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小説★プロレスガール、ビジネスヒロイン? 第十六話 スコアリング改革実行 <入社3年目秋~入社3年目冬>

第一章&全体目次はこちらから

 ミナミと橋本は具体的な検討を開始した。
「要件定義から始めよう」
 それを聞き、ミナミはDXも要件定義からだったことを思い出す。
(片倉さんは、顧客の要望と解決策を具体的な言語や数値で定義した仕様書のようなもの、って言ってたわよね)
 このようにIT業界はやり方が共通しているが、AIの場合は要件定義を決めること自体がすでにAIコンサルの領域になることが多く、本来ならこの時点でコンサル費用が発生してもおかしくなかった。そんなこと予想もしない無邪気なミナミに対し、橋本もそのことには敢えて触れずに話を進めていった。
「どんな項目を点数化するか。その項目をどのようなデータから抽出してくるか。これを構造化というんだ」
 ミナミはうんうんと頷くが、目は泳いでいる。
(構造化? む、難しいんですけど?)
「今のランキング評価は試合結果、試合内容、試合外貢献の三項目だね」
 評価内容はロジカルシンキングでさらに細分化されている。例えば、
 ・高い技術力で技の繰り出し、回避、攻防ができているか
 ・相手の技を引き出せているか
 ・観客が盛り上がる場面を作れているか、観客の反応は盛り上がっているか
 ・期待を越えるサプライズを魅せられているか
「動画を使ったマルチモーダルLLMの強みを生かして、このような小項目を評価できるように教師データをAIに教える必要があるんだけど、これをどうするかが課題だ」
 評価委員会メンバーレベルの専門的な知見や経験が必要な部分だ。
 ミナミは意を決してヘルプを仰ぐことにし、サクラにチャットを入れた。サクラは練習着のまま、マスクもかぶらずに会議室に入ってくる。
「なんだか企んでるらしいな?」
 会議室に入るとソファにどかっと座る。ワクワクが表情からにじみ出ていた。
「サクラさん……お忙しいのにすみません」
「別にいいさ。同じヒール組の仲間だしな。で、何をしてほしいんだ?」
 二人はこれまでの経緯を説明する。すると、サクラは怪しい笑顔を浮かべた。
「じゃあ、一試合の動画を見ながら実際に評価してやろうか?」
「いいんですか?」
 こうして、三人の評価会が始まった。
「な、な、な、なんで私の試合なんですか? しかもボロボロの試合じゃないですか」
「その方が実感湧くだろ? ほら、覚悟しろよ」
 乱暴な口調で容赦ない指摘が繰り広げられる。
 ヒールなのに入場が弱弱しい。動きはいいけど、技が単調。飛び技が多すぎ。観客煽り方悪い。受け身は流石。大技完全に読まれている。頭使ってる? だから負けるんだ。退場の仕方もヒールっぽくない。
(……いいところがほとんどない……)
 落ち込むミナミをよそに、サクラはさらっと提案する。
「でも、全試合評価しなおすのは大変だよな。週刊誌の記事が出てる試合なら、その記事と動画をAIに読み込ませればAIの学習は効率的になるんじゃねえか?」

 週刊WW記者の烏山に連絡すると、さっそく翌日の朝練時間にやってきた。そして、断りもなく新技練習しているミナミの写真を撮りまくる。
「あの、これは秘密練習なんですよ? それにマスクしてませんし」
「大丈夫。これは趣味だから」
(……趣味って変な意味じゃないでしょうね)
 あきれたもんだが、呼び出したのはミナミだから仕方がない。そして話を聞くと……
「面白そうですね。会社に戻って協議してみます」
 ニヤリと笑う烏山。マスク姿のサクラが釘をさす。
「まだ記事にはすんなよ?」
「わかってますよ。でも、オマケは欲しいですね」
「じゃあ、若手覆面ヒールの素顔写真撮り放題権をくれてやる」
「ちょ、ちょっと、ちょっと待ってください、サクラさん。それって私のことじゃないですよね? サクラさん?」
 サクラはミナミを完全に無視して去っていった。
 
 ミナミたちは烏山との協議を本格化した。秘密保持契約書を締結すると、実際のデータベースを見せてもらう。ここ最近一〇年程度の試合であればメジャーな団体の試合はすべて電子記録が残っていた。少し大きな大会であれば各試合の社内分析情報も残っている。
「すごいね。これならリアルタイムスコアリングのAI学習も捗るわね」
「記事に過去経緯と試合の関係も書いてあるから、時系列コンテキストも分析できるよ」
 橋本は目を輝かせる。
「コンテキスト?」
「そう。試合前後の文脈のことさ。例えば、因縁のライバルだとか、前回までずっとかわされていた必殺技をついに成功させたとかね。試合単体ではわからない情報だ」
「たしかに。過去試合とのつながりはプロレスの楽しみ方の中でも重要な要素よね」
「それに……」
 橋本がにやりと笑った。
「コンテキスト分析できれば、その後の出来事の予測を生成することもできる。これは逆に言えば、試合の最適マッチング提案できるかもしれないということだ」
「……え? それってすごいことじゃない?」
 人間によるマッチングとほぼ同じことを、AIで実現できるかもしれない。
「ZWW時代の動画の使用権も取れたらもっと分析精度はあがるんじゃないですか?」
 烏山の提案に、一同なるほどと唸る。横で見ていたサクラがすっと立ち上がった。
「じゃあ、おれが交渉しに行って来てやる。そのかわり、上手くいったらミナミはリングで腹踊りしろよ」
「は、腹踊り? なんでそんなこと……」

 そして、翌日の朝練。ニコニコのサクラ。すんなりと動画へのアクセス権を獲得してきたのだった。動画権利を保有しているZWW創始者に可愛がられていたサクラだからこその交渉成果だ。
「腹踊り忘れんなよ?」
「……絶対に、やりません」

 秋になると、ミナミは取締役会の開催を要求した。橋本の見積書が整ったからだ。
 開発費が一億五千万円、運用費が年間五千万円だった。
「……」
 全員が沈黙する。
「ここで公正な評価をアピールできれば、スポーツとしての評価を得ることができて、一.五倍以上の売上を期待できます」
 だが一億五千万円の投資は重い。まだ、これまでの借り入れの返済も終わっていないのに、追加借り入れを要請する必要がある金額だ。
「銀行は何と言っている?」
「はい……担保が必要だと……」
 大沢は目を閉じる。
 三年前。ZWWが解散。選手たちが帰る場所が無くなった。SJWは選手の帰る場所を守るという意思を込めて、起業時に無理を押して空きビルを土地ごと買い取り本社兼練習場とした。それを担保に入れる決断は簡単にはできない。
(それでも……理解してくれるはず。二人の理念を実現するためならば)
 ミナミは心の中で祈った。
「……条件がある」
「はい」
「従業員を二人増やす。それと、選手との契約金額、従業員の給与を上げる。それでもきちんと投資回収できること。それが条件だ」
「……大沢さん」
 少ない人数で、安月給で頑張ってきた。人を一番大事にしたいという大沢の気持ちを象徴した条件。AIの導入で利益を確保できるなら、選手や従業員に回したいという気持ちを聞き、ミナミは胸が熱くなった。
 ミナミはその場で表計算を修正してみんなに見せる。純利益は六千万円を超える予想。回収年数は三年弱。ついに、取締役会の許可を獲得した。

 その後は大忙しだった。
 SJWのマネジメントデータベースへのアクセス。週刊WWの蓄積データアクセス。蓄積されている動画とあわせてAI学習。橋本は技術的な作業はエンジニアに任せて、自身はプロトタイプのフィールドテストのために二日に一度はSJWに顔を出し、ミナミと一緒に現場の選手や営業を巻き込んだテストと調整対応に奔走した。
 
 その裏で、橋本はベンチャーキャピタルたちとの交渉、そしてDD(デューデリジェンス)もやっていた。季節は移り、クリスマスが近づく頃。
「一〇億円の資金調達が整ったぞ」
 約一〇パーセント分の優先株をベンチャーキャピタル計五社に発行し、一〇億円を出資してもらうことが決まった。ハシモトネットワークスの企業価値が約一〇〇億円と認められ、スポーツAI開発も本格化できるということだった。
「すごい。本当におめでとう、橋本君」
 そして満を持して、本格的なトライアルの実施がアナウンスされようとしていた。

 クリスマス大会。昨年に引き続き両国国技館。事前に新システム試用をアナウンスしていたこともあり、一万一千人の超満員。SJWの単独興行記録を塗り替えた。
 AIマッチングによるメイン試合は、一年以上ぶり二度目のサクラとイズミのヒールタッグ。現状想定出来る中では群を抜いたスペシャルタッグであり、大きな話題を呼んでいる。
 ミナミは、第七試合。一年目の新人にしては悪くないポジションだ。
「第七試合なんて。私でいいのかしら?」
 橋本がチャカチャカとキーボードを叩きAIマッチングシステムに質問する。
『入団一周年記念マッチです。ご祝儀です』
 瞬時に回答が返ってくる。
(ご祝儀って……AI、にくたらしいけどすごいわね)
「あ、あと。さっき、偶然近くに神社があったから……」
 橋本は、ミナミに亀戸香取神社の勝運袋(お守り)を渡した。
「あ、ありがとう。嬉しい」
「試合終わったら、良かったら食事でも行かないか?」
「そうね。今日のAIお披露目のお祝いもしなきゃいけないものね」
 ミナミは橋本にウインクを送ると試合に向かった。

 試合の相手は中堅選手。
 これまでと一緒だと、徐々にじり貧になってフォール負けするパターンだ。
 序盤。関節技を織り交ぜていくミナミ。新しいスタイルだ。
 そこから打撃。あまり効いてない。やはり、パワー不足は否めない。
 相手の攻勢を何とか凌ぎ、ロープに振られた際にトップロープに飛び乗り、反動で反転してボディアタックを浴びせる。
(ここで盛り上げる)
 ミナミは、大きな声を上げた。
「とどめだ」
 それを聞いた観客は歓声をあげる。
 ミナミはバックに回ると、相手の両腕を背中越しにがっちりと自分の両腕で挟んだ。そして、そのまま背面に投げる。タイガースープレックスホールドだ。
「おおお!異次元覆面が新技だ!」
 カウントは惜しくも二つ。
 ミナミはコーナートップロープに飛び乗ると、観客に向かって右手を挙げる。しかし、先輩選手は危険を察知し、コーナーに上ったミナミに突進。ミナミは雪崩式ボディスラムを食らってしまう。
 その後は、何度かの技を凌いだような気がするものの、いつの間にか両国国技館の天井を眺めてスリーカウントを耳にしていた。
(……また、勝てなかった……)
 朦朧としながら、花道奥のディスプレイを眺める。そこには、両選手の試合のスコアが示されていた。
(リアルタイムにスコアが……なんだか、恥ずかしいわね)
 これが、後にプロレス界を揺るがすAIシステムのデビュー大会となった。

 ミナミは、約束通り橋本と居酒屋に来ていた。
 覆面ヒールの場合、試合会場近くの居酒屋で飲んでも正体がばれないという利点がある。
「お疲れ様。いい試合だったんじゃないか?」
「ありがとう。でも、負けちゃったわ」
「惜しかったんでしょ? AIが事前に指摘していた減点要素の対応も反映出来てたと思うよ。だから、点数もよかったでしょ」
 橋本はスマホで点数を見せる。さっき試合直後にディスプレイに表示されていたスコアリングサマリー版と同じ内容だ。技術七点、攻防五点、テンション五点、特別六点、合計    二三点。これまでは、特に攻防とテンションが低めだったが、だいぶ改善している。
「ねえ、AIシステムって、選手の指導にも使えるんじゃないかしら」
「いいね。試合ごとの評価レポートや改善点を選手に送るようにしてみようか」
「それ、絶対いいと思うわ。みんな喜ぶわよ」
 やがて、ほろ酔いになり店を出る。
「美味しかったわね」
「そうだな。ちょっと墨田川でも歩こうか」
「いいわね」
 少し遠回りだが、冷たい夜風でほろ酔いを少し冷ますのも悪くない。二人はしばらく、隅田川の夜景を見ながらゆっくり歩いた。
(やっぱり、クリスマスイブだから、カップルが多いわね)
 そう思いながら夜景を楽しむ。ふと、橋本が立ち止まった。
「ミナミ」
「ん?」
「これから、四月本格納入に向けて、おれたちはこれからもっと忙しくなると思う」
「そうね。よろしくね」
 ミナミが微笑む。
「それが終わったら……」
「……え?」
 ミナミも立ち止まった。橋本の方を振り返る。
「……いや、何でもない。このシステムの完成に向けて、がんばろうぜ」
「うん。これからもよろしくね」
 ミナミは満面の笑みを見せる。橋本も笑顔で頷いた。
 改めて歩き出す二人の頭上には、ちらほらと雪が降り始めていた。


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