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恋愛で好かれた後の減点の恐怖

(※恋愛の自慢話のように聞こえる可能性があるので、そういうのが苦手な人はブラウザバック推奨)

有難いことに、私に対して好意を抱いてくれた異性の人は今まで何人かいました。

相手に対しては非常に申し訳なかったのですが、相手の期待に応えたことはほとんどないです。
大体は気づかない振りをして好意が薄れるのを待つか、それでもダメなら何なら嫌われるように仕向けたこともあります。

自己肯定感が地の底まで落ちてる自分にとって、自分と付き合うことで相手が幸せになるビジョンが見えなかった、というのが一番大きな理由でしょうか。

もう一つは、自分の不登校・自殺未遂経験などの過去を打ち明ける訳にはいかないので、どうしてもある一定の溝・距離感は埋められない。
親と不仲であるということは一般的にはあまり受け入れられない(一般的に親は大事にし、感謝するもの)
そして、そのようなマイノリティの性格と性格が合う人間など少数派なので徐々に違和感が拡大していき、減点がどんどん大きくなっていくことが大体察せてしまうからです。

自分の負の側面が覗かれるのが怖かったんですね。

そして私のような人間を受け入れられる人間は恐らく同じようにそれなりの苦境を経験してきた人でしょう。

同じ境遇を経験したなら気が合うんじゃないか?という考えに至るのが普通かもしれませんがマイナスとマイナスが足し算のようになって共倒れする可能性を考えるとそういう人と付き合うのも正直上手くいかないと個人的に思ってます(あくまで個人的に。マイナスの人と付き合ったことがないのでどうなるかは不明)

以上のことから光属性の人とも、闇属性の人とも、どの道自分は付き合えないなぁと思う訳です。恋愛に関してはわりと詰んでる感じがしますね。

馬鹿な尻軽とかしょうもないメンヘラならまだ適当にあしらうことに対してあんまり罪悪感を感じることはなかったと思うんですが、いかんせん結構ちゃんとしてる人が多かったので、尚更自分のような人間とくっついて不幸な目に合わせる・時間を無駄にさせる訳にはいかないな、と思いました。

賢くて、優しくて、一途で、真面目な性格なのも見ててすぐ分かりました。
数年単位で1人の人間に片思いできるなら結婚した後も幸せな家庭を築いていけるでしょうね。

幸せになる資格がある人達でした。

ただ少し、若さゆえの夢見がちな部分が多少あったのかな?とも思います。
極端な例えで言うと、白馬の王子様に憧れるようなノリですね。

できるだけ健常者のように見えるように振る舞っていた自分の性格が、同世代の人たちよりも余裕があって大人びてる、そういう風に見えてしまったのかもしれませんね。

人から好かれることは勿論嬉しいです。それはすなわち、自分の存在が認められることと一緒ですからね。

しかし、その後にやってくるのが嫌われるように仕向ける罪悪感と、前述した減点の恐怖。

自分を好きじゃなくなってもらうために、悪役にならなければならない瞬間がきてしまいます。
罪悪感を抱えながらわざと相手から嫌われなければならないんですよね。

弱者女性としか付き合えないだけなのに「理解のある彼くん」だとか良いように表現したり、セフレ自慢・性欲を満たすためだけに付き合うだとか、恋人がいること・経験人数の多さがステータスだとか。
世の中に蔓延ってる馬鹿な連中と同じ考えでいられたら、楽だったのかもしれませんね(そして自分はその馬鹿以下)

自分のこの無駄な正義感?みたいなの、やっぱ幸せの足引っ張ってるよなーってたびたび思います。もっと自分勝手なら楽なんでしょうね。
優しさっていうものが嫌いになってきたのは、こういうところが起因していますね。

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