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小説★プロレスガール、ビジネスヒロイン? 第十話 PMI(ポスト・マージャ―・インテグレーション) <入社2年目秋~冬>

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「そろそろ、本格的にQoRのPMIを進めてほしい」
 突然、大沢がそんなことを言い出した。
「……PMI……ですか」
 学生の頃に習った気がする。PMI……たしか、ポスト・マージャ―・インテグレーション。M&A後の本格的な事業統合のことだ。
「まだQoRの選手をSJWの練習や興行にも呼べていないだろ。このままじゃM&Aの効果を発揮できない」
「たしかに」
 QoRの選手は今まで通り他団体へのスポット参戦やテレビ出演を続けているが、イズミの乱入依頼、まだSJW興行には参戦していない。
「SJW最大の興行であるクリスマス大会は、今年は両国を抑えた」
「え……ええ? 両国ですか?」
 両国国技館といえば相撲の聖地ではあるが、プロレス興行の開催も頻繁に行われている。その最大収容人数は一万人を超える。これまでのSJWにとっての大きな会場といえば、後楽園ホールや八王子。一〇〇〇人超の規模だ。両国はその一〇倍。ミナミは想像を絶する規模にパニックになっていた。
 逆に、大沢のサングラスの中の瞳は、少年のような輝きを浮かべていた。
「SJWとQoRの統合後、初の大型大会だ。両国くらいの大舞台を用意すべきだと考えている。その価値をしっかりと作り出す必要がある」
 ミナミは大沢の言葉を思い出す。
「『興行回数は増やさない。質を上げて、観客数と単価を上げる』……これが大沢さんのポリシーでしたものね」
「そうだ。まだまだ理想には遠いけど、今回のQoR統合で質を上げていきたい。でも、肝心のQoRとSJWの融合がまったく進んでいないのが問題だ」
 ミナミの胸がずきんと痛む。自分のことばかり考えて、M&Aを完了することだけに捉われていた。確かに、授業でもM&AではPMIが一番大事だって習ったはず。
「わかりました。遅くなりましたが、イズミさんたちと話し合って、しっかりとPMIを進めます」
「よろしく頼む。クリスマス前週の興行でプレ参戦。クリスマスの週には両国大会で本格融合。すごいな。楽しくなるだろう」
「はい」
 こんなにうれしそうな大沢を見るのは初めてで、なんとか力になりたいと思うのだった。

 PMIといっても、正直何をしたらいいかわからない。教科書を読んでも、イマイチぴんと来ない。ガバナンス体制構築が必要? なんじゃそりゃ?
 M&Aといえばタマちゃんだ。早速相談のチャットを送る。
『今更何言ってんのよ。本来は契約前から計画し始めるものよ? まったく。今更だけど、さっさとQoRのメンバーに直接相談しなさい』
 ……尤もというか元も子もないというか直球のアドバイスチャット。そしてメールも入れてくる。
『ミナミは不器用だから、変な策など立てずに、正直に直球勝負の方がいいと思うよ。ほら、これを印刷して、直接会いに行っておいで』
(……タマちゃん、最近、一言多いよね?)
 そう思いながらも、タマちゃんが送ってくれたメールの添付ファイル『PMI項目表』を印刷してみる。
 フェーズがいくつかに分かれている。
 ① M&A検討中:DD、契約交渉中
 ② PrePMI:最終契約締結後、クロージングまで
 ③ PMI   :クロージング後
(……クロージングって買収完了の意味だったわよね。てことは……現状はすでに③ってこと?)
 ミナミは恐る恐る①と②の項目を見る。みっちりと記載がある。経営管理(ガバナンス)に始まり、人事(リテンション)、経理財務税務、IT、法務、総務、事業……
(本当はこんなにも実行していなければいけなかったんだ……)
 ミナミの顔から血の気が引いていく。
『うわー、全然やってこなかった。すっかり抜けているわ。どうしよう……』
『だから、さっさと直接相談して進めなさい』
『今からで、間に合うかな?』
『間に合うか合わないじゃなくて、やるしかないの。うだうだ言わずに、早く行け。これ以降未読スルーするからな』
『そんなー、しくしく……』
 以降、本当に未読でスルーするタマちゃん。
(こんなところはきっちりしているのよね……)
 ミナミが慌ててイズミに連絡をすると、幸い新宿のシェアオフィスに出てきてくれると回答が返ってきたため、急いで電車に乗り込むのだった。

「おいおい、今更かよ」
 イズミはあきれたように吐き捨てる。
「はい、すみません。そこまで頭が回っていませんでした」
「ワカバのこと、プロテスト、あったかもしれん。でも、おれたち一〇人の選手の人生の問題なんだぜ。忙しかったとか言い訳にならねえよな」
 今でさえテレビでバラエティーにも出て馴染みやすいキャラになっているが、もともと凶悪ヒールの最高峰。圧倒的な凄みを潜めている。ミナミは畏れ多く震えた。
「すみません。言い訳のしようがありません」
「……」
 直球で謝る。それ以外の策は捨ててきた。潔いといえば潔いが、完全に無策だ。顔から脂汗がどんどん噴き出るが、それを拭うこともできずに固まっている。
 それをみて、イズミはフンと鼻で笑った。
「仕方がねえから、相談には乗ってやるよ。他の九人もおれが説得してやる」
 ミナミは恐る恐る顔を上げる。
「……本当ですか?」
「おれも社長だからな。役割は果たす。ただし……」
「……ただし?」
「条件がある」
 それはそうだろう。ミナミはどんな条件でも甘んじる覚悟だ。
「はい。言ってください」
「SJWへの初参戦。クリスマス大会の前週。ミナミがおれとタッグを組め」
「……え?」
 ミナミは耳を疑った。サザンとしてデビュー戦を一戦しただけのド新人だ。往年のスターヒールとタッグを組むなんてありえる話ではない。
「ご、ご冗談を……」
 バン!
 机をたたく大きな音。シェアオフィスの会議室の扉はシースルー。他社の視線を感じる。
「てめぇ? おれがふざけて言ってるとでも思ってんのか?」
「ひっ、い、いえ。滅相もないです」
「じゃあ、タッグ、組むのか? 組まねえのか?」
「……帰って、社長や営業部長と相談して……」
 ババン!
「お前はPMI責任者としてSJW代表者としてここに来たんだろ。だったら、お前が責任をもって決めろ。今、ここでだ」
 イズミはまさに鬼の形相。
「……わかりました」
 ミナミは震えながら、それでも決意を固めた瞳で答えた。
「私が決めます。イズミさんとタッグを組ませてください。お願いします」
 イズミは打って変わって明るく笑った。
「いい覚悟じゃねえか。よろしく頼むぜ。じゃあ、PMI決めようか」
「あ、その前に……」
 ミナミが不安げに質問する。
「なぜ、私なんですか?」
「ああ。面白いからだ。異次元覆面ヒール爆誕。それがおれと組む。話題になるだろ? テレビでもネタにしやすいからな」
 そして、豪快に笑うイズミだった。

 SJWの朝練人気は衰えず、もはや完全に定着していた。プロテストが終わったので、ミナミだけを優遇した特訓は終わったが、アキラやサクラは引き続き若手たちの指導役を買って出ていた。今はサクラがリングで若手を指導している。ミナミは、いつリングに上がろうか、とタイミングを計っていた。そんな矢先、衝撃の事態が発生する。
「邪魔するぞ。いや、ここはおれたちの練習場でもあるから、今日からよろしく頼むな」
 そのど太い声。イズミだった。他に数人のQoR選手を連れてきて練習場に入ってきた。
「い、イズミさん? おはようございます。え、と、二時間予約してから来られると言ってませんでしたっけ?」
 ミナミが慌てて応対する。
「今日はQoRで独占するためじゃなく、朝練に参加しに来たんだ。悪いか?」
「え、本当ですか? もちろん、是非に。でも、少し手狭で……」
「かまわねえさ」
 そしてリングに向かうと、リングサイドでアキラがイズミに向かい正対した。
 緊張感が走る。
 アキラはさっとパイプ椅子を持ち出すとリングサイドにおいて声をかけた。
「イズミさん。こちらどうぞ」
 イズミは会釈する。
「ありがとう。でも、リングに上がりたい。肌と肌でぶつかりたいんだ」
 リング上のサクラと合流して若手指導に参加するという意味だ。アキラはリングサイドにいる選手に、ロープを開けるように声をかける。
「ありがとう」
 こうして、アキラ、サクラだけでなくイズミの朝練合流も実現。
(何というめちゃ豪華な指導陣かしら)
 ミナミは選手たちの歓声を聞きながらほっとするのだった。

「イズミさんが朝練に来てくれて、みんなに指導をしてくれました」
 ミナミは社長室で、嬉しそうに報告した。
「それは良かった。順調にPMIを進めてくれているということだな」
「はい」
 PMI要素の中でも、一番重要なのは選手の扱いだった。選手が離脱してしまったら買収したQoRは単なる抜け殻になる。それを取り仕切るイズミの協力は不可欠。そのイズミとかわした約束は、
 ・イズミはQoR代表取締役社長を継続。SJWから社外取締役を派遣
 ・試合参戦は、SJW興行を最優先。余力があるときは他団体参戦も可
 ・練習体制はSJW本社の練習場を使う。最大二時間独占予約可
 ・バスはもう一台準備。ベビーフェイス組とヒール組を分ける
 そして、ミナミがイズミとタッグを組むこと……
「……タッグの件はわかった。必ずいい経験になるから、前向きにやってみろ」
「はい。ありがとうございます」
 そして、ミナミはもう一つ付け加えた。
「あと、一番大事な経営ビジョンについてですが、その、私に任せると……」
 大沢は、意外にもそれほど驚かずに返す。
「そうか。それで、どんなビジョンにするんだ?」
 ミナミは大沢をじっと見つめた。
『もう少ししたら、純粋に技と技の凌ぎ合いによって人を感動させる団体を作るから、卒業したらそっちに入団しにおいで』
(……大沢さんがそう言ってくれたから、私は今ここにいる。私の想いと大沢さんの信念は一致していると信じて……)
「『SJWとの共創で、純粋な技と技の凌ぎ合いが評価されるプロレスを実現する』と提案しました。大沢さんがSJWを立ち上げた理念に通じるように考えました」
 ミナミが透明な瞳でそう答える。まさにまだ穢れを知らない少女の瞳。大沢は一瞬言葉を失った。
「……そうか。わかった。ありがとう、よくやってくれた。これでQoRとの統合も順調に進み出すだろう。ご苦労だった」
「はい、ありがとうございます」
 PMIを何とかやり切り、安堵の笑みを浮かべるミナミ。充実感を胸に社長室から出ていった。
 その後、大沢は電話をかける。
「今回は色々ありがとうございました」
「あんたの言う通りにしただけさ。タッグの件はおれも楽しみではあるけどね。しばらく、おれ流に鍛えればいいんだろ?」
「はい、頼みます。必ず、彼女のためになる」
「素質は認めるさ。大沢さんが入れ込んでいるのもよくわかる。多分、プロレスラーとしてだけでなく、だろ?」
「……どうでしょうね」
 大沢は、ニヤリと微笑んだ。

「一八時から予約を取った。練習するぞ。いいな?」
「は、はい。よろこんで」
(あのイズミさんと練習できる。しかも二時間も?なんて恵まれた提案……)
 ミナミは素直に喜んだ。しかし、とんでもない。練習なんて甘いものではなかった。
(この人、アキラさんやサクラさん以上のバケモンだ……)
 やはり往年のスターの実力は伊達ではなかった。
 まず、体重が違う。サクラよりさらに重くて技を出すのも受けるのもしんどい。そして意外と素早く動くし飛ぶ。最初にトップロープからのギロチンドロップを受けたとき、ミナミは完全に気を失ってしまったくらいだ。

 そして、数日後。朝練後の更衣室で……
「ミナミ、水着は決まったか?」
 ベテランは試合用コスチュームのことを水着と呼ぶ。
「まだです」
 本来は自分で用意する必要がある。いつまでもジャージで試合するわけにはいかない。「おれが用意してやったから合わせてみろ」
「え? 本当ですか? ありがとうございます」
 でも、採寸もしてないのに……と不思議がっているミナミに手渡されたのは、GTHと印刷された黒いTシャツとショートデニムだった。
「え? これって……」
(普通、水着という愛称の通りビキニやワンピースが主流なのに……)
 普段からおしゃれの一つもせず毎日ジャージで通勤しているミナミとはいえ、水着タイプにあこがれを持っていたので少し落胆している。そこに、サクラがやってくる。
「ミナミは迫力に欠けるからこれくらいの方が良いかもな」
「だろ? 細い線も少しは太く見えるだろ。どうだ? ミナミ」
(もう……どうにでもして……)
 ミナミは苦笑しながら答えた。
「はい。とても強そうですよね。ありがとうございます」
 こうして、ミナミはついにプロとしての第二戦を迎えた。
 
 まだまだ実践不足のミナミ。やはり捕まって集中攻撃を受ける。それでも、なんとかカウントを二つで返し続ける。そして、一瞬の油断をついてスープレックスで相手を投げる。その隙に何とかイズミにタッチ。
 その後のイズミは圧巻だった。
 相手の一人を場外に叩きだし、もう一人を集中攻撃でダウンさせる。最後はトップロープからのギロチンドロップ。勝負を決めた。
 リング上で、イズミに右手を挙げられるミナミ。観客が勝利を讃えてくれる。
「お前が最後まで踏ん張ったおかげだ。胸を張れ」
 まだまだ、ふがいない内容だが、それでもミナミにとっての初勝利。胸いっぱいでイズミにお礼を言うミナミだった。


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