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反反戦詩 ーあるいは十三月の蝿ー

不条理な死を高みから歌われるほどの辱めはない
ギリシャ悲劇的なその構図が「かれら」の気に入れば別だが

「殺すは歌う」

金蠅・銀蠅が死骸に産み付けた卵からも詩は生まれるだろう
太った蛆虫どもが幼子の屍肉を喰らって蠢く
やがて透明な黒い羽根を震わせながら飛び立つ
桂冠を頭上に抱いた十三月の美事な蠅が

「狼狽と恐怖は双子の兄弟」

蝿よ、
その高みから
ぼくらの死を歌うな
嬉々として
言葉の缶詰を投下しないでくれ!
ぼくらの死を爆鳴で祝福する
汚れた言葉の地雷を
どうか踏ませないでくれ!
あああ神よ、
ぼくたちに呪いの言葉を吐かせないでください
ぼくたちの屍骸に群がるこれら無数の蝿から
ぼくたち幼い魂をどうかお守りください

「存在することに成る神としての人間という跳躍を試みる朝」

数えてみるとちょうど十三匹の蝿が
ガラス窓と網戸に挟まれた薄い閉空間にこびりついている
朝の長い光が
東の窓の堕天使たちの震える黒い羽を焦がし始める
かれらは何処からやってきたのか?
大いなる疑問符に導かれる
宙空のファウスト
のこれは落書きだ
犬の貌の悪魔たちが噛み砕く。

(後記)
詩が私性に傾くことを批判するのもわかる。高所から見ればそれも当然だが世の中が悪くなればなるほど私生活の痛みが増すのも当然で地べたから見ればそうなる外にないということもある。誰かに旗を振られたらそっぽを向くのが詩人というものだ。そこからしか生まれない反語的共感こそが詩である。


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