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小説★プロレスガール、ビジネスヒロイン? 第六話 M&A検討 <入社2年目春>

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 GWが終わり五月の半ばに入ると、早朝に練習リングに行けばトップレスラーのアキラとサクラに稽古をつけてもらえるらしいという噂が選手たちに広がり、若手を中心に朝練参加者が増えていった。
「全く。昼に練習できないミナミの特訓が最優先なんだからな?」
 サクラは呆れながら集まった若手に釘を刺す。
「はーい。でも、ミナミちゃん、倒れちゃってますよ?」
 そのとき、ミナミはリング中央で仰向けに転がってピクピクしていた。
(き、きつい。このスパーリング、濃すぎ……)
 目が開かない。言葉が出ない。体全体で息をしないと、窒息しちゃいそうだ。
「おいおい。お前のためのボーナスタイムなんだぞ。しっかり満喫しろよな」
 そう言ってミナミを引き起こすと、逆のコーナーに向けてミナミを走らせる。足がこんがらがって転ぶ直前。ミナミを両腕で抱えたのはアキラだった。
「あらあら、捕まったら投げられるわよ?」
 次の刹那、優しくおっとりとした口調には似合わない超高速のフロントスープレックスがミナミをマットに打ち付ける。
「ぐえっ」
 視界が回って足もフラフラだ。
「間合いをしっかり見極めて。間合いに入る直前に撹乱しないとすぐに捕まえるわよ」
「は、はい」
(ま、間合い? ここら辺で突っ込めばいいんじゃ……)
「そんなんじゃ、遅いわよ」
 電光石火の速さでバックに回るアキラ。ミナミは全身から脂汗を噴出した。
(バックで腕を取られた? やばい、背負われる?)
 そう思ったときには、すでにアキラの体は前屈を始めていて、ミナミの体は問答無用で大きな弧を描いて回転させられる。アキラの必殺技、逆一本背負いだ。
(逃れられない?)
 ミナミは遠心力に逆らわず、むしろその方向に全身を放り出した。
(モーグルでコブに弾かれたとき、無理してモーメントに逆らうと大きな怪我をするのと一緒だ。受け流さなきゃ……)
 回転方向に飛び出すことで回転過剰な状態を作り出し、顔面からマットに落ちる。
「ふぎゃっ」
 周りで見ている若手たちがプッと吹き出した。
 でも、リング上の二人は笑っていなかった。
 日本トップレベルのアキラの逆一本背負いだ。大抵の選手なら脳天から垂直に近い危険な角度でマットに叩きつけられるはず。だからこその必殺技だ。それが、プロデビューもしていない、意識朦朧な練習生が見事に受け流したのだ。
(やっぱり面白い素材ね)
 アキラとサクラは、目を見合わせると満足そうに微笑んだ。

 朝練でトップレスラー二人からこれまでに無いほどの特訓を受け、九時の始業時にはすでにヘロヘロになっていたが、幸いなことに三月までのような業務の逼迫はなく、なんとかこなしていたミナミだった。だが、五月末に状況は一変する。
 大沢社長がいつもに増して、小難しい表情でオフィスに入ってきた。
「代田さん、それと、ミナミ。社長室に来てくれ」
 いつもと雰囲気が違う。ピリピリしている? ミナミは経理部長の代田と顔を見合わせながら、社長室に入った。そこに一人の青年が直立していた。
「ランドパートナーズの山田です」
 名刺をもらう。ランドパートナーズ? 聞いたことがない会社だ。
「M&A仲介の方だ」
 大沢社長は、みんなを応接ソファに導きながら解説した。
「え、M&A? ちょ、ちょっと待って下さい、社長。いくら業績がイマイチだからって早まらないでください。せっかくDX改革を通じて、GW大会も乗り越えて、これから挽回しようってみんな頑張っているところですよ?」
 ミナミは慌てて捲し立てた。このままSJWが誰かに買収されて、経営陣交代なんてことになったら大沢社長との接点もなくなっちゃうかもしれない。まさに顔面蒼白の事態だ。
 だが、大沢は苦笑いしながら制した。
「まあ、待て。うちを売却する話ではない」
「……へ?」
「他の女子プロレス団体を、うちが買収しないかという話を持ちかけられた」
「……ええええ?」
 山田が背景を説明する。
 三年前、日本全国を一世風靡したZWWが選手大量離脱により五つの団体に分裂した。
 そのうち、最も規模が大きい『DIVA』は、アイドルレベルの美人レスラーと実力派の双方を組み合わせた革新的な取り組みで圧倒的な人気を博す。
 次点の『OWP』、正式名称は大阪女子プロレス。パワー系でトップヒールの渋谷は現役女子レスラー中最強と言われている。
 その次は『ガルパ(ガールズパワー・プロレスリング)』、DIVA以上のアイドル路線を進めている。
 そして、四番目が大沢が率いる『SJW』、テクニック実力派。アイドル系レスラーにも高い技術力を求めている。
 五番目が『QoR』、旧ZWW時代に業界を牽引したレジェンドクラス一〇名が所属する。
「そのQoRが経営難で、株主である持株会社が売却したいと言っているんです」
「……え?」
 ミナミは予想だにしていなかった展開に、すぐには頭がついていかなかった。
「なんで、うちなんですか? 他の大きな団体への売却ではないんですか?」
 それに対し、山田はにこやかに答える。
「はい、その選択肢もありますが、他の大手団体は選手数も多いのでそれほど買収ニーズを感じていません。一方でSJWは選手不足気味で増強ニーズが強いだろうということ。そしてQoRの代表イズミ選手がSJWを指名したから。これら二点が理由です」
 イズミは往年のトップレスラー。現在はQoR代表として選手と社長を兼務している。
「なぜうちが指名されたんですか」
「詳しい理由はわかりません」
 QoRの選手は全部で一〇人ほどなので、自団体だけで興行を開ける規模では無い。他団体へのゲスト参戦がメインで、SJWにも何度かゲスト参戦したことはある。
(そのときに、うちが一番相性が良いと感じたのかしら……)
 一通りの質疑応答を終えると、山田はいくつかの書面をテーブルに乗せる。
「こちらがQoRの概要資料です。これ以上の情報については、こちらの秘密保持契約を締結してからとなります。それでは、良いお返事をお待ちしています」
 そう言い残して山田はSJWを後にした。残されたミナミと代田は途方に暮れる。
「大沢社長、どうしましょう?」
「そうだな。まあ、うちが万年レスラー不足であることに違いはない。ここでベテランレスラーたちを受け入れることができるのであれば、良いことではあるのだがな」
「問題はコストですよね」
「そうだな。採算がとれるかどうか……良い手があればいいんだけどな。まずは秘密保持契約を結ばなければ話は始まらないだろう。顧問弁護士に聞きながら進めてほしい」
「わ、わかりました……」
「ミナミに担当してもらおうと考えているが、M&Aを進めるとなると業務はかなり忙しくなる。練習もあるだろうから、この件を担当するか否かは自分の意志で決めるように」
 大沢は重い一言をおいて社長室に戻っていった。

 顧問弁護士とも連絡を取り、五月末にはQoRと秘密保持契約を締結。すると、M&A仲介の山田は、早速一〇〇頁超の資料を大沢宛に送ってきた。
「対象会社の財務や労務、契約などの重要な情報が全部入っているパッケージだ。IM(インフォメーション・メモランダム)というらしい」
 大沢からそれらを受け取るミナミ。
 M&Aは大学で習った。でも、教科書レベルの話だ。本物のIMなど初めて目にする。そこに会社情報や財務情報などが細かく記載されていた。練習は各々選手任せ。売上はマスメディア収益や他の団体への参戦オファーなどのプロデュースがメインだ。
(同じプロレス団体なのに全然違うビジネスモデルね。芸能事務所に近い感じかしら)
 法人としてのQoRは、イズミを代表取締役とした株式会社になっている。その株式を株主企業から譲渡を受ける想定だ。株式会社QoRには固定資産はほぼなく、負債を考慮すると純資産はほぼゼロ。
(実質的には、QoRブランドとレジェント選手契約を引き受けるということかな)
 重い資産がないことは買収余力が少ないSJWにしたらラッキーだったかもしれない。
 でも、今のタイミングはミナミにとってはきつい。せっかくアキラやサクラが朝練までして鍛えてくれている。次のプロテストは絶対に合格したい。DX改革にのめりこんで練習できなかったときの二の舞は回避したい。
(……両立できるのだろうか……)
 ミナミの心の中を不安が渦巻き始めていた。そんなミナミを見て、大沢が提案した。
「一度、対象会社の代表、イズミに会ってみたらどうだ?」
 ミナミは驚きを隠さなかった。
「え? いきなり、相手さんに会うんですか?」
「ああ。ふつうは売り手の株主と面談するのが普通だけどな。今回うちを指名してきたのはイズミだし、何よりM&Aが実現したらうちにくることになる。面談を申し込んでもおかしい流れじゃないさ」
 大沢はクールに答える。確かにその通りかもしれない。
「はい、イズミさんに面談を申し込んでみます」
「ああ。会いに行くのなら、会社の経営者と選手の両立についても、聞いてみるといい」
 大沢は、少し優しい表情で笑みを作ると、そのまま社長室に戻っていった。

 早速、M&A仲介を通じて連絡を入れると、QoRが拠点としている西新宿のシェアオフィスの共有スペースで面会してもらえることになった。
「よく来てくれたね」
 イズミはレジェンドクラスレスラー。全盛期は独特の顔面ペイントのパワー系ヒールレスラーだった。現在はプロレスラーとしては目立たなくなっているがテレビのバラエティ番組に出たりしていて、ミナミからすると芸能人にも近い存在だった。
「お、おま、お招きいただきまして……」
「ははは、緊張しなくていいよ。ここはいろんな企業が入っているシェアオフィスだ。あまり大声では話せないのが難点だけど、やっぱり安いんだよ」
 イズミがレジェンドヒールだからと心構えていたが、気さくにいろいろと教えてくれた。
 古いスタイルと無茶な運営や経営が原因でZWWが崩壊した。それを機に新規団体が乱立したが、ZWW流が染みわたっているレジェントクラスのレスラーは行き場がなかったから、まとめてQoRとして起業した。でもQoR単独では経営が成り立たない。ゲスト参戦での採算は限界で、そろそろどこかと統合するしかない。
「どうしてSJWを指名したんですか?」
「まあ、今の団体の中じゃ一番技術追求型だからな。おれたちベテラン勢にとっても一番相性が良い候補だと思ってね。それに大沢もいるしね」
「大沢社長、元々ZWWの経営企画責任者でしたね」
「おお、よく知っているな。そうそう、だからよく知っているよ。去年から大沢に打診してたんだよ。うちを引き取ってくれって」
「えええ? 去年から?」
「ああ。それが実って今回の話になったんだろ?」
 ミナミは開いた口がふさがらなかった。
(……去年からって、全然聞いてないわよ、大沢社長……)
 それとは別に、ミナミは大沢から言われた言葉を忘れていなかった。ミナミとしてもぜひとも結論を出したい問題であった。
「あの、私、レスラーと経営企画を兼任してまして……」
「ああ、聞いてるよ。練習生なんだろ?」
「はい。今後も、この兼任は続けることになりそうなんですが、本格的にレスラーとして歩むにあたって本当に両立できるか不安でして……このままでいいのかな、って……」
 それを聞くと、イズミはニカッと笑った。
「不安に感じてていいんじゃないか?」
「……そう、ですか?」
「ああ。おれだって、QoR立ち上げたときは不安で仕方がなかった。でも、ベテラン勢をバラバラにするわけにはいかない。死に物狂いでなんとかここまでやってきたさ」
 グッとこぶしを握って見せる。
「普通の状況なら両立なんてできるわけがない。不安にすら感じずに諦める。今、不安なんだろ? それはやりたいと感じていて、やればできるって思っているってことさ」
 それを聞いてミナミははっと目が覚めたような気分になった。
(そっか……私は、心の底ではもう覚悟を決めているんだわ)
 ミナミは胸に手を当てた。胸から熱い熱量があふれ出始めた気がする。
「自分を信じなよ。あの大沢が経営に関与させるほどに期待した新人なんだろ。期待した理由があるはずだぜ」
「はい。私、頑張ります」
 こうして、イズミとの情報交換を終えて、席を立つミナミ。
 本当は、もう一つ聞きたいことがある。小学校のころ、長岡で見た女子レスラー『アラタ』のムーンサルトプレス。もう引退してしまったけど、未だにあこがれている。イズミなら近況を知っているのではないだろうか。でも、聞けなかった。今回の件と関係ないし、それにやはりあの思い出は誰にも言いたくない。言ってしまったら自分の原点が穢れてしまう気がしたのだった。


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