奴隷博士

「詩と思想」(詩誌の名前と重なってる笑)。写真はすべてオリジナルです(絵画はネットで拾…

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「詩と思想」(詩誌の名前と重なってる笑)。写真はすべてオリジナルです(絵画はネットで拾ったものです)。小松正二郎詩集『聲』(モノクローム・プロジェクト)Amazonで発売中です。

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ミクロコスモス

『肉體は最高の位階にある神の変化そのものである』という奇怪な教義をもつ古い宗教があって、なにを隠そう私はいまや残り少ないその信者の一人なのだが、消えていった『言葉』の行方も「そこ」にあるらしいのである。細胞の数は銀河系の星の数に喩えられる。無数の思い出せない記憶の銀河=ミクロコスモス。 畏敬すべきS博士は天使の位階に関して普通には”より下位”と称すべきところを”より深い”と表現している。上から見ればたしかにその通りで人間はその意味では神的世界の最も深い階層を生きていることに

    • 民主主義ランダム・ウォーク

      敗戦後のある時期までは、『多数決』と言う方法が、単なる方法にとどまらずに、「民主主義」そのもののように輝いている時間があったのであろう。ともあれ、多数決がなにか理想的な手段であった時代は戦後民主主義におけるある特権的な時間帯で終わってしまったことは確かだし、そもそもそんな認識自体が幻想だったのかもしれない。 多数決民主主義の堕落は戦後日本人自体の堕落と直接結びついている。もはや多数決の正義を信じる者などどこにもいないだろう。つまりだれも他者を信じてはいないことになる。 そ

      • ゲミュート闘争

                   1 夢のなかで泥棒、侵入者と戦って、実際に身体を動かしているらしく(”夢中”になって身体を動かしている実感がある)ベッドから転げ落ちることが続いている。泥棒相手ではベッドから落ちて床に頭を打った。これは痛かった。侵入した不審者との闘争ではベッドから落ちた結果、左足首に軽い傷を負った。今夜からはベッドの下に厚い布団を敷いて安全策をとるつもりだ。しかし長い人生でこれまでベッドから落ちた記憶はない。 今朝も夢で戦った結果ベッドから転げ落ちた。相手に対してい

        • カタユデタマゴ

          一杯の苦い自我が注がれる午後三時 生まれたばかりの地球を銀のスプーンで溶かしながら 即自の海をやけどしないように飲み干す 神は言った、 われらの像(かたち)に、われらの姿に似せて、人を造ろう。 (創世記1:26) ニュートンのリンゴの木の末裔をどこかで見たことがある(それは外国だったかもしれない)。今ぼくの眼の前には不思議なリンゴの木がある。てっきり枯れたものと思っていたのだ。それは冬の間にすべて葉も落として見上げるような長い一本の棒と化していた。原初の闇のなかで神々

        ミクロコスモス

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          詩の椅子(改稿#1)

          地球現存在から”なにか新しいもの”が生まれなければならなかったとすれば、それが人間なのだ。。。 その人間がグレン・グールドになってピアノを弾いている林の奥で。。。 かりに此の世に「詩の椅子」があったとしてもそれが電気椅子ではないという保証はどこにもないだろう。あの世で詩が座っている椅子。だれも詩の顔を見た者はいない。ただオレ一人がかれの懐で見知った。         * 透明な硬質の立方体 世界を排斥しない体積 が存在するとはどういうことか 超越とは光を超えるこ

          詩の椅子(改稿#1)

          詩の椅子

          地球現存在から”なにか新しいもの”が生まれなければならなかったとすれば、それが人間なのだ。。。 その人間がグレン・グールドになってピアノを弾いている林の奥で。。。 かりに此の世に「詩の椅子」があったとしてもそれが電気椅子ではないという保証はどこにもないだろう。あの世で詩が座っている椅子。だれも詩の顔を見た者はいない。ただ一人俺がかれの懐で見知った。         * 透明な硬質の立方体 世界を排斥しない体積 が存在するとはどういうことか 超越とは光を超えること

          洪水について

          北側の窓に面して机を置いてこの冬は過ごした。もっぱらこの眼前の風景だけが自分の世界で、ときおりやってくる小鳥たちが画面の主役である。双眼鏡で観察する。小鳥たちはメンタルが安定しているとおもう。言葉はなくとも概念はもっているのだろうか。「言葉のない世界は真昼の球体だ」という詩人の言葉。小鳥たちの集合無意識=真昼の球体が現前しているのだ。死んだ詩人の断言の力が降ってきた。      1 洪水と グールドの歌いながらの平均律と 腹痛と冷たい風と青い空と 離着陸を繰り返す自己意識

          洪水について

          詩とはなにか ー異端審問ー

          「当事者以外には決してわからない種類の感情というものがある。すべてを栄養(ネタ)にしてしまう優等生の無神経さがとどかない深い処に・・・」 昨日(1月24日)は何報か書いたツイートが致命的だった。ツイートしないで保存に回す理性が勝ったが、そのぶんは結局「詩」として書かれてしまった。田舎で孤立している自分の立場がさらに危うくなるような内容だ。出版・詩壇系権力勾配の落ちこぼれで生きているのにどうなのか。      * また傑作(註1)を書いてしまった。ガソリンの代わりに世界を

          詩とはなにか ー異端審問ー

          反反戦詩 ーあるいは十三月の蝿ー

          不条理な死を高みから歌われるほどの辱めはない ギリシャ悲劇的なその構図が「かれら」の気に入れば別だが 「殺すは歌う」 金蠅・銀蠅が死骸に産み付けた卵からも詩は生まれるだろう 太った蛆虫どもが幼子の屍肉を喰らって蠢く やがて透明な黒い羽根を震わせながら飛び立つ 桂冠を頭上に抱いた十三月の美事な蠅が 「狼狽と恐怖は双子の兄弟」 蝿よ、 その高みから ぼくらの死を歌うな 嬉々として 言葉の缶詰を投下しないでくれ! ぼくらの死を爆鳴で祝福する 汚れた言葉の地雷を どうか踏ませ

          反反戦詩 ーあるいは十三月の蝿ー

          薔薇園#4

          飢え死にしたアジア人の屍肉を順番待ちしながら高い塀の上から見下ろしているハゲワシたち(の写真を中国大使に見せられる)。英米帝国主義の”pecking order”そのものだった(「戦犯」大川周明なら何と謂うか?)。 新自由主義の、「新しい資本主義」の潜在的屍肉=私もハゲタカの視線を感じ始めた。屍肉になるまで待てない、深紅のハラワタを引き出しては喰い散らかす世襲ゾンビの群れ。 私(=死)的感慨は放っておくべきだが。 ゾンビの食物は人間だけである。過去の人間だけを食べるゾン

          薔薇園#4

          錆シイ方舟#3

                       0 秋になった。「自己」の網の目がつながってきて面白く感じる。夏は生きているだけでたいへんだった。この不可視の網になにかが捕まるかどうかわからないが、脳漿の水面下にこの網を入れて動かしてみる。すると奇怪な形而上的魚類を捕獲することになる。そいつを「キリスト」と名付けよう。              1 すでに数日経ってしまったし、自分の夢としてはフロイト理論の射程内に収まるもので特に面白くもないが、新カテゴリーとして書いておく。 原宿あたりの

          錆シイ方舟#3

          錆シイ方舟#2

          秋になった。「自己」の網の目がつながってきて面白く感じる。夏は生きているだけでたいへんだった。なにかが捕まるかどうかわからないが、脳漿の水面下にこの不可視の網を入れて動かしてみる。すると奇怪な形而上的魚類を捕獲することになる。そいつを「キリスト」と名付けよう。             * すでに数日経ってしまったし、自分の夢としてはフロイト理論の射程内に収まるもので特に面白くもないが、新カテゴリーなのでメモしておく。 原宿あたりのカリスマ美容師の店で髪を四つ編み(まさしく四本

          錆シイ方舟#2

          錆シイ方舟

                  0 秋になった。「自己」の網の目がつながってきて面白く感じる。夏は生きているだけでたいへんだった。この不可視の網になにかが捕まるかどうかわからないが、脳漿の水面下にこの網を入れて動かしてみる。すると奇怪な形而上的魚類を捕獲することになる。そいつを「キリスト」と名付けよう。         1 もう数日経ってしまったし自分の夢としてはフロイト理論の射程内に収まるもので特に面白くもないが新カテゴリーなので書いておく。 原宿あたりのカリスマ美容師の店で髪を四

          錆シイ方舟

          「モブキャラ」の記

          詩の出版社から重量のある小包が届いて、開けてみると年刊のアンソロジーだった。ぼくも参加したような意味のプリントの一枚紙が同封してある。全く覚えがない。なにかの間違いだとは思ったが、一応確認してみた。やはりぼくの名前も作品もない。分厚い辞書のようなハードカバーで同じものが三冊。 最近は、ぼく個人宛の電子メールでも同じ文面の使いまわしで宛名が違っていたりする(元の宛名を変更してない)こともあった。 詩を書く人としての自己のアイデンティティの危うさを実感してしまう。”モブキャラ

          「モブキャラ」の記

          N氏からの手紙:詩集『聲』について

          研究會の先輩N氏から分厚い封筒が届いた。開けてみると便箋十八枚にびっしりと書き綴られた詩集『聲』の批評・感想だった。黒インクの流麗な達筆でところどころ読み取れない部分は推測で読んだ。ぼくはコロナ以前から研究會も出なくなって、すでに五年近くはご無沙汰しているのではないだろうか。 関係者に詩集を送付したのは昨年十月のことで、大方の反応(ほとんどがぼく個人宛のもの)は出尽くしたあとだったし、期待した詩誌などの出版物の反応も知る限り完全に無視された格好で、思うようには詩界に受け入れ

          N氏からの手紙:詩集『聲』について

          正弦波

          物理学教室の年老いた助手が正弦波の捕獲に成功したというので見に行った。正弦波の節(せつ)に捕まえ方のコツがあるらしい。虫かごに五つ入っているものを見せてもらう。譲り受けて正弦波の調理では右に出るものがいないというキダミノル先生のところに持っていくことにした。 老後の先生は光のなかでルソーを読むことを日課にしているそうだ。頻尿のわたしが”はばかり”をお借りしているあいだに調理が進んでいた。小さなアルミ鍋のなかで正弦波のコロッケがひしめいている。まだうわっつらは白っぽい。これか