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生きづらい人達のサークルを作った話

大学生の頃、自分のように社会に上手く馴染めない人達で集まれるサークルを作った。結論から言うと全然上手くいかなくて、自分の手で潰した。

人見知りサークルでも馴染めない


大学に入ったらサークルは絶対入りたいと思った。

学生らしいことをしたかった。

一年生の頃、twitterでとある大学生が人見知りサークルを作っているのを見た。しかも大阪の大学でやっていて自分も40分くらいで行くことができる。さらに他大学からの参加も可能となっていたのだ。

ここで自分を変えなきゃと思い、意を決してDMで参加表明を送った。日にちと集合場所が伝えられ、当日ドキドキしながら某大学へ向かう。

敷地が広いので集合場所が微妙にズレ、目の前にいるのに中々合流できなかったのは微妙に笑える思い出だ。ついに合流を果たす。5,6人くらいいたと思う。

ファミレスでご飯を食べながら交流しようという回だった。ファミレスへの道中積極的に話しかけてくれた人がいた。ピアスを開けていて軽いノリでリア充っぽかったし「本当にこの人人見知りなのか?」と思った。

明るく見える人でも心に闇を抱えていることはある。皮を被って明るく見せている人もいるのでそういう類の人なのかもしれないと勝手に思った。

話してみるとなんと学部が同じだったのだ。学籍番号は?と聞かれたのでここでその人にだけ実は他大学からの参加であることを打ち明けた。

今やってる授業の話とかそういう話をしたと思う。でもそこまで上手くは話せなかった。

ファミレスに到着し、交流が始まった。結論を言うと自分の中では大失敗だった。他の人も人見知りなのだろうが、人見知りなりにちゃんと話せていたし人見知りなだけでちゃんと友達とかもいるのだろうな、と思った。

気を使って話かけてくれる人もいた。けど上手く返せなかったと思う。アニメの話を少しだけした。自分は当時 東京喰種トーキョーグールが好きだったのでそのことについて少しだけ話した記憶がある。

自分が話した言葉は数えるくらいだった。
ここで絶望した。

人見知りサークルでも自分は浮く存在なのだと。

代表の人はできるだけまんべんなく全員に話かけていたと思う。代表の人を最初に見たときこの人も全然人見知りっぽくないなと思った。見た目も小綺麗だし普通の大学生にしか見えなかった。

しかし、それはただの第一印象にすぎない。

自分は代表の隣に座っていたので椅子の下で自分自身の両手を軽く握っているのが見えた。

緊張しているのだと思った。この人はこの人なりに精一杯やっているのだと。

帰り道、自分は一歩下がって後ろからついていく。気持ちは暗かった。駅についたのでそこで別れの挨拶をして駅のホームに立った。

最初はもしかしたら何か変わると思って参加してみたが、ただ絶望感を味わっただけで、少し後悔した。

サークルの人達を悪く言うつもりは一切ない。気を遣って話かけてくれたしむしろ感謝しかない。

人と上手く関われない自分が悪いのだ。

そのサークルにはそれ以降参加はしてない。
大学の文化祭で出し物をしていたようだ。LINEで手伝えるかというメッセージが来ていたが罪悪感を感じながら返信はしなかった。できなかった。

インターネットから始めるリハビリ


サークル参加は大失敗だった。最初から対面だったのがまずかったのかもしれない。

だからインターネットを使って色んな人と通話してもっと会話に慣れようと思った。最初に目についたのがメンタルに問題を抱える人達が集まる通話募集サイトだ。ここなら共通の話題もあるし、話せると思った。

募集をかけると何人か連絡をしてくれた。ドキドキしながら通話してみる。内容などはほとんど覚えていないが意外と話せたことは覚えてる。お世辞かどうかは分からないが「普通の人と何も変わらない、人見知りに見えない」と言ってもらえたのが凄く嬉しかった。小学校時代の自分では考えられないからだ。

しかしある問題に気づいた。本当のコミュ障の人間は最初だけ話せるのだ。2回目、3回目の通話になると話題も尽き沈黙が目立つようになる。ある程度の距離は詰められる。でもある一定の間隔はずっと空いてるのだ。

知り合いにはなれても「友達」にはなれない。

ここが人見知りとの違いだ。

人見知りは最初は話せないが打ち解けると距離を縮められる。しかし自分のようなコミュ障は最初は話せるが距離が一向に縮められない。

仲良く話せてるように見えても心のどこかでは落ち着かない。何か話さなきゃと脅迫概念に常に駆られているのだ。

小さな幸運が訪れる

募集、通話を繰り返しているとラッキーなことが一つ起こった。

Tとの出会いである。Tも同じようにネットを使ってずっと会話の練習をしていたようだ。年も近く当時大学生で通信制の大学らしく、通信制の高校を卒業した自分と同じだった。

普通は2回くらい通話したら関係が終わる。
しかしTは違った。自分を変えたいという思いが一番強い人だと思った。

2回目、3回目、気が付けば一年くらい定期的に通話していたと思う。ここまで関係が長く続けられたのは初めてで嬉しかった。

まぁ通話に誘うのはほぼ毎回自分からだったので、相手からすれば微妙な関係だったのかもしれないが…。

Tは自分とは別に生き辛い人達が集まるLINEグループに入っていた。そこでも定期的に交流し、実際にオフ会をしているらしい。

自分もそこに入れてもらった。Tと以外ほとんど仲良くはなれなかったが…。

一対一で話すことはできても多人数との会話は壊滅的だった。ちょっと話せる瞬間があってもすぐに空気になってしまう。

Tはそのグループ内で恋人も作り、そのグループが自分にとっての本当の居場所だと言っていた。もっと早くこのグループに出会えていれば自分の人生はもっと良いものになっていたのにな…と言っていたのを覚えている。

グループの人間と話すTは自分と通話しているときよりも生き生きしていて少し悲しくなったこともあったが、自分という人間に魅力がないのだから仕方ない。

自分もそういうグループが作れたら良いのにな、と思ってTに生きづらい人達のサークルを作らないか?と提案してみた。

Tは快く乗っかってきた。Tも自分と同じで暗い学生生活だったようで文化祭のように何かを作るという活動をしてみたかった、と言っていた。

前述した通りこのサークルは失敗に終わる。


公式LINEを作ったり、応募者を軽く面接したり記憶はわりと曖昧だが色々やっていた。

この手のサークルで一番トラブルになりがちなのが男女関係だ。出会い目的で人がやってこないようにそこは細心の注意を払っていたと思う。

人が何人か集まってきて、初めてグループ通話をした。複数人での会話が壊滅的だった自分はあまり喋れずTが場を回していたと思う。

サークルのリーダーなのに何やってんだ…と思った。Tも自分と同じように日陰者ではあったが勇気はあった。自分を変えるために恐れをあまり抱いていなかったのだ。羨ましいと思った。

ここでサークルに悪い転機が訪れる。

Aという女性が新しく入ってきた。Aさんは精神疾患持ちで実際に障害者手帳と障害者年金で生活しているらしい。

自分は本当の底辺を舐めていた。

こういう書き方をすると差別的に捉えられる可能性があるが事実だ。本当の精神障害を持った人と関わったことがなかったので甘く見ていたのだ。Aさんは障害者ゆえの「被害者意識」が強く、常に他責思考だった。

私は障害者だから気を遣われて当然
私は精神疾患があるから暴言や口が悪いのは許してね?

と言わんばかりの態度に自分は正直辟易としてしまった。
Tはそんなことには慣れていたのかあまり気に留めていないようだったが。

自分の力不足と統率の取れなさが続き自分はついにTにこういった。

「サークル潰しても良い?」 と。

Tはケロっとした態度で「ええよ笑」と言った。自分が萎えていることを察している感じだった。

Aさんが全部悪い訳ではない。自分の実力不足が招いた結果だ。
リーダーが自分の都合でサークルを潰すなど言語道断だろう。

Tはその後サークルを潰したことをネタ交じりにいじってくれたおかげで後味がそこまで悪いものにはならなかった。あの時はいじってくれてありがとう。

Tとはもう連絡は取っていない。別に喧嘩別れしたり、嫌な別れかたをした
とかではない。

一度オフ会をしよう、と神戸で実際に会ったこともある。遠足のしおりのように「大体この時間はここに行こう」と計画を決めて遊んだ。

小学校時代、あれだけ地獄だった遠足を大学生になってもう一度やり直しているような、そんな感覚だった。

元気にやってるだろうか。久しぶりに話をしたいが、もうTに連絡を取るすべがない。

「友達」と呼べる間柄になれたかは分からないが、少なからず自分はTという人間が好きだった。

数少ないある程度心を開ける相手だったから。

Tの所属していた生きづらい人のサークルは実は幽霊メンバーが増えた理由で一度新しく生まれ変わったことがある。
その時サークルのリーダーに「アイツ(自分)は良い奴だから、新しいサークルにも入れよう」と裏で言ってくれてたことを後で知った。

当時はただ嬉しかった、くらいだったが、今はこのnote書いてる途中、涙を流している。
人の優しさに触れた瞬間はそこまで多くない。だからこそ優しくされると涙が出そうになるときがある。

自分と関わってくれてありがとう。






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