「メッシもフィクション」
ユバル・ノラ・ハラリ ‘ #21世紀における21の提言 (英語版の日本語要約) ’
第17の提言 #ポスト真実 P236~242
(私の現状報告)
ありがとうございます。皆さんのお陰様で、たいへんピンピンしています。5月12日(日)、5月13日(月)は、東北地方で冠婚葬祭があります。更新ができないと思われます。よろしくお願いします。
(著者の結論)
(本題)
本当に #サッカー を楽しみたいなら、ゲームのルールを厳守し、 #サッカー というものは人間が発明したものに過ぎないということを、少なくとも90分間忘れる方がいい。
もしそうしないと、22人の人がボールの後ろを駆け回っていることが、本当にバカげてみえる。
#サッカー というのは、単に楽しむことで始まるが、 #イングランドのフーリガン や #アルゼンチンのナショナリスト が証明するように、たいへん大げさな出来事となりうる。
#サッカー は、個人のアイデンティティーを統率しうる。
また、大規模な集団を統率しうる。
そして、暴力の温床とさえなりうる。
#国家 と #宗教 は、 #巨大なサッカーチーム である。
人間は、知ることと知らないことを、同時にできる驚くべき能力を持っている。
もっと適切に言うと。人間は、あることを考えている最中は、それを知ることができる。
しかし、ほとんどの時間、あることを考えていないので、それを知らない。
もしも、あなたが、本当に細かく観察すれば、 #お金 というものは、フィクションだとわかる。
しかし、普通は細かく観察などしない。
もしも、指摘されれば、 #サッカー は人間が発明したものだとわかる。
しかし、試合の熱狂のさなかに、誰もそれを指摘しない。
もしも、時間と労力を注げば、 #国家 は精巧な作り話であるとわかる。
しかし、戦争のさなかに、時間と労力など持てはしない。
もしも、 #究極的な真実 を求めれば、アダムとイブの話は、 #神話 だとわかる。
しかしながら、 #究極的な真実 など、どれほど求めるものだろうか?
#真実 と #権力 が、一緒に船出できたのは今までだけの話である。
遅かれ早かれ、それらは分かれるであろう。
もしも、 #権力 が欲しいなら、 #フィクション を広めるべきでる。
もしも、 #世界の真実 を知りたいなら、 #権力 を放棄すべきある。
そして、仲間を怒らせ、支持者を落胆させ、社会の調和を乱すような事柄(例えば自分自身の権力の源泉について)を認めなければならない。
歴史を通じて、学者たちはこのジレンマを経験してきた。
誰もが #同じ話 を信じるように仕向けて、人々を統率するよう計らうべきか?
分断という代償を払っても、人々に #真実を知らしむるべきか ?
最も影響力ある学問上の制度(キリスト教学者、儒教の宦氏、共産主義イデオロギー)は #真実 よりも#権力 を重要視する。
これが、それらの影響力が強い理由である。
種族として、 #人間は真実よりも権力を好む 。
我々は、世界を理解するように努めるよりも、それをコントロールしようと努めるのに時間と労力を使う。
そして、世界を理解しようと努める時にさえ、そのことによって、世界をコントロールしやすくなるであろうというという目論見を持っている。
したがって #真実 が支配的であり、 #神話 は無視されるという社会を夢見るならば、 #ホモサピス にはあまり期待しない方がいい。
#チンパンジー でイチかバチか試した方がいい。
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