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村田沙耶香「コンビニ人間」

 コンビニ人間である主人公の女性が、周囲に蔓延する「普通の人」からの同調圧力に抗して普通の人の振りをするように務めるが、どうにもならず、コンビニ人間へと回帰する話。

 コンビニ人間とは、自分の勤め先であるコンビニのことを常に考え、家にいても翌日の勤務に支障を来さないような体調管理に努め、コンビニの新商品も必ず自ら買い求めて味をチェックする、という人間のことである。

 主人公は昔から周囲と馴染めないでいた。家族は必死に彼女を普通の子に戻そうと努力するが叶わない。彼女は何も社会に反抗しているわけではない。同調しようとすれば、模写のようなやり方で自分を変えることも出来る。周囲の人間が入れ替わっていけば自分の中身も入れ替わる。彼女の妹は、結局姉は昔から何も変わっていないと嘆く。


「でも、変な人って思われると、変じゃないって自分のことを思っている人から、根掘り葉掘り聞かれるでしょう? その面倒を回避するには、言い訳があると便利だよ」
 皆、変なものには土足で踏み入って、その原因を解明する権利があると思っている。私にはそれが迷惑だったし、傲慢で鬱陶しかった。あんまり邪魔だと思うと、小学校のときのように、相手をスコップで殴って止めてしまいたくなるときがある。
 そんな話を何気なく妹にして、泣きそうになられたことを思い出し、私は口をつぐんだ。


 人間扱いされなかったなあと思い出す。
「人に刃物を向けたら駄目だろ」と言うと「あなたは人じゃないでしょう」。
「私は普通ですが」「あなたが普通の世界ならば、私は異常で構いません」。
「こういうふざけたレポート出したら怒られると思わなかったのか?」
「次からはふざけたのと真面目なの両方書きます」

 私自身は自分が異常であるとは考えていなかったので、普通になろうとする努力もしなかった。「コンビニ人間」の主人公は、努力の方向はどうあれ、通常の人達の世界に入っていこうとする。しかし断酒中のアルコール依存症の人が、一滴酒を飲んでしまって依存が復活してしまうように、しばらく離れていたコンビニに一歩入った途端、主人公はコンビニ人間に立ち戻ってしまう。

 社会から離れてしまった今、スクワットしながら読書をしていても、家族の誰も私を異常者としては扱わない。どのようなことをしていても「この人だから」で済まされ、矯正を強制しようとする人のいない場所で生きている。休園が長引きそうな下の子が私の背中に乗ってくる。肩に登ろうとしてくる。「コンビニ」を「家庭」なり「子ども」なりに置き換えてみれば、誰もが「○○人間」として、他者から見れば異常な世界で生きている。どうにか生き延びている。



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