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【短編】古きよき決まりのもとにある日本



 試験官との面談は、午後の2時からはじまった。
「さて今日は」試験官氏はカチカチとペンを鳴らしてそう言った。「最後のテスト、面談ですね」
 ここの施設の白い部屋には、俺と彼との二人ぼっちだ。広い部屋だがピリピリと、緊張感が漂っている。
 今日の試験の面接官は、ここの施設の所長にあたる。太った体、鋭い目付き、白衣姿に貫禄がある。
 数度テストを繰り返し、やっと最後の試験まで来た。思考、言動、それに行動。ミスはない。うまくやれてる……はずである。
 連れて来られた当初には、わざと反抗してやった。それから徐々に意識して、従うようにしていった。少し以前と比べれば、試験官氏や職員の、態度も顔も軟化していた。
 俺はまず、ハイと答えた。ちゃんと元気な様子を見せる。だがここからが難しいのだ。
 なにせ思考も読み取られてる。中身ではない。「他の部分」を。
 この状態をキープするのは、正直とても難しい。だけどここから出たいのならば、これをきちんとしなきゃならない。


「ここに入って、どのくらいです?」 
「1年かなぁ。そのくらいです」
「手元の資料、これを見るとね、明日で1年。丸1年だ」
「そうですか。もう1年になりますか」
「『会話の方は大丈夫』。この資料にも、書いてあります。確かにだいぶ、うまくなったね」
「皆さんのおかげですから……ありがとう」
「だが問題は、『思考』だよ。ここが一番大変なんだ」
「そうですね。きちんとルールを、守らなければ……」

 ビイッと部屋のどこからか、警告音が鳴り響く。センサーは、あらゆる場所に置いてある。日本全土の津々浦々に。
「一ヶ所ミスがあったようだね」試験官氏は頭を掻いた。
「そうですね……さっき言葉に、おそらくですが、『八』が混ざっていたんでしょうね」
「これくらいなら、問題ないよ。普通の人のミスの範囲だ」
「すいません。なんだかだいぶ、緊張してて……」
 嘘だった。少しのミスがあるほうが、本当っぽく思わせられる。

 試験官氏は立ち上がり、部屋をぐるぐる歩きはじめた。
「しかしその……窮屈だとは思わないかね?」
 大きな窓の前まで進み、つと足を止め、庭を見やった。緑豊かな広い庭園。
 呟くように、彼は続ける。
「発言でなく、思考まで──いや“リズム”まで規定されては。つらくないかね? 苦しくはない?」

 なるほどこれは揺さぶりを、俺に対してかけてるんだな?
 反政府、反制度的発言で、収容された俺なのだから、そうやすやすと出しちゃくれまい。
 それはわかっていたけれど、こんな露骨なことを言うとは。
 俺はただ、黙ったままで聞いていた。
 来るはずだ。奴らが今にここに来る。もう少しだけ、辛抱すれば……

 試験官氏は静かな声で、教師のようにこう言った。
「私のような立場の者が、おかしなことを言うようだがね、実際どうだ? このように、縛られながら生きていくのは?」
 ゆっくりと、振り向きながらこめかみに、人さし指を当てるのだった。
「このチップ──8年前に義務化され、日本国民、全ての者の、頭の中に埋め込まれてる」
 ここに来て、昔のことを持ち出した。目的がまだ、掴みきれない。
「『古きよき、日本を現代(いま)に、取り戻す』……このスローガン、覚えてるかい?」
「はい無論。覚えてますよ」と俺は言う。
「内心の自由は保障されていた。それは今でも変わりはないが──しかし代わりに、ルールができた。日本独自の新規ルールだ」
「あの時は、デモが頻発しましたね。一部はかなり暴れ回って……」
「その中に、君の兄貴もいたんだろ?」

 ……………………。

 俺の心が揺らぎかけたか、それは兄貴のせいじゃなかった。
 人影が、庭をよぎったためだった。
 やっと仲間がやって来たのだ。あと1分の、辛抱だろう。


「どう思う? 8年前に死んだ兄──デモのさなかに催涙弾が、頭部直撃──そうだったよね? 国に対して、腹は立たない?」
「……悲しいですが、怒ってません。そういう時代、でしたからねぇ……」
「なるほどね……。すまないね。つらい記憶を掘り起し、いじめるようなことを言ったが──」


 庭の繁みの中から腕が、一本ヌッと現れた。
 サムズアップが、目に飛び込んだ。
 準備完了。
 さてと、やろうか。 
「……すいません。少し、ひと言、いいですか」
 彼の言葉を打ち切って、俺はいきなり、そう言った。


「いま迎えが来たもんでね、俺はここから出ますよ」
 俺は“七五思考”と、“七五”で喋るのをいっぺんにやめた。
 途端に胸にスカッとした爽快感が満ちて、思わずこう続けた。
「あぁ! いい気分だ! 五語だの七語だの! もう知ったこっちゃない!」


 部屋の中にビイッ、ビイッと耳をつんざく警告音が響いた。そしてさらにこの、今まさに考えている「俺の思考リズムの乱れ」を検知して、重ねてやかましく音が鳴り響く。
 1年! まったくこの1年! 正確には364日! まぁもうどうでもいい。この耳障りな音をどれだけ聞かされたことか!
「おい君ね! どうした急に! 突然に!」
 試験官は狼狽して叫んだ。他に誰もいないのに周囲を見回す。どうしようもない奴だ、と、この破調思考にまたもやブザーが騒ぐ。
「おい君ね! きちんと思考したまえよ! 七語と五語で! 思考したまえ!」
 この状況になってもまだ七と五の調子で喋っている。施設の職員なら緊急時、一時的にセンサーをオフにする装置と権限があるだろうに。
「もうウンザリなんだよ!」
 俺は警告音にかき消されないように怒鳴ってやった。
「この1年、我慢してきたんだ! この国が強制する『七、または五』のリズムをね! でももうその必要がなくなった!」
「何を言う! 君はこれから懲罰房へ──」
「懲罰房も電撃も矯正も今日限りですよ! さてはあんたアホだな? まだわかんないのか?」
「今にもここに、職員が来る!」 
「いいや! 職員よりも俺の仲間の方が先だ!」

 そう叫んだ直後だった。庭に面した強化ガラス窓が粉々に吹き飛んで、試験官も俺も一緒にひっくり返った。





「バカ。危うく死ぬとこだったぞ。火薬の量を間違えたな、リサ」
 俺は爆風で純白から灰色になった試験室で、顔についたススをぬぐいながら言った。警報装置もぶっ壊れたらしく、あの音はもう聞こえなかった。
「景気づけにカヤク・マシマシでやってみたんだけど、まずかった? 出所祝いのつもりでさぁ」
 リサは俺に言った。1年前はショートヘアだったのが今は五分刈りで、しかも髪は紫色に染まっている。鼻や耳のピアスも増えていたし、目つきもさらに悪くなっている。
「出所じゃあなくて脱走ですね。いや、これは脱獄かな」
 こちらは容姿の変わらぬダイスケが、左手にはめた腕時計と右腕につけたタッチパネルをせわしなく見比べながら言う。四角くていかにも真面目そうなメガネも1年前と変わりなかったが、実はこいつの背中には彫り物の龍が舞っている。この1年で消していなければの話だが。
「るっさいよダイスケ、あんた細かいことばっか言うよね」
「そうですかね?」
「たまにマジでシメたくなるんだけど?」
「殴り合いならいつでもいいですよ。何回やっても僕が勝ちますけど」
「あぁ? なめとんのか?」
「だって事実ですし……」
「てめぇっダイスケ、この四角メガネ野郎、この…………おい、あんたなんでニヤニヤしてんの?」
 リサは俺を見て変な顔になった。
「いや……ふふふ、もっと喋ってくれ」俺は顔がほころぶのを感じながら言った。「久しぶりに聞く“七と五”じゃない会話だ。嬉しくってさ…………」




 ──10年前のことだ。
「古きよき、日本を現代(いま)に、取り戻す」というスローガンの下、政府はおかしな政策に乗り出した。

「古きよき 日本の心 取り戻し 心豊かに なろうじゃないか 導入しよう “七五生活”」

 俳句や短歌やなんぞの「七五調」あるいは「五七調」、つまり七語と五語の調子を、日常生活に導入しようというものだった。
 日本の宝・七語と五語のリズム、これを言動と心に刷り込めば日本語の乱れは直り、大和魂が心に宿り、そして日本は大復活する── 
 頭のおかしな政策だ。だが当時の大人たちはこれに飛びついた。俺の兄貴を含むごく一部が強硬に反対したが、あれよあれよという間だった。
 大人たちが何を夢見たのかは知らない。だがあっという間に大人も子供もみんなして「七語、または五語」の区切りでの会話が奨励され、さらに頭にチップまで埋められて、思考言語のリズムまで七か五になるよう、ゆるやかに定められた。 
 奨励とかゆるやかな定めとか言うが、まぁこの国じゃそれは「強制」に等しい。
 それに従わない人間は施設に送られて、七五思考と七五会話を矯正……もとい、強制させられることになった、ってわけだ。

「形式の革命を伴わない内容の革命はありえない」と言った批評家がいたが、これを裏返せば「形式を縛れば、内容も縛ることができる」となる。内容、すなわち内面・内心のこと。
 かくして形式を縛られた人々は内面内心も縛られることとなり、より従順になった。俺たちみたいなネジれてグレている、反社会的な奴らを除いて。




「あー、なるほどね。そりゃそうか。丸1年だもんね~」
 リサは頷いた。
「嬉しい? ほらほら、普通の会話だよ? ごく当たり前の自由な発言、嬉しい?」
「嬉しいけど、そう何度も聞かれるとウザったいな」 
「1年間の潜入と調査、ご苦労様でした」ダイスケが律儀に頭を下げた。「おかげで3分でここの施設を制圧できました」
「3分か。すげぇな」
「しかも隊員はわずかに7名」
「……俺がいない1年の間に、どんだけ鍛えたんだよ」
「そりゃもうアタシがバリバリにやったんだからね! あんたが捕まってからまず1ヶ月目に」
「おおっと、時間ですよ」ダイスケがリサの自慢話を打ち切った。 
「もう23分で制圧部隊がヘリで来ます。その前にここの収容者を全員逃がさないと」
「全部で何人だ?」俺も正確な人数は把握していなかった。
「108名です」
「そんなにいたのぉ? 反政府的な輩ってけっこういるんだねぇ」
「お前もその一員だろ」
「そっかぁ」

「……待ちたまえ……」
 反対側の壁に吹っ飛んだ机の下から、試験官が這い出て来た。が、足が崩れた天井の下敷きになっていて、それ以上動けないようだった。
「お前たち…… こんなことして、どうなるか……! わかってやって…… いるんだろうな……!」
「うわ、ここまで来て七五とか。超キモいんだけど」リサが顔をしかめてダイスケの背後に隠れた。 
「しかも『五七五七七』ですよ。さすが矯正施設の試験官だ」ダイスケは奴に目も向けず腕のパネルをいじくっている。 
「……おっさん、世話になったな」
 俺は数歩だけ試験官に近づき、その顔を見据えながら言った。
「お前たち……! はねっ返りの…… 反政府…… 主義者はいつか…… 破滅をするぞ……!」
「……ダイスケ、これ、また五七五……?」
「えぇ、五七五七七です。しかも『はねっ返り』『反政府』『破滅』で頭韻まで踏んでますね……いやぁ筋金入りだ……」
「おっさん、 試験官さんよ。あんた俺に聞いたよな、『縛られながら生きていくのはつらくないか』って」
 俺は腕を組んだ。
「つらいもんだよ。あんたみたいに決まりきったリズムの中に安住できないもんでな。あんたにはわからんだろうが、枠の中で生きられない奴ってのは必ずいるもんだ。どんな時代、どんな場所にもな」
「ふざけるな! 社会適応! できぬのを! 格好つけて 誇るんじゃない!」
「別に格好つけてなんてないさ。ただこれが俺たちの生き方ってだけだよ。俺からしたらあんたの方がよっぽどカッコつけに見えるけどね」
 ダイスケが俺の袖をぐいぐい引っ張った。「あの、そろそろ行かないと」
「もう時間だってさ。クソみてぇな1年間のお礼をしたいとこだが、さっきの爆風でチャラにしといてやるよ! じゃあ…………」
「待て貴様!」
 俺はニッと笑ってこう言った。
「Goodbye!」
「きっ、貴様! せめて日本語! 使わんか!」
「再見!」リサがいたずらっぽく手を振った。「ほら、『サイツェン』だから、五語だよ!」
「Прощай!」ダイスケが目もくれず言った。
「それは何語だ! ふざけるな!!」

 いつまでも五語と七語でわめき続ける試験官を残して、俺たちは割れた窓から出ていった。



 俺たちが、そこを出てからどうしたか?
 これからは、どんな形で戦うか?
 そいつは今度、いつか語ろう…………






 ……まずいなぁ、七五のノリが、抜けないぞ。
 リサ、ダイスケに、馬鹿にされるな…………
 







【おわり】

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