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月蝕

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なにかものごとが噛み合って進んでいる感じを表現するのに文字通り歯車を表象するのはやはり適切ではなくて、たとえばモーツァルトの室内楽で、今聴いているバロックバイオリンとハープシコードの合奏による”バイオリンソナタ”(第二番ニ長調)におけるような、「噛み合い方」が起きていると考えたい。

受動的で煮え切らない性格のせいで、状況(月蝕とか)に押し出されないと決断ができない。いまは個人的にも転換期で、なにかが噛み合って動き出しているわけだが、その「噛み合い方」の音楽性に気づき、畏怖すべきこと。

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知らなかった道を車で走ることが増えた(もちろん人間の道だが)。道を作る・道が残るメカニズムはよくわからない。向こうから一台来たらどうしようもない見通しの悪い込み入った集落の細道を思い切って進むこともある(海岸に出るまで)。

道のことを考えると自然の自己相似構造(いわゆるフラクタル)が”自然に”思い浮かぶが、なにかが流通する道が、血管の構造(有機体)に似るのも、人間の営為が本質的に蟻のそれと変わらない『もうひとつのミクロコスモス造営』であることを指し示している気がしてきた。

そう考えると昨日走ることになった延々と続く一本道(適度に起伏があって気持ちの良い森を抜ける)のことも理解できるかも知れない。或る一定の周期で三体の埴輪に出会う。それぞれが秋のように乾いた皮膚を持ち、眼のない眼で世界を見ている。

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間歇泉のように存在が噴出する消失点。見えないものだけが確実に存在しているのだ。

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月蝕。感情の間歇泉からシャワーを浴びてなにが悪い?

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