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自殺するには自分を追い込むしかない。

私が自殺せず生きてるのは未来へ対しての僅かな希望と僅かな恐怖です。

5%くらい、もしかして、もしかすると自分の人生が上向いて幸せになれる可能性が、少しでも残ってるんじゃないかと。
そんなありもしない希望を抱いてしまっているから、私はまだ死ぬことができずにいます。

つまりこの僅かな希望が私を苦しめてもいます。

私は常日頃から希死念慮を抱えて生きています。早く死ねたらどれだけ良かっただろう、と。

小学生のときからうっすら希死念慮のようなものはありました。

中学生の時に本格的に自殺願望が芽生え、自殺未遂のようなものに手を出すようになりました。

あの時死んでいれば余計な苦痛もなかったのに。

希望のせいで死ねない。なんとも滑稽な話ですよね。

運命に踊らされてるマリオネットみたいです。

私が初めて本格的に自殺未遂をした大学生の頃は、絶望だけでした。

死ぬ以外にありえない。死ななければならない。

使命感と現世に対する諦め、ふっきれ。

だからこそ私は死ぬ決心がつけられたのです。

つまり、死に必要なのは完璧なまでの絶望。

自分を追い込み続けなければ、死ぬ踏ん切りがつけられません。

だから私は、自分が不幸の崖っぷちに追い込まれるまで、状況を悪くしようとしているのかもしれません。

生きることから解放されて、死の向こう側にある「無」という本当の自由。

それを手に入れるためには、心の底からの絶望が必要である。

何という試練でしょうか。死ぬのも楽じゃない。

早く死にたい。眠る瞬間が憂鬱なのです。

「あぁ、7時間後には、夢から覚めてしまうじゃないか。
 もっと、もっと長く眠らせていてくれないか」 と。

死ねばずっと眠っていられる。


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