毒親との関係(現在編)
4年前に父親に病が見つかり、現在までに3つの病名がついた。
1つ1つは命に係わるほどのものではないが、症状が悪化した時は要観察という感じで…
昨年も夏だったがちょっと私が掛かりっきりにならざるをえない時期があった。
そういう時は、どうしても子供の視点ではなく看護師の視点になってしまう。
だから大変かと言われればそうでもなく、自分の担当している患者の内の1人というイメージになってしまう。
今年もここ2か月の間に状態の変化があり入退院を繰り返した。
A病とB病の2つの病気だが、それぞれ科が異なる為、病院も別々で
双方の医師とやり取りをし、必要に応じ受診に同行し状態を報告する。
A病の治療の具合をB病の担当医師に報告し、入院や検査日程の調整を行う、など
昨年までしていた訪問看護師みたいなことをしている。
そんなこんなで休みが消費されていくのだが、
まあしょうがないよねw という気持ちでいたら
私にしてもらっていることは、子供の立場を超えていると…つまりお抱えの看護師がいる状態と実感した親から手当てが出ることになった。
お金が出ないならやらないとかではないが、
少なくとも私が動くことにお金が発生することで、
親子という関係より看護師と患者という関係になり気が楽になったのは正直なところ。
父親の受診に同行し、A病の主治医は私が看護師だったことをご存じなので
質問や説明がちょっと専門的になったことがあった。
また病状の変化が早く、病院を2件ハシゴしたこともあった。
その状況に、自分では無理だから私に任せるしかないと思った母親が、
1日に10回以上、私に対し「あんたがいてくれて本当に助かる」と言った日があった。
私は正直に今の状態は子供としてではなく、看護師として患者さんを看るような視点で…という話をした。
病気がややこしいから、それはそうなると思うし、専門的なことがわかる人がいるから心強いなどと母親は言うが、
あまり何度も「あんたがいてくれて…」の話が続いたので
「いてくれて助かると言われている内が華よね」と切り出して
今まで言わずにいたことを、今なら言ってもいいかなと思い話したのが以下の内容。
母親は自分の今までの病歴などもきちんとメモにまとめており、
入院のたびにそれが使われており、
病院的にはしっかりしていてありがたい患者さん。
自分でもその自覚があり、また家のことも自分が頑張っているという自負がある。
入院前の手術の説明などは父より私の方がいいからと言われ同席するのだが、
過去に2回、嫌な思いをしたことがある。
説明時に母は「娘は看護師で…」とわざわざ言うので、
医師や看護師からは「それは心強いですね」と返される。
この時に母は「いいえ、いてもちっとも役には立ちません」と笑って言ったのだ。
「それに家のことも自分がしていて、娘は何もしないし、家族は誰も何もしないし、
私の入院中はみんな困ればいいんだわ」と言った。
医師も看護師もそれを聞いて苦笑いだった。
父と娘の耳に入るのは避けたいので、『みんな困れば…』の話は今回言わなかったが、
過去に(看護師として)役に立たないと入院のたびに言われて傷ついたと言った。
やっと言えた。
そしてこの話をした時に、
「それはきつかったね」と母から言われたが、一言も謝罪の言葉はなかった。
プライドが高いから、謝罪の言葉は言えないだろうと、想定通りだった。
残念だったわけではない。むしろ謝られなかったことにホッとしている。
今更謝られても…という心境だ。
翌日母から、
今後私に動いてもらう時は日当を払うという提案があった。
これに承諾した。
無理にそうしているわけではないが、
病気のことがあってから
私にとって『担当患者さんとその奥さん』というイメージが定着してしまった。
お金が発生することでそれはより強くなった。
色々手厚くしているので、一見、非常に良好な関係に見えると思うし、
親は頼れる娘と思っているだろう。
でもやっと、感情の部分で親として見なくてよくなったことに
心からホッとしている。
看護師の資格があって知識があって、生き抜くことができたと思っている。
ここに至るまでの力のバランスが徐々に傾いていっての今なので、
少し過去に遡った話を次は近々書きたいと思う。
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