「ゼイリブらない」【掌編小説】

 他人からすると「なんでそんなことで?」という理由で喧嘩すること、特に長い間殴り合うことを「ゼイリブる」と言う。映画「ゼイリブ」由来のネットスラングである。
 森鴎外と谷崎潤一郎が、女性の好みを巡って殴り合いをしていた。マクドナルド二階席の一番端でそれを眺めながら、私はスマホで小説を執筆していた。鴎外が谷崎に馬乗りになったところでようやく店員が止めに入り、文豪は二人とも追い出された。二十四時間営業といっても、店内で食べられるのは二十二時まで。毎日ポテトL一つで長時間粘って掌編小説を一編書き上げるのが私の日課であるのだが、今日は没ネタばかりでノルマを達成出来そうにない中、文豪どもの喧嘩騒ぎのせいで、より一層何も書けない理由を作ってしまった。

 くだらない理由で殴り合えるほどの情熱を持てる人が羨ましい。きっと自分で立てた目標に向かって一生懸命になれたり、部活で爽やかに汗を流しながらチームメイト達と全国を目指したり、きちんとプロットを組んで長編小説を執筆できたりするのだろう。人間に化けている宇宙人を識別できるサングラスを、かけるかけないで殴り合えるような熱情は私にはない。そんな場面を思いつけるような仕組みに私の脳はなっていない。情熱でも熱情でもどちらでも構わないくらいの、繊細な無神経の持ち主である。「繊細な無神経」という表現をいつかどこかで使おう、と「アイデアメモ」というドキュメントに書き加える。

「ガラスのハート」「豆腐メンタル」という言葉がある。気の弱い人のことを指す。どんなことを言われても気にしないような人を逆に「心臓に毛が生えている」「ダイヤモンドのハートの持ち主」などという。
「ダイヤのハート」と略せば、トランプ的にそれはダイヤなのかハートなのか、というややこしい問題が発生する。「ダイヤのハートの持ち主が集まるクラブ『スペード』」などという、ただただ何もかもをややこしくしたいだけのクラブ名を思いつく。「アイデアメモ」に付け加える。そこにはこの先、日の目を見ることが間違いなくあり得ないようなものばかりが加えられていく。ネタの宝庫ではなく、ネタの墓場、死体を蹴り入れる場所、思いついてしまったがためにそればかり考えてしまい、脳のリソースを無駄に使ってしまいそうなアイデアを、とりあえず入れておく、という場所になっている。

 谷崎と鴎外がもう一度店に入ろうとして追い出されている。彼らの見た目から私が勝手に文豪名で彼らを呼んでいる。常連では他にも川端康成やスティーブ・ブシェミやチャールズ・ブコウスキーがいる。私も誰かにおかしなあだ名で呼ばれているかもしれない。小説を書いている最中にうとうとすることがあるので、色川武大と呼んでくれて構わない。
 意識的に目をギョロリとさせて周囲を睨みつけながら私は執筆作業に戻ろうとする。店内を見回しても誰もいないのだが。冷めて不味くなった最後の一本のポテトを私は眺める。このポテトを巡って起こる、誰にも理解できない情熱のこもった殴り合い。いや、食べ物での争いなら太古からある。本能を絡めてはいけない。もっと、限りなくどうでもいいことで。

「ゼイリブる」人と、一生「ゼイリブる」ことのない人。人類を大雑把に二種類に分けると、私は後者に分類される。「小説を書かない人」と「小説を書く人」でも後者。「感動出来るとか涙が出るとか前向きになれるとか勇気をもらったとか役に立つとか、読むことで何かプラスになれる要素を持つ小説を書く人」と「読んでも何にもならない話ばかり書く人」でも後者。自分にはもっと、爆発的で過剰で余分で馬鹿馬鹿しい情熱が必要なのだろう。
 そろそろ店内飲食の終了時間を告げる店員が現れる。彼もしくは彼女に殴りかかる、なんてことはしない。実は私は拳銃を隠し持っていて、店を出てすぐのところでいまだに言い争いを続けていた谷崎と鴎外を撃ち殺す、なんてことも起こらない。私は「今日は書けなかった」と落胆しながら、帰途に着く。それだけだろう。そして家に帰れば、人間に化けて地球に潜伏している宇宙人の恋人が待っていて、「今日も『ゼイリブ』観てたよ。二千回目」なんてことをまた言うのだ。
「頼んでた換気扇の掃除は?」
「掃除というのは一気にやるものではなく、一日少しずつやる方がいいんだ。だから今日は小さなゴミ箱のゴミを大きなゴミ箱に入れておいたよ」
「それは掃除とは言わない」
 少しばかり腹を立てても、私は恋人に殴りかかったりはしない。殴ってもぺこんと凹むだけで張り合いがない。
「ご飯食べないの?」
「延長戦」
 そう言って私は、マクドナルドでは書き上げられなかった小説の続きに取り掛かる。

(了)

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