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人間関係においては、優先順位が存在するらしい。

極端な話、2箇所違う場所で火事が起こり、それぞれに知人が1人ずつ巻き込まれているとする。
どちらかしか助けられそうにない状況だとしたら?

【例】
・自分にとってより大切な人を助ける
・自分や社会にとって価値のあるほうを助ける

僕はどうしても割り切れない。
僕は無心になって、どちらも助けようとする。
潜在意識が働いて、実は助ける人に優劣を付けるかもしれない。
けどそれって測りようが無いし、ただの結果論。

非ゼロサム思考、つまり「誰も取り残し"たくない"」っていう意思が、僕は大事だと考える。
パッと聞くと、傲慢・自己中心的で中途半端な感じがする。そんなの綺麗事だ、と。

確かに個人の力には限界がある。だから慈愛に基づいた施策実施には、「誰も取り残し"たくない"」っていう意思を、皆が持つ必要がある。
それが今や枯渇している。目の前の生活・老後の生活に必死にならざるを得ない。
 
こんな社会を作ってるのは誰だろう?

答えは僕たち自身だ。
僕たち一人一人が「ゼロサム思考」を少しでも引き下げることで、両方の火事被害者を助ける確率が上がる。

自分のためだけに、自組織のためだけに競争し合う世界には、もう限界が見えてきた。

無理はゼッタイしちゃダメ!その前提で、やれる範囲で慈愛の意思とアクションを抱える。
こんな当たり前の事が、もっともっと社会に浸透したら良いなぁって思った。

猿田彦コーヒーうま。


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