太ったきっかけを遡ろう①

私は小学校3年生の夏休みまでは地黒でガリガリのごぼうのような少女であった。

母親が作ったおやつをたまに食べ、市販のお菓子は母親の気遣いで体に良くないから、と滅多に与えられず、日がなセーラームーンごっこや虫取りなどを全力で遊んで毎日を過ごしていた。
鍵っ子ではあったが基本的に学校が終わったら学童保育に預けられて、セーラームーンごっこや虫取りなどを全力で遊びながら親の迎えを待っていた。

小学校3年生の夏休み、両親が家を買った為転校、そして学童保育も無いので完全なる鍵っことなった。また、ここで月のお小遣い500円もスタートした。
転校先は転校前の小学校より若干田舎っぽい素朴なところだった。
友達もすぐに出来て連日皆でワーワー木に登って遊んだりする日々、そこで出会ってしまったのである。

駄菓子屋さん。

前住んでいた場所には駄菓子屋さんなんてものは無かった。
駄菓子屋さんは5円とか10円でお菓子が買えるのである。びっくりだった。
母親が作ったお菓子も美味しいが、娘の成長とともに母親の仕事は普通の業務になった為、滅多にお菓子を作ってくれなくなったっていうか普通に家にいないのでおやつは冷凍庫に常備されているチューペット位だった。かつ、市販のお菓子を食べたという記憶があまりないので私はテンション爆上がりしたのである。
100円で死ぬほど買える。(当時駄菓子に消費税はつかない素晴らしい時代)
友達と駄菓子を買い込んで公園でエネルギー補給、至福のひと時。
ちなみに骨が溶けると言われて炭酸も飲んではいけなかったので炭酸ジュースデビューもかました。

エネルギー補給をし、木に登り、17時のチャイムで家に帰り、親の作ったご飯をもりもり食べる。
そのようなルーティンが出来上がった。
なんてったって子供は白米が好きなので毎日やたらと白米を食べ、かつそこに駄菓子のカロリーも加わったので、小学5年生の時には立派なムチムチ少女になっていた。
そこから私は痩せたという記憶がない。


中学になると両親の仕事が忙しくなり、お昼ごはん代を渡され、かつお小遣いも少々アップしたのでお菓子の新作を買う。ちなみにこの辺から世はコンビニ出来まくり時代の記憶。いつでもどこでもお菓子が手に入る。
高校生はもっとお小遣いアップするので更にお菓子買う。
そして今の中高生はどうか知らないけど、授業を受ける机の上には誰もがリプトンの紙パックの紅茶をセット。私はミルクティーばっかり飲んでいた。
しかも女子中・女子高なので男子の目とは無縁。色々開き直ってガハハ系デブ女に育っていた。
高校3年生の時は152㎝60kgくらいあった。

姉は根暗ヲタク街道まっしぐら(偏差値の高い良い進学校に入ったのに高校卒業したら同人印刷会社に入社すると言ってよく両親ともめていた)、妹の私はガハハ系デブかつV系にはまって中二病炸裂していたので(当時V系の人が集まる原宿に行ってガハハしていた&思想が堕天使・黒い血とかそんなんだった)両親も何も言えねぇみたいな感じだったろうな、と今でも胸がキュンと痛くなる。

そんなこんなでガハハしていたら浪人し、普通の人より1年遅く大学生になった。
ちなみに大学は地方だったので初めての一人暮らしとなった。
最初は好きなもの食べられるー!と思っていたけどサークルの付き合いなどで金が無くなり、最終的に小麦粉を水で溶いて焼いたものをモソッと食べたりする悲しい女子大生になった。
そのおかげで体重は158cm52kgになっていた。この時の体系はデブというか、ムチっとした感じ。よくモテた。
この体系は20代前半の若さ故のくびれ、肌のハリ、ムチッであることを知らず、キャッキャと青春を謳歌していた。
長いのでここで一度やめる。


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