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文学あれこれ雑記 No.3 由比ヶ浜で、ロシア人女性Dariaとの出会い、海で道徳的な戦いを宙吊りにし、カフェで月に願いをかけてみる

 海に行きたい。
 目が覚めた時、体調はあんまりよくなかったけど、結局、体調が悪いからといってベッドで寝てたり、イスに座ってなにも手につかないままだと、体調が回復しないことはよく知っているので、思い切って鎌倉の由比ヶ浜に行くことにした。
 午前中からお昼過ぎにかけては、日差しが強く、風もあって、まだ夏が終わってないかのような陽気だったけど、3時前になってくると少しずつ秋めいてきて、波打ち際に輝く光が散り散りになって、光っては消えていくのを眺めているうちに、毎週、1日でもいいから、こんな日がPisaでも過ごせたらなぁって気分になってくる。
 鎌倉在住の作家・保坂和志のエッセイに、こんな言葉が載っていた。
 「ずっと悩んでたことがあって、ある日、海に行ってみると、僕が悩んでたことの答えはこの波間に輝く光だったんじゃないかと思えたことがあった」。
 僕も共感するところがあって、とりあえず海は、道徳的な戦いを宙吊りにできる場所だと思う。
 フランスの作家・アニー・エルノーも、書く行為とセックスが道徳的な考えを宙吊りにできる行為だと書いていて、変な話のように聞こえるけど、アニー・エルノーみたいな女性と海で道徳的な戦いを宙吊りにする時間を一緒に作れたらなって、鎌倉の御成通りのカフェ・プリマヴェーラで、甘いホイップの味がするカプチーノを飲みながら感じた。
 JR横須賀駅から電車を一回乗り換えて、いざ鎌倉。
 この辺の車窓からの風景は緑が多くていい。
 昔、栃木県とか埼玉県とか東京とか愛知県に住んでた時は、ここは人間が住むところなのかと思ったことがあったし(愛知県は場所によるけど、名古屋はとにかく東京並みに人が多いし、気の合う人は少なかった上に、イタリアに行く手前でみんな離れて行った)、実際、東京に行くとなにがそうさせるのか、落ち着いてゆっくりものを考えさせないようなダークな感じがあって、ずっと湘南とトスカーナにいられたらなと思う。
 僕は小町通りよりも、ダンゼン御成通り派で、20歳くらいの頃から御成通りばっかり来てる。
 もちろん、小町通りもおいしいお店はあるし、独特の賑わいや、鶴岡八幡宮があったり、楽しいは楽しいんだけど、鎌倉の伝統を守ってる大人の街は、どう考えても御成通りだ。
 欧米人には、サムライとドラゴンボールが好きな人が多いんだけど、武家文化のルーツはやはり鎌倉で、僕もなにかの事情でイタリアに住めなかったら、鎌倉で今のウェブサイト運営と文化事業関連のウェブサイトのリニューアル・管理をやりながら、文学マンガ喫茶かなにかわからないけど、お店出すのはいいなって思ったりしてた。
 御成通りをまっすぐ南に歩きながら、考え事をしてると、いつの間にか和田塚の交差点に出てる。
 古着屋に入ると、レディースのヨーロッピアンな柄のシャツがあったので、買うことに。
 近くに今まで寄ったことのないカフェがあったので、そこにも入ってみる。
 焼きそばパンと、秋刀魚のパンが食べたくなったので、辛口のジンジャエールと一緒に頼んで、食べる。
 タバコ屋だったところを改装して作ったんだろうっていう感じで、実際にタバコも売ってるおもしろい店だ。
 パンは両方とも絶品で、焼きそばパンはパンの部分が日本のコッペパンみたいな味になってなくて、ヨーロッパのブレッドでそこがよかったし、秋刀魚のパンは食感から、魚の風味の濃さから、本当に秋の味覚が満喫できて最高だった。
 特に離れの、倉庫を改装したらしい場所で、陽の光を眺めながら飲むジンジャエールはおいしくて、ここにはまた来たいなと感じる。
 店を出て、由比ヶ浜の方に写真を撮りながら、歩いて行って海に出る。
 いかにも仕事してますって感じのブラウンのキレイなスーツを着たヨーロッパ系の男性と134号線を横目に、海へ。
 砂浜の照り返しがすごくて、汗を拭きながら、ウェブサイトに載せる写真を撮るために自撮りやってたら、今度はスマホのバッテリーがなくなる。ちょうどのども乾いたところなので、コンビニに充電器を買いに行くことに。
 充電器を買った帰り、アパレルショップで絵画展をやってたので、立ち寄って見た。
 南国の女の人を愛する画家さんだそうで、日本の芸術はハイアートとサブカルの境目がないからこそ、特にどうハイアートとしての価値というか、単にイラストでないアートとしてのコンテクストを含ませるべきか、いかにサブカルの非美学的、非倫理的な価値に近寄らない路線を模索すべきかとか、そんなことは考えるんだけど、これはこれでイラストとしてはいいもので、タンブラーとステッカーを購入する。
 タンブラーはペットボトル不買運動の一環として買ったんだけど、今まで買ったのは、パッキンのところが汚くなったり、オシャレなんだけど、大人っぽさがないタンブラーとかばっかりだったので、30代のマダムにモテそうなタンブラーということで婚活の一環としても買ったような感じだ。
 文学あれこれ雑記っていうタイトルから外れてきたので、文学の話もするけど、文学やってるからこそ、自然のもの、特に海には来なくちゃいけないなとよく思う。
 そもそも僕は執筆をはじめる前から海は好きなんだけど、海っていうのは、仕事のことととか、世の中のしがらみとか、ニュースでやってる暗い話とか、つまんない出来事を忘れさせてくれる抱擁力みたいなものがあって、Pisaでも海のすぐ近くに住みたいな、家賃高いんだろうな、でもフィレンツェよりは家賃マシなんだろうとか、思いながら、これからは仕事の時間をなるべく削らずに、他の時間を削って海には来ようと心に誓った。
 僕が日本にいる時、横須賀にいようかと考えているのは、アルファっていう、欧米系の人が多い、バーがあるからで、どぶ板横丁には、やさしくしてくれて、今度、そこで一緒にワイン飲もうよって誘ってくれたタイマッサージの女性までいるから、横須賀はナイスだなって思うんだけど、鎌倉だって海に来てる欧米系の女性に声をかけまくれば、数人は友だちできるかもなとか思ってて、街の気風自体は、鎌倉の方が僕に合ってると感じる。
 ハッキリ言って問題ない話だから言うけど、スペースで話す文学好きな人とかも含め、文学好きな日本人は、本当に欧米のこと知らなすぎて、話してて驚きだ。
 僕はイタリアやトルコに旅行に行く前から、欧米ってこうだろうって推測をよくしてて、それがイタリアやトルコに行った時、かなり役に立ったんだけど、そういうことしてるとは思えない狭い倫理観とか美学的価値観で人と話すから、魅力ある作品を書くのは限界があるだろうなと話を聞いてて思う。
 村上隆だけじゃないけど海外で活躍する人は、日本のいい部分をどう自分の武器にして、アレンジを加え、海外で活躍する時に、よくアピールできるかはみんな考えることだ。
 僕もイタリアにいる時から、イタリアに住んでる欧米人に、日本のなにがよろこばれそうで、なにがよろこばれないかは、毎日のように考えていて、今日だったら、ニンジン、ムラサキニンジン、オクラ、オオバ、シラスのバター醤油の和風パスタを、僕が日本でいちばん安心する場所だと思ってるカフェ・プリマヴェーラで食べながら、これはイタリア人にはよろこばれるかとか考えてたし、実際、こういう考えは重要だと思う。
 考えれば考えるほど、美学や美が洗練されてくるからだ。
 ただあんまりイタリアと東ヨーロッパのことしか考えてない人だと思われると、嫌な顔をされることもあるから、ヒッピーが得意としてたオリエンタリズムのように、トルコだったりとか、インドだったり、ブラジルだったりのことも考えるんだけど、基本、僕はイタリアと東ヨーロッパのことで頭がいっぱいだったりするというのも事実ではある。
 イタリアで文化を仕事にするってことは、そのくらいのことでないと難しいというのが実際で、海外生活は甘くない。
 トルコは異文化に寛容で、ちゃんとトルコを尊重する態度で住めば、楽しく過ごせるみたいだし、社交的な人が多いし、街も人もキレイなので、トルコもいい国だ。
 イタリアは、とにかく美に厳しいし、伝統を強く重んじるので、異文化にも厳しい。
 そこがいい側面だと僕は思うし、その土地の気風を深く理解し、好意を住めせば、まるで故郷の人みたいに受け入れてくれるどころか、助けてもくれる、最高な場所だったりもする。
 実際に病気になって酷かった時、シエナの本屋Rebeccaは全力で助けてくれたし、街のレストランも救急車を呼んでくれたし、病院の医者も今でもメールで話を聞いてくれるから、本物だと思う。
 トスカーナ人、特にフィレンツェ人と、フィレンツェが好きでそこに住んでる人の美学、美意識はふつうじゃない。
 そもそも、レオナルド・デカプリオみたいな男が、カフェで彼女とティラミスを食べてたり、イーサン・ホークみたいな男とお嬢様が、馬車に乗って街を走ってるのがふつうの街なので、世界中探しても、こんな美意識の結晶みたいな街はなかなかないだろう。
 と、まぁ、今度は文学の話をしすぎてしまったんだけど、絵画展をあとにして、由比ヶ浜に戻ってきた。
 太陽の光を浴びるのが僕は好きで、陽にあたってるだけでも心地よくなってくるので、今度、住む家はヨーロッパによくあるバルコニーが広くて、快適に過ごせる部屋を借りて、そこで仕事でもしようかなって考えてる。
 海には、今まで海であまり見なかったウエットスーツを来た小学生くらいの子どもが何人もいて、この頃の流行りなのかなとか、思いながら見ていた。
 チェアリングもぜんぜん廃れてなくて、僕もPisaに住んだら、海辺でColemanの緑のキャンピングチェアを買って、ぼーっとしたり、本読んだり、友だちを呼んで、お菓子でも食べて、しゃべったりしようかなとか、それを見て思ったりも。
 バッグを横に置いて、砂浜に寝ると、地球が丸いっていうのを身体で感じられる。
 時間が急に平らになったみたいだ。
 レコードみたいにずっと地球は回ってるんだろうって、直感で感じられるし、天上界とは違う地上的な感覚って、ここから来てるんだろうし、地動説っていうのを思いついた人も、こういうこと日々よく感じる学者だったんだろうと思う。
 3時前になると少しずつ陽も傾いてきて、風が涼しくなってくる。
 海っていうのは1人で来ても、だれかと来ても寂しくなるから、女性に声をかけることにした。
 日本人女性がナンパをウザがる人が多いのは知ってるのから、ヨーロッパ系の女性に声をかける。
 どっちにしても、もう話が合う日本人がほとんどいないことも知ってるので、海辺に来てる数少ないヨーロッパ系の女性を探す。
 最初の人は、1人で海に来てる黒い水着の女性だったけど、話した途端、「No」だった。
 そもそも1人になりたくて来てるような感じもあったし、男性慣れしてるんだろうってことで切り替えて、次。
 3人組できてる女性たちで、その時は2人しかいなかったけど、その2人にも声をかけた。
 こっちはもっとナンパ慣れしてる感じで、眠いからあっち行ってとか、寝るのこれからとロシア語の本を枕にして、ブランケットを体にかけ直しけて話していて、そもそも寝てるの起こしちゃったのは失敗だったなと思いつつ、次へ。
 そもそもカップルできてる人とか、家族で来てる人多いし無理かなと思ってると、突然、さっきまでいなかったはずの女性がそこに座ってた。
 さっきの様子を見ていたのか、一瞬目が合っただけで、話しかけてほしいんだなっていうのがわかる。
 話しかけてみると、実際にそうで、大きなヘッドホンをして、白いロングのTシャツを着ている彼女は、僕の話に答えてくれた。
 名前はDariaというそうで、モスクワから日本に旅行できてるとのこと。
 子どもを撮るフォトグラファーをやっていて、明日、モスクワに帰ってしまうらしい。
 僕も余計なことを聞いたなと、あとで思ったんだけど、彼氏がいるらしく、それが東京の人だということだ。
 そんなこと聞かずに、カフェ行かないって聞けばよかったのに、ずいぶんな失態。
 カフェで気付けば、そっか、じゃあ今度、会えるかわかんないねとか、そんな感じで、ステキなティータイムを過ごせたのに、これは惜しいことをした。
 Instagramを交換する時、彼女が旅行が好きでいろんなところに行ってるんだけど、日本の鎌倉が最高だと言ってくれたのは、うれしいことだ。
 僕がイタリアに住むんだと話すと、驚いていて、でもロシア人はイタリアには行けないんでしょと言ったら、そうと話していて、最後は、日本かイタリアでまた会えたら会おうと話して解散。
 帰りに、カフェ・プリマヴェーラに寄って、和風パスタ、リンゴジュース、アフォガード、栗のアイス、カプチーノ、プリマヴェーラブレンドと、豪遊してしまった。
 これを僕の大好きなアーティストLeyonaの歌を聴きながら、書いているんだけど、鎌倉は山と海に囲まれたいい場所なので、イタリアに行くまで、横須賀からここに滞在場所を移して、仕事をしながら、ウィークエンドには、由比ヶ浜で欧米系の女性に声をかける日々を過ごそうかなとか考えてる。
 それで友だちが1人でも多くできたら、僕のしあわせも増えるし。
 これを書き終わることには、5時半になってたんだけど、秋の日は釣瓶落とし、保坂和志さんの小説『季節の記憶』にも出てくるけど、一気に日が落ちた。
 それにしても、仁美さんはどうしてるんだろう。
 シエナのドクターのCaterinaも。
 連絡が返ってこない。
 仁美さんはもしかしたら、なにかの事情があるのかもしれないけど、Caterinaは今日、もう一回、メールしてみよう。
 イタリアでステキな女性と結婚して、ステキな女性友だちに囲まれて、偉大な文学の仕事ができますように、大好きなカフェから月に祈った。















了 

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