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恒川光太郎「ヘブンメイカー」

「スタープレイヤー」の続編。
 
 十の願いを叶えられるタブレット「スターボード」を操る「スタープレイヤー」の一人、佐伯逸輝が語る回忌録「サージイッキクロニクル」と、前作でも名前だけが登場した街「ヘブン」初期の住人鐘松孝平視点からのヘブン創生物語からなる。

 前作がスタープレイヤー個人の成長、願いの使い方の試行錯誤が主だったのに対し、今作はスタープレイヤー達の動きに翻弄されながらも、与えられた場所、与えられた生で懸命に生きる人々がメインに据えられている。

 思えば、皆何かを求めていたのだと思う。凄い速度で過ぎ去っていく青春のはじまりに、特別なエピソードになるものが欲しかったのだ。(「サージイッキクロニクルⅠ」より)


 佐伯がまだ地球の日本に住んでいた時に抱いていた想いだ。この特別な時期に共に過ごした女性とやがて再会し、恋人になる一歩手前で死に別れてしまう。偶然スタープレイヤーになった佐伯は、不幸になる前の、彼女との出会いからやり直す為の計画を立て……。

 世の中というのは容赦がない。誰が死のうと、何が壊れようと、くだらない日常スケジュールを消化し続けることができない者は、落伍者として置いていかれてしまう。(「サージイッキクロニクルⅠ」より)

 想い人を蘇らせたとして、その後二人は末永く幸せに暮らしました、とはいかない。その後もドラマは続いていく。末永くは暮らせなかった二人は別々の道を歩みました。二人に連なる人々には、もはやスタープレイヤーとは関係のない物語もあるわけだ。

 結局この惑星の正体や、スタープレイヤー達を召喚する者の目的は分からない。
 混沌とした世界に一人の超越者を連れてくることで、そこに元々あった社会は良くも悪くも変化する。スタープレイヤー同士が出会えば、必ずお互い気付きを得られる。

 ――なるほど。いや、そういうものなんですよ。片方には、至極当然のアイデアだったものが、もう片方は全く思いつきもしなかったということはスタープレイヤーの間ではよくあるのです。(「サージイッキクロニクルⅤ」より)


「こんな使い方があったのか」
「そんな考え方があったのか」
 というのは、何もスタープレイヤーに限ったことではない。軽い会話の内ににも、例えばnoteの記事を読んでもそういうことがある。

「自分がスタープレイヤーならどんな願いの叶え方をするか」と最初考えていたことが、次第に「自分がこの社会に放り込まれたら、どんな生き方をするか」に変わっていった。あまり長生き出来そうにはない。





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