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「炎上キーボード 改」#シロクマ文芸部

※1999年か2000年頃に書いた「炎上キーボード」という、タイピングが速すぎてキーボードが燃え上がる作者の話を原案にして書いています。元原稿はサルベージ不可能なネットの海に沈んでいます。

 文芸部の部室でまたボヤ騒ぎが起こった。高速タッチタイピング執筆によるキーボードの炎上によるもので、今月で三回目となる。文芸部員は執筆に集中すると周囲のことが目に入らなくなる。今回も部員の一人が一編を完成した瞬間に我に返って炎上に気が付いたからボヤで済んだものの、部員全員が執筆中であったら、校舎が全焼してもなお彼らは炎の中で書き続けていたであろう。

 なお、キーボードを炎上させたのは私で、火元発見者も私だ。入学当初二百人いた文芸部員は、今や二人しか残っていない。伝統あるホトトギス高校文芸部では、その指導の厳しさにより大半が筆を折る。今年の新入部員であった私と小松の、異様な情熱と活動内容から、同輩だけでなく先輩、さらには顧問までもが部から逃げ出した。

「どんなに速く打っても燃え上がらないキーボードが欲しい」と私は唯一残った部員仲間である小松に声をかけた。
「その発想では問題の根本的な解決には至らない」と小松は私の要望を否定した。
「君のタイピング速度でも燃え上がらないキーボードを開発したとしよう。しかし頑丈なキーボードを得たことで、君のタイピング速度はさらに増し、すぐにキーボードは悲鳴を上げて火を吹くだろう」

 小松家は科学技術の粋を集めて最先端の技術を駆使し、世の役に立つ物や役に立たない物を作っている。膨大な量の無駄な発明により世間に知られているが、宇宙開発やら海底探索やらに有用な特許も多数持っているという。
「何でも貫く矛と、どんな攻撃も防ぐという盾の話を知っているな?」
「矛盾というやつだな。中国の故事だろう。それがどうした?」
「ナノマシンによる自己修復機能付きの、最強の矛と盾を父が開発した。その結果、矛は盾の表面を貫きはするが、盾は自己修復してより強い盾となり矛を防ぐ。防がれた矛は自身を強化し、再び盾を貫き始める。数千分の一ミリの攻防がいつまでも繰り返されることになった。そのために建設された実験施設は、一見して静止しているように見えるナノマシン矛と盾により、使用不能となってしまった。矛と盾は薄皮一枚の攻防と成長を今も続けている。ひょっとして永遠に」
「つまり、何が言いたい?」
「必要なのは燃え上がらないキーボードでも、最強の矛と盾でもない」
「燃えても大丈夫な部室と、肉体、そう言いたいのか?」
「その通り!」

 小松の行動は早い。耐火構造の部室の工事と、燃え上がっても使用可能なPCとキーボードの開発が進められた。続いては私たちの肉体改造の番である。幸い、連日の酷暑日が続く校庭では、熱中症の危険があるために部活動をしている生徒はいない。
 私と小松は首にかけた画板に原稿用紙を挟み、校庭をランニングしながら、五キログラムのダンベル付き万年筆を使用しての新作執筆を始めた。右手が疲れると左手に万年筆を持ち替えた。両手が疲れると口でダンベルをくわえて筆を進めた。校庭一周ごとに原稿用紙一枚を書き上げていく。長編小説一編を書き上げる頃に、我々の肉体は酷暑を制圧した。途中、小松を誘拐しようとする悪の組織の連中を秒殺したりもした。
 
 鍛え上げられた私達の肉体は、業火にも耐えた。以前の倍ほどにもなったタイピングスピードは、あっという間にキーボードを燃え上がらせた。それでも壊れない機械と人との共同作業により、執筆は滞りなく進み、私と小松は部室に籠もった夏休み期間中に、週一ペースで長編小説を書き上げていった。

*

「そんな時代もあったな」
 数年ぶりに再会した小松と昔話に興じた。私たちの書き上げた小説はどの賞にも全く引っかからなかった。作品に込めすぎた情熱は暑苦しすぎた。我々と同じ体力を持たない者にとっては劇物でしかなかったのだ。その後私たちは宇宙空間での単独活動中による執筆、酸素ボンベをつけずに深海での執筆などを続けた。小説はさっぱり評価を受けなかったが、副産物による発明や新技術は、人類の活動限界を大幅に伸ばすことに成功した。
 
 高校を卒業する頃には、お互いの道は変わってしまっていた。小松は父の研究所に入り、世界的な発明を続けた。私は鍛え上げた肉体で地下格闘技の覇者となったが、結婚して子どもが出来たのを機に、表の仕事に就いた。

 私たち二人の卒業後、通常の部活形態に戻ったホトトギス高校文芸部からは、その後作家として成功している者もいる。もちろん彼はダンベル付きの万年筆や、燃え上がりながらも使用出来るキーボードを使って執筆したりはしていないという。
「実は、また書き始めているんだ」と小松は原稿用紙の束を私に見せた。
「私もだ」私も鞄から原稿を取り出した。
 奇しくもそれは「あの頃」の二人のことを書いた物語であった。原稿用紙の一枚目に同じ題名が力強い筆致で書かれていた。
「炎上キーボード」と。

(了)

 元々の「炎上キーボード」を書こうとしたきっかけはこの一冊。
島本和彦「燃えよペン」。

シロクマ文芸部のお題「文芸部」に参加しました。


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