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千人伝(二百六十六人目~二百七十人目)

二百六十六人目 緑鬼

みどりおに、は木々に囲まれた森の中で暮らすうちに緑色に染まっていった人であった。巨漢であったために、人と思われず緑の鬼と勘違いされてしまい、本人もそのまま人から離れて暮らし続けた。

緑鬼は森の中にあるものを食べて過ごした。森に迷って行き倒れた人間がいたら、自分と同じように緑色に染まるのではないかと、しばらく一緒に暮らしたりしたが、誰も緑鬼のようにはなれずに去っていった。

森が焼かれてしまった時、緑鬼は焼け焦げた木々に合わせて黒く染まった。すぐに緑色に戻れるように、肌の上辺だけを黒くしていた。しかしそこが再び緑豊かな森となることはなかった。緑鬼は黒い地面の上で眠っているうちに、その上に都会が広がってしまった。都会を脱ぎ捨てても、二度と元の木々に囲まれた森には戻らなかった。


二百六十七人目 踊る鮫

踊る鮫は元々は浅瀬に打ち上げられた鮫であった。波打ち際で遊んでいた少女と踊るうちに、鮫は人に近づいた。少女は鮫を海へ導いたが、踊る鮫は少女を求めて何度も浅瀬に打ち上げられた。踊るたびに鮫は人になっていった。

少女が大人になり海辺の町を去った頃、完全に人になった踊る鮫は海辺の町で暮らし始めた。海から遠く離れることはできなかったし、まだ身体の中は鮫のままであった。一緒に踊る少女がいないから一人夜の浜辺で踊っていた。

踊る鮫が踊っているうちに、地元の若者も一緒に踊るようになった。中には昔クジラであったものやイルカであったもの、タツノオトシゴであったものまでいた。みな海に戻り切れず、また陸のものにもなりきれずに、海から離れられずに踊っていた。

踊る鮫は彼らを食べたくなる時があった。しかし人になってしまっているから、人を食べては殺人となって捕まってしまう。それが分かっているから、みな踊る鮫を恐れずに楽しそうに踊るのであった。年月が経つにつれ、半数ほどは海へと帰っていった。陸に留まったものは長くは生きなかった。


二百六十八人目 使い捨てカメラ

使い捨てカメラとか使い切りカメラとか言われていたそれは、デジタルカメラやスマートフォンの普及や写真屋の閉店やらで出番がなくなっていった。大きな電気屋の片隅で稀に売れることを待っているばかりであった。であるから、人となって出歩いていても気づかれないのであった。使い捨てカメラは電気屋の店員の振りをして大型店舗の中をうろうろしていた。どのような理由であるか不明な、うろつく店員は他にも多くいた。

しかしある時「使い捨てカメラありますか」と当の使い捨てカメラ本人に聞いてくる客があった。「娘が修学旅行でいるのだというのです」使い捨てカメラが使い捨てカメラの置かれていた棚にまで案内したが、一台しかなかった使い捨てカメラは人となっていたため、「在庫切れ」の札が置かれているばかりであった。
「ちょっと学校に聞いてみます」客はそういうと電話をかけ始めた。
「もしあれば持ってきてもいいよ、というくらいで、なければ無理に持ってくる必要はないそうです」と、学校の返答を男は使い捨てカメラに答えた。

客が帰り、閉店時間も近づき、さりげなく使い捨てカメラは元の姿に戻って商品棚に収まった。しばらくは商品の姿のままでいよう、と誓った彼は、一年間誰の手にも取られなかった。あまりに誰にも興味を持たれなかったので、人になる方法も忘れてしまった。

※娘の修学旅行のしおりに持ち物として書いてあったものの、置いてませんでした。学校に問い合わせたらなければないでいいとのこと。

二百六十九人目 破れた傘

ビニール傘が折れて破れて人となった。安価で大量生産される商品にはごく稀に人になれる不良品が混ざることがあった。破れた傘は自分がそのような不良品であることは、折れて破れるまで気が付かなかった。持ち主に捨てられたゴミ捨て場でコバエにたかられながら人として破れた傘は目が覚めた。

拾われる物語は省略する。

破れた傘は人となっても傘であった頃の癖が抜けず、雨の日やら日差しの強い日やらに、他人に覆いかぶさることがあった。通りすがりの赤の他人にまでそうしてしまうので、不審者扱いされてよく逃げられた。逃げない者もいた。不思議そうに見上げると、かつて破れた腹が痛むのだった。かつて折れた腕の骨がまた折れる気配を見せるのだった。

破れた傘が人と結ばれ孫までできた経緯は省略する。死ぬと焼かれて彼は傘に戻った。傘の骨の形で残った彼の遺骨を見て、「やっぱり傘だったんだね」と親族一同は納得したという。

※息子が傘が小さいというので、どうせすぐ壊れるだろうからと思って買った安いビニール傘がすぐに壊れたのです。

二百七十人目 道の蛇

道が蛇になることがある。長く曲がりくねった道が道であることに飽きて蛇となるのである。自身の上を走っていた車両を呑み込んでさらに大きくなる。車両の中にいた人ごと呑み込むので、人の記憶も流れ込む。やがて道の蛇は蛇であることにも飽きて人となる。

道の蛇は人の姿に合わせて身体を縮めて人として生き始めると、車があった方がやっぱり便利だなどと思い始めて、車に乗って旅に出たりする。長く続くくねくねとした道を見て昔を思い出していたら、その道が巨大な蛇になって車を呑み込まれそうになったりする。かろうじて逃げ出したものの道になった蛇は追いかけてくる。

「俺も元々はお前のような蛇だったのだ。道だったのだ」と言ったところで道の蛇は聞き入れずに速度を増す。元は蛇であり道であった人は逃げることを諦めて、昔のような道の姿へと戻り、周辺の地面に吸い付いて固まり大人しくなる。追いかけてきた方の道の蛇は新しくできた地面を踏みしめながら、一歩一歩、人へと近づいていく。そこには少しの後悔が見えている。

黒沢清監督の映画「蛇の道」を観る。


入院費用にあてさせていただきます。