」こんなに気が短い男だったのか。いや、そもそも彼に会ったことはなかったんだ。

 その後気がつくと、二人揃って有り金全てをメダルコーナーで使い果たしていた。メダルの塊を救うクレーンゲームも、設定甘々のじゃんけんゲームも、既になくなっていた。二駅分の道のりを、歩いて帰った。なぜか途中まで着いてきたカエル君は、「お前といると何もかもが馬鹿らしくなったから、親に謝って一から出直すよ」と言って去っていった。
 誰に狙われることもない、平和な一日だった。

(了)

シロクマ文芸部のお題「新しい」に参加しました。

殺され屋シリーズ第七弾は、The Smashing Pumpkins「Disarm」をリピート再生しながら書きました。幼少の頃の記憶がキーとなっているので。

歌詞の意味、和訳などはこちら

うろ覚えの和訳歌詞の記憶から引っ張り出してきた曲のタイトルの意味が「武装解除」だったのを、本編書き終えてから気づいたので驚いています。


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