「それ、意味なくない?」って思わない!?
Aさん「先生、私船つくりたい。」
私「おお。なんで?」
Aさん「テレビ見ててね、船作って島から脱出してたの。だから私もやってみたい。」
私「いいじゃん。作ろっか。どんな船?」
Aさん「水は、高いところから低いところに流れるの。それで、水が流れる勢いを使って、船が進むの。」
私「マジか!おもしろそうじゃん!何が必要?」
Aさん「んー、ペットボトルと紙コップとストロー。」
私「ちょうど図工で使ってた材料があるから、それつかってみたら?」
Aさん「いいんですか?」
私「もちろんいいよ。(私が用意したやつだからね笑)」
Aさん「よし、できた。」
私「じゃあ水に浮かべてみよっか。」
A・Bさん「おー!水が出た!進むー!」
A・Bさん「あれ?でもすぐ止まっちゃう。」
Bさん「どうしよう…じゃあ、水が入るストローの位置を低くしてみよっか。」
Aさん「いいね。」
Bさん「あ、チャイムなっちゃった。」
私「また明日作ろう。」
Aさん「ねぇ先生、楽しかった。」
私「だね。」
Aさん「休み時間だけじゃ足らないな。もっと時間使って作りたい。
帰ってからもう一回学校来ようかな。」
学びたい、やりたいってすごくステキ。
学ぶことの本質を感じた。
やりたいと思えることや楽しいと思えることをとことんできる環境を作ってあげたい。
だって、子どもの才能って無限♾じゃん。
やりたいことを、実現していくために学校があってほしい。
なのに、目的と手段が逆になっている。
例えば宿題。
出さないと先生や親に怒られる。
やり方が違うのはいけないこと。
違うでしょ。
わかるように、できるようになることが大事でしょ。
手段に囚われている。
本質を理解しないと。
私は、教員になると決めた時から、
「教員になって教育を中から変える」
って決めてた。
でも、実際の現場って、すっごく変な感じ。
もちろん地域や学校によるとは思う。
でも、やってることってそれ自体にどんな意味があるのかよくわからない。
ことが多い。
変えようとしてもなかなか難しいもんな〜
よし、教員やめよ。
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