「早く死んだほうが良い人生もある」

この言葉を齢24にしてようやく知る。自分の人生はたったこの一言で片づけられたであろうに、しょうもない自己顕示欲と知識欲と、そしておそらく性欲に負け、この言葉を受け入れられなかった。いや当たり前のことだが受け入れまいと必死であった。自分の人生が始めから、生まれた時から何をしても詰んでいたということはよほどのことが幾万回と起こらなければ考えたくはない。

この言葉で片づけられる人生がどれほどあるのだろうかとは、おおよそ筆舌には尽くしがたい。もちろんニュースで他人事のように流れる中東のテロ・紛争やあらゆる地の歴史のジェノサイドや人権を無視した行為は言葉では脳内を流れるが、他人にはわからない。
しかしウクライナ侵攻も突然のように起こり、多くの世界的に見ても美男美女である一般のウクライナ人は戦車で踏みつぶされ、体を銃で貫かれ、燃え、もてあそばれ、飢えに苦しみ、更には被害者同士で互いを非難し、傷つけあい、苦しみあう。これらすべての苦しみは筆舌には尽くしがたい。皆全てが生まれてこなければよかったと思わざるを得ない。

誰がなんと言おうと、この世で最も重要なのは「暴力」なのだ。


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