見上げた空と5歳の記憶

たまに思い出す記憶がある。
それは、5歳の時の記憶。今でもはっきり覚えている。

私の親は当時で言う「母子家庭」で母親の彼氏と兄と母親の4人で生活していた。
母親とその彼氏はパチンコ依存症とアルコール中毒で、家の中はベランダまでいっぱいのごみの山。
光熱費や家賃を払わずライフラインが半年止まった事なんてザラにあったような普通の人ならドラマでしか見たことないような中で生活していた。

寝ていたらおなかの上にでかいGが這ったり、何なら顔の上に落ちてきたことも・・・・

とても子供の住む環境ではなかったけど当時住んでいた土地柄的に、めんどくさそうな家族には関わらない・村八分にするところだったので、児童相談所が来ることもなく、いつも同じ服で髪はぼさぼさ、いかにもネグレクト受けてますと言わんばかりの風貌だった。

毎日同じようなルーティーンで生活していた。

朝起きると母親が寝ていて朝ごはんは当然なし。
保育園の登園時間を過ぎていると先生に注意を受けるので、適当なところで車から降ろされ一人で登園。
なんで遅刻するんだと何故か当時5歳の私が怒られる。
夕方になると、同じクラスの子は全員帰宅していき、保育時間を過ぎているにも関わらず迎えに来ない。

迎えに来る頃には外は暗くなっていた。

そこからパチンコ屋に一緒に連れていかされ閉店まで母親と彼氏は閉店まで打つ。打つ。打つ。そして私は憂鬱。

当然ここでもごはんなどなく、おなか減ったと店内に言いに行くと必ず言われた言葉。

「そこら辺に落ちている球を拾って菓子にかえて食べておいて」

球拾いをしていると、同情したのか球をくれる人がいた。
その球で言われたとおりにお菓子を交換して食べる。
暇になると近くの公園に行き、街頭の明かりの下にある遊具に座りよく空を眺めていた。

真っ暗な空を見上げながら初めての感情が湧いてきたのを覚えている。

「わたしはなんでいきているのかな」

大人になって考えてみると、それは生きていたくないという感情だったなと気が付いた。

そう。

5歳で「死にたい」と思った。

初めて自分の死について考えたのが5歳の出来事だった。

私の人生の記憶はこの5歳から始まるんだけど、ここから先の人生も普通の人では考えられないくらい波乱万丈という言葉でも足りないくらいの人生の記憶が積み重ねられていくことになる。

これはまた別のお話で。




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