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ララは愛の言葉。

17年と5か月を連れ添った、私の愛しい犬とお別れをしました。
「死」というものは、誰にでも訪れるのだけれど。
親の死よりも、悲しかったのだ。申し訳ないけれど。
母が最期を迎えた時の何倍も淋しくて、何倍も泣いた。

私と母はあまり良い関係ではなかったけれど。
それでも私を産み、女手一つで私を育てた人だ。
私のために、我慢したことも無理をしたこともあったと思う。
もちろん感謝している。
憎んだり、恨んだりもしたけれど、近所でも評判の美しい母のことを、心のどこかでは少し自慢にさえ思っていた。
長い闘病は華やかですらあった母の美しさを打ち消し、田舎町のホスピスで息を引き取ったその姿と人生の終わりは、私を寂寥感で苛んだ。
それは闇のように真っ暗になって、どんよりと私を覆いこむ。

だけど。
お母さん、ごめんなさい。

あなたの時よりも。
淋しいのです。
恋しいのです。

背中を丸めて、ため息をつく。
かすかに自分の両手が震えている。

ララ。

もっとこの手であなたを撫でて、抱きしめたかった。

私はずっと、独身のままでいると思ってた。
結婚という制度にも自分は弾かれてしまうだろう。
子供に恵まれることもないだろうし、授かりたいと願う日も来ないだろう。
そんなふうに思ってずっと生きていた。

だけど、小さな雑種犬と暮らすようになって、少しずつ、少しずつ。
氷みたいな、棘のような、痛みだとか、憎しみみたいなものが、ゆっくりと自分の中から溶けて流れていくようで。
気づけば、過去のいろいろなものを許すことができていた。

可愛い小さなその子に、私は「ララ」という名前をつけた。
デルフォニックスの名曲、「ララ・ミーンズ・アイ・ラブ・ユー」から拝借したのだ。

ララはたくさんの人に懐いたし、名前を呼んでもらえば惜しみなく尻尾を振り、無防備に寝転んではお腹を撫でてもらおうとする。

少なくはない数の恋愛をしてきた私だけれど、ララと暮らすようになってからは、相手が犬を好きかどうか、犬好きだと言って私に近づいてくるけれど、本当に犬が好きなのか、飼ったことはあるのか、どういうふうに飼っていたのか、そしてなによりララが懐くのかどうか。
そこが重要ポイントになった。

最初のデートには必ずララが同伴する。
ララの毛並みや、その愛くるしさに相手が目を細めたのなら、二度目のデートもあるかもしれない。
ララのことは適当にあしらい、私の容姿ばかり見つめてデレデレするのならば、はい、そこまで。

そんなデートを経て、ララを大切にしてくれる人と同棲を始めた。
だけれど、肝心の恋愛は長く続かず、失恋して泣くこともあった。
三度目の正直、ではないけれど。
ララを迎えて、三度目の恋の相手と私は結婚した。
彼と私は互いに、子供は持たないでいようという考えがあった。
二人でずっと恋人同士でいよう。週末はカフェでブランチをしたり、月に一度はお洒落してレストランへ、年に一度のバカンスは海外旅行を楽しもう。
そして愛しいララはどんな時も私たちの傍にいる。
そんなふうに思っていた。

ちゃんと人と向き合って、愛し合うことなんて自分にはできないだろうな、と思っていたし、いつもそんなふうに生きてきた。
だけど、ララと暮らすようになって、真正面から愛せる幸せが私にもあるのだと教えてもらった。
私は、ちゃんと愛せるんだ。
気付かせてくれたのはララだ。




ララと共に、私と夫は恋人から夫婦になり、男の子と女の子の双子の赤ちゃんが産まれて、私たちは親になった。

なんとか無事に出産できて、産院から退院して帰宅したら、げっそりと痩せて元気のないララが、私の着古したパジャマに包まって待っていた。

私が一か月、二か月と旅行で家を留守にしても全く平気だったララが。
出産のために家を留守にしていた一週間の間、ほとんど食べ物を口にせず、ぶるぶると震えるように身をじっと固くしていたのだという。
その様子を、夫は私に隠していた。心配させては産後の体に良くないと思ったからだ。
でも私は知りたかったよ。ララ、あなたのその想いを。

双子をより安全に出産するために、私は帝王切開をした。
その傷は想像以上に大きくて、術後二年ずっと痛みを伴い私を苦しめた。
だけど、私は家に着くなりララのその姿を見て、冷凍庫にあった牛ひき肉を解凍した。
産まれたばかりの我が子を夫に託し、私は台所に立つ。

茹でた牛ひき肉と煮汁をドライフードに混ぜる。
ララがそれを食べ終えるまで、私はずっと寄り添い、見守る。

「ありがとうね、ララ。待っていてくれてありがとう。もう大丈夫だよ。赤ちゃんは二人とも元気だよ。これからやかましくなるけど、どうぞよろしくね。」

すっかりお腹を満たしたララは私の手を舐めて、そしてガフーっと大きなゲップをしたあと、すやすやと眠った。

その時、ララは10歳だったね。

双子の子育て中によくあることのひとつとして、
「一緒に生まれてきた子たちなのに、どうしても同じように可愛いと思えない。一人だけにしか愛情が湧かない。上の子がいる場合はその子への愛情が一時的に薄くなる。」

というのがあるのだそうだ。これは産後直後に起こるらしく、お母さんのホルモンバランスや疲労が回復するにつれて自然と穏やかになっていくから大丈夫だからね、と出産前の私に助産師さんが話してくれた。

自分の子を可愛いと思えないことなんてあるんだろうか、待ち望んでいた私たちの赤ちゃんを。それは自分には起こりえないだろう、とその時は思っていた。

産後、無事に産まれてきてくれた子供たちは本当に可愛いく、愛しく、愛情は惜しみなく溢れた。
それでも双子の子育ては想像以上に大変で。

自分の睡眠時間は平均2、3時間という毎日が続いた。核家族の大変さ、産休中の解雇、双子にかかるオムツ、ミルク代。
いろんなことに疲弊して、不安も重なっていく。
でもやっぱり子供たちはたまらなく可愛い。
この幸せがあるのだから、きっと私は大丈夫。全てうまくいく、と思っていた。

だけど少しずつ、私の中にララを疎ましく思う感情が芽生えていた。
1日2回の散歩が1回になった。
子供たちの夜泣きで一睡もできなかった日には、散歩をせがむララを庭に放り出して、見ないふりをした。
産後の体がずっしりと重くて、ララにかまってやれない。
詫びるように、ララの好きなおやつを多めにお皿に入れる。
あなたが待っていたのはそれじゃないのに。


一度だけ、私はララを叩いた。
ある日、はいはいをするようになった娘がララの尻尾を強く掴んでしまったときのことだ。
驚いたララが大きく唸り、今まで見せたことのない形相で娘に牙を剝いたのだ。
噛みつきはしなかったけれど、私は激高して、ララの鼻先を強く叩いた。
ララが一瞬だけ小さく鳴いて、弱々しく座り込み、そして悲しい目で私を見た。
可愛いね、可愛いねと、いつだって優しく撫でていたその顔を叩いてしまった。


ララはそんな私を、どんな想いで見ていたんだろう。
ゆっくりとララの体を撫でてあげる時間はとうになくなっていた。
あんなに惜しみなく与えていた溢れるララへの愛情はどこに消えて
しまったのだろうか。
自分で自分が嫌になった。

そんな時、助産師さんからの言葉を思い出した。
あぁ、これはもしかして。

ララ、ごめんね。どうか、どうか。
こんな私を許してほしい。
それでも、出産と育児で疲れ切った私の心と体には、あなたへの愛情がどうしても以前のように湧いてこなくて。
ララ、ごめんね。
たくさん淋しい気持ちにさせてしまった。
その頃を想うたびに、私は悲しくて、情けなくて、やりきれないよ。

だけど、あなたはやっぱりいつだって可愛らしく、そしてうんと健気に私たち家族に寄り添ってくれていた。


子供が生まれてからの生活には想像以上の紆余曲折があり、何度も夫と話し合った結果、私たち家族は彼の実家を頼り、フランスへ居住を移すことにした。

フランスでの生活にも馴染んできて、崩してしまった心と体もゆっくり治癒していくのが分かる。

夫の両親たちがそばにいる安心感、子供たちが保育園に通い出して自分の時間が持てるようになったことで、私はもう一度ちゃんとララと向き合えるようになった。



朝と夕方、ララとのんびりゆったり散歩をする。朝起きて、おはようと抱きしめる。夜は、おやすみと抱きしめる。

可愛いくて、優しくて、柔らかなララ。
いつでも私たちは一緒にいたね。
たくさんのごめんねがあなたにある私だった。
でもそれ以上に、あなたを愛していたよ。
ごめんね。
ありがとう。
大切なララ。
あなたが教えてくれたこと、あなたが与えてくれたこと。
全部が私の中に染み込んでいるよ。
私の顔をくすぐるあなたのその柔らかな黒い毛。
歳を重ねるにつれ、白い毛が増えていったね。
でもそれもとても愛おしかったんだ。
あなたと暮らした17年と5か月。



あなたがもうすぐ深く深く眠って、もう動かなくなってしまうことを知ったとき。
「行かないで、ララ。ママだけずるいよ。僕だってララと17年と5か月、一緒にいたいよ。」と息子が泣いた。

16歳で家を出て、母から離れた私。
母よりも、誰よりも、ララは私と生きてくれた。

「ママ、今まででいちばん、ララはママと一緒にいたんだね。これからは私がもっとずっと一緒にいてあげる。」
小さな両手で私の頬を包んでそう言った娘。

ララ、ありがとう。
私がこうして今、幸せでいられるのは、あなたのおかげだよ。
あなたがここまで導いてくれた。
ララ、あなたは最高だよ。
病気もしたことがなくて。
天寿を全うしてくれました。
息を引き取る直前まで、自分の足で歩いていたね。
最期を迎えるために、自分で食べることをやめて準備をしていたね。
そうやって、あなたは。
いつだって私より賢くて、たくましくて、潔い。
そして慈悲深く、尊い。

あなたへの愛はこれからも募ることでしょう。
あなたは私が初めて心から愛した家族なのだから。

もしかして、これから先。
私と子供たちの関係がぎくしゃくしたり、もつれたりして、今みたいに家族で愛し合えないことがあったとしても。
私がララと出会えたように。
あなたのような存在の犬が、その時の子供たちに寄り添っていてくれたのなら。
そう願ってしまうのは、ちょっとセンチメンタルが過ぎるかな。

でもね、ララとのお別れが淋しい、と小さな二人が抱き合って泣いているのを見て、私も一緒に泣きながらそんなことを想っていたんだ。

ララ、大好きだよ。
みんな、あなたを愛してる。
これからも、ずっと、ずっとだよ。

いつか、私が深い深い眠りについたとき。
この魂はあなたをすぐに見つけるでしょう。
あなたはきっと、ちぎれんばかりに尻尾を振って。
私のもとまで駆けてくる。


それまでは、どうか。
いい匂いがする、たくさんのお花と緑のある豊かな夢の場所で。
仲のよい、優しい仲間たちと思う存分に遊んでいてね。

あなたの柔らかさも、温もりも、小さなピンク色の舌も、ツンとした鼻も。
いびきも、ゲップも、イタズラも。
なんでも、想い出せるよ。
いつだって、いつだって。
それは私の宝物なのだから。

ララ。

ララは愛の言葉。

来世でもあなたを抱きしめたい。

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