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見た目はやや難ありですが、品質に問題はございません。





先日スーパーに買い物に行き、果物売り場を通りかかった時、ある文字が飛び込んできた。

「中身で勝負!」

筆で書かれたような勢いのある文字が、りんごがいくつか入った袋に印字されている。思わず気になって少し足を止めてみる。
他に印字されている細かい文字を読むと、どうやら天候の影響などで小さな傷がついてしまったりんごを少し安く売っているらしい。
いわゆる傷物だ。決まり文句のように、「味に変わりはありません。」とも書かれている。

「中身で勝負!」という、勢いだけ見れば強い台詞の陰に、そんな悲しい過去があったとは。

私はたまらなくなって、そのりんごのことを考えずにはいられなくなってしまった。

そして、りんごに想いを馳せると同時に、勝手ながら仲間意識のようなものも覚えてしまった。

こんなことをいちいち書くのは本当に卑屈すぎて嫌になるが、理由として避けられないので書かせてもらう。傷物のりんごにシンパシーを感じてしまったのは、私自身も外見で勝負できるタイプの人間ではないからである。

「外見はダメかもしれないけれど、ちゃんと中身を見てよ!」
私のような人間が、幾度となく脳内で叫び、嘆き、喚いてきた台詞だろう。

多感な時期は特に外見に振り回されがちだ。
昔ほどひどくはないが、四半世紀以上生きながらえてしまった今もなお、私は外見の善し悪しや、それに対する自意識に振り回されていると感じる。きっと死ぬまでずっとこうなんだろう。

外見が良くない傷物のりんごが、自分の欠点を自覚したうえで、それでもなお、自分の誇れるところを見出して頑張っている。なんと美しい姿だろうか。

これまでの人生、苦しいこともあっただろう。

「傷がついたのはアタイのせいじゃない!どうして隣の木になっていたりんごは無傷で、アタイだけこんな傷がついちまったんだ!」
そう、何度も思っただろう。

不運を誰のせいにもできず、腐りかけたこともあっただろう。ただ、そこで諦めてしまったら、本当に文字通り腐っていくだけ。

りんごとして食べられることもなく、ただこの実が朽ち果てていくのを待つだけ。

そんな人生は嫌だった。

「アタイだってりんごとして死んでいきたい!」


傷物のりんごが初めて自分の意思を伝えたとき、両親は驚きながらも受け入れてくれたという。

「あんたの生きたいように生きなさい。そして、あんたの死にたいように死になさい。」

それが、故郷を去るときに母がくれた最後の言葉だった。17の冬だった。


傷物のりんごたちが集まる工場行きのトラックに揺られ、りんごは夢を見た。
あの台風の夜の夢だ。この傷ができて以来、不安な夜は何度も見たあの夢。

ただ一ついつもと違ったのは、木から落ちたのが自分ではなく妹だったということだ。

「イヤーーーーーっ!!!」

りんごは叫びながら目が覚ます。

ひどく汗をかき、目には涙が浮かんでいる。目覚めて一瞬どこにいるのかわからなかったが、故郷を捨ててきたこと、実際に木から落ちたのは妹ではなく自分だったということを思い出した。

この傷ができてから、ずっと苦しかった。だけどきっと、それをずっと隣で見ていた妹も苦しかったのだろう。

夢の中で立場が逆転してみて初めてわかった。大切な人が傷つくのをただ隣で見ていることしかできないのは、この実が引き裂かれそうになるほどに悲しい。

「アタイは……アタイは本物のバカりんごだぁ……」

今更気づいたって仕方がない。人生は時に、非情なほどに待ってくれない。

思い出せる妹の笑顔は、優しく穏やかだったが、いつもどこか曇っていた。そういう性格だから、と思っていたけど、あれはずっと我慢をしていたのかもしれない。


隣で見ていることしかできない苦しみを感じながらも、「だけど一番つらいのはお姉ちゃんだから……」と、きっと負の感情を表に出さないように我慢をしてきたのだろう。

姉にばかり構う両親、姉中心に回る家族に、寂しさや不満を感じながらも、「そんなことを思ってしまう自分は悪いりんごだ……」と自分を責めていたのだろう。


「傷のないアンタは最終的にあのふわふわのネットに包まれて出荷されるんだからいいわよね!なに?大人しくしてるのはそういう余裕からなの?どうせアタイのことを心の中でバカにしてんでしょ!」

こんな言葉を吐き捨ててしまったこともあった。妹は怒るでも泣くでもなく、ただ静かにうつむいているだけだった。

「ごめん、ごめんね。アタイ、がんばるよ……!」

もう会えない故郷の家族に報いる方法は、自分なりの方法で幸せになること、それだけだ。

傷物のりんごは涙を拭い、さらに決意を固めた。りんごとして、いや、りんごの中のりんごとして死んでいこうと強く思ったのだった。



確かに傷はついてしまっているけれど、アタイはアタイ。
他のりんごよりもちょーっとだけ悲しみを背負ってきたけど、それもきっと、味の深みになってるはずさ。

綺麗なりんごのままでいたかったし、今だってそりゃあ、あの純白のふわふわのネットに憧れたりもする。アタイだって女なんだ、悪かったね。

だけど、このビニールも悪くない。「中身で勝負!」上等だ。なかなかイカしてるじゃないか。

こんな見た目じゃもう食べてもらえない。りんごを全うできない。そういじけるだけだったあの頃のアタイよりも、アタイは今のアタイが好きだ。

この傷のことも、少しだけ愛おしく思える……なぁんて言えるのは正直まだもう少し先かもしれないけど、そうなればいいなと思ってるよ!

切られたり、焼かれたり、すりおろされたり、これからアタイ、何になれるんだろう。楽しみだなぁ!
食べた人が喜んでくれたら、うれしいな。

そうすればきっと報われるはずだ。あの日の悲しみさえ、あの日の苦しみさえ。



そんなりんごの思いに心を打たれた私は、中身で勝負しているりんごを一袋買おうと手を伸ばす。

今までつらかったね。だけど一念発起して、こうして市場に出てきたんだよね。

「中身は傷のないきれいなりんごと変わらないよ、変わらないけど低価格で売り出すよ」って、売れるために策を練ってきたんだよね。


自分を客観視した結果、その見た目が市場で評価されないとわかっても腐らず、売れる方向に舵を切る。

プライドが邪魔をして「値下げ」を受け入れられなかったり、色々な葛藤もあったけど、それでも結局「本来の値段で売られること」よりも「食べたいと思ってくれる人のもとに届くこと」を傷物のりんごは優先した。

その結果、いま、ここにいる。


飾り切りしてうさぎさんりんご。シナモンと砂糖で焼きりんご。風邪を引いた時じゃなくても意外と美味しいすりりんご。どんな食べ方をしようかな。楽しみだ。


しかし、あと少しでりんごに触れるというところで、私はふと手を止める。



果たして私は傷物のりんごにシンパシーなんて感じていい人間なのだろうか。

中身で勝負!なんて、私は言えた人間だろうか。


私は確かに外見で戦える人間ではない。しかし、だからといって中身で戦える人間だということにはならない。それとこれとは話は別。悲しいかなイコールでは結ばれないのだ。

何を思い上がったことを考えてしまったのだろう。自身の考えの浅さを恥じるとともに、傷物のりんごに対して申し訳ない気持ちになった。

傷物のりんごはちゃんとおいしい中身を持っていたけど、そこにただ偶然不幸が降りかかった結果、勝負しづらい外見になってしまっただけ。

私はそもそも、おいしい、味のある人間だろうか。価値ある中身を、持っているだろうか。

外見のせいにしているだけで、別に中身だって大したことないのではないか。「中身を見てよ!」だなんて言えた口か?世の中は外見主義だと決めつけて、被害者面しているだけで、そこで思考停止して何も努力はしない。だって弱さって振りかざしたら一番強いもんね。攻撃した側がなんとなく悪者っぽくなるから。一番ずるいやり方で言い訳しながらいつまで経っても死にきれないでいる。こんなの、きっと私がりんごだったら腐ってる。


もう一度考えろ、果たして私は本当にこの傷物のりんごと同じだと言えるか?


自問自答で頭がいっぱいになって、自己嫌悪で胸がいっぱいになった。ばつが悪くなって、私は果物売り場を立ち去った。

もちろんその手に、あのりんごの袋は無い。


スーパーを出ると、夜だというのにまだうっすら空が明るかった。私は逃げるように家路を急いだ。


まだ春なんて来なくて良いのに。





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