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駐妻生活は、強制リセットボタン。アイデンティティ喪失を乗り越えた私の話

「海外で駐妻生活なんて、うらやましいー!」
前職の後輩に言われて、私は「そうかなぁ」と笑顔を作った。
内心(あ、私いま、ちゃんと笑えてるかな…)と確認しながら。
自分の笑顔が若干ひきつっているのを、かたまった頰の端で感じていた。
昨年4月、久しぶりに日本に一時帰国した時のことだった。

駐在妻、略して「駐妻(チュウヅマ)」。駐在員(つまり仕事のため外国で生活する会社員)の妻のこと。夫の仕事に帯同して海外に移り、その土地で生活する女性のことを、世間ではこう呼ぶらしい。

私が初めて「駐妻」という存在を知ったのはもう何年も前、美容院で雑誌を読んでいた時だった。
某おしゃれなアラサー向け女性誌「CL●SSY」で女性のあこがれの主婦生活として「1ヶ月のスタイリングモデル」のストーリーの主人公になっていたのが「駐妻」だった。
お手伝いさんや運転手さんがいて、海外らしい広くて素敵な家に住んでいて。お金に余裕があって、英語がペラペラ堪能で、時々ホームパーティなんか開いちゃったりして。
キラキラした生活を送っているイメージのモデルさん達を見ながら「チュウヅマねー。世の中にはそんな人もいるんだな」と、当時の私はよく知らずにペラペラ雑誌をめくっていた。

数年後、まさか私がそんな駐妻なんぞになるとは思ってもみなかった。

私は結婚して夫の姓に変えることに心理的にかなり抵抗があった人間なので、自分が「妻」というレッテルを貼られることに、いまだに多少の違和感がある。

正直なところ、駐妻生活というものはしんどいことが本当に多い。
まず1番大きいのは、自分の人生がリセットされることだ。自分の意思とは関係なく、強制的に。

今まで付き合っていた友だち全員と会えなくなる経験なんて、今までしたことがある人はいるだろうか。
駐妻になるということは、まさにそれだった。
すべての友だちに会えなくなる。

もちろん、今の時代はSNSがあるのでまったくコミュニケーションを取れなくなるわけではない。でも直接会えないというのは、週末に友だちと会ってご飯を食べるのが何よりもストレス発散法だった私にとって致命的だった。

友だちに会いたい。軽く話して、「わかるー」って誰かと笑い合いたい。
そもそも家族以外の人と、最近日本語で会話していない。

それに、大人になってから新しい友だちを作るのがこんなにも難しいことだなんて知らなかった。

日本にいた時の私は、これといって趣味らしい趣味がなかった。
ヨガが好き、料理が好き、小物を作るのが好きといった何かしら趣味がある人は、サークルなどに入って比較的容易に友達を作れる印象がある。

私も勇んで入会してみたものの、そのサークルの目的自体にそもそも興味を持てないと、だんだんと足が遠のいてしまった。

友だちってどうやって作るんだっけ、とぼんやり考えてみるがよく分からない。大人になってから友だちを意識して作った記憶がないのだ。
思えば今でも繋がっている友だちは、大学や高校時代からつながっている人たちばかりだった。

ある時はフリーマーケットのようなものにがんばって参加してみたものの、既に仲良くなっている友だち同士で参加している人たちが輪になって話していた。みんな楽しそうで、私は完全に蚊帳の外。会話に入れるはずもない。買い物の人だかりにも加われず、誰とも会話できず、大したものも買えず、とぼとぼと泣きそうな気分で帰ってきた記憶がある。「頼むから友だち以外とも会話してくれよ!」と心の奥底で叫んでいた。ほんとうにツラかった。

スーパーで友達同士で固まっている人を見かけると、今でも若干オドオドしてしまう。自分がこんなコミュ障だなんて、海外で生活して初めて知った。

そして意外に一番こたえたのは「仕事がない」という辛さ。

日本にいた時の私は、仕事人間だった。新卒の時から朝から晩まで働いて、出産して生後8ヶ月で子どもを保育園に入れてからも、ガツガツ楽しく働いていた。
仕事には役割がある。お客さんや上司や同僚、後輩、自分を求めてくれる人たちがいる。大変なことも多いけど、がんばるとそれなりに評価してもらえたり、結果が出たりする。人の期待に応える喜びは、私を楽しく仕事に向かわせていた。

今は仕事に付随して、自由になるお金も少ない。

「主婦なんて、旦那さんのお金で食べられるから幸せじゃん」と言った人がいて、オイオイオイオイマジかよ!!と心の中で突っ込みを入れた。
マジでほんとにそう思ってるのなら、即刻今すぐに代わってくれ。

仕事がないということはつまり、お金もない。

うちの夫は正直、そんなに高給取りではない。家庭の金銭事情になるので細かい部分は割愛するが、我が家はそんなにお金に余裕があるわけではない。私は自分が遊ぶお金は自分の貯金を切り崩して使っている。自由にできるお金も、自分で働いていた時とは比べ物にならない程少ないし、今後も増える見込みはない。

しかも生活費であっても、夫が稼いだお金を使うときは意味の分からない罪悪感のようなものがある。自分でお金を稼いでいたときにはなかった、窮屈で卑屈になってしまいそうな感覚だ。

海外に引っ越してすぐの頃。家や生活の拠点を決め、引越しの荷物が片付き、徐々に生活が落ち着いてくると、今度はやることが何もない。
今まで私を形作っていた友人、仕事、お金、生活のすべてがなくなり、「無」の時期が訪れた。

「無」は、こたえる。今まで日に3件、4件と入っていたGoogleカレンダーが、ずっと真っ白なのだ。今日も明日も来週も来月もずっと、自分が動かなければ、予定がまったく何もない。

「私は何者なんだろう」
「なんでこの国で生きてるんだろう」
「私の人生ってなんなんだろう」と完全にアイデンティティが喪失した時期があった。


ここまで、ついつい辛いことだけを書いてしまった。

「駐妻生活なんてお気楽極楽」と思っている世間の皆様に、「そんなことはないんですよーーーっっっ!!!!」と声を大にして伝えたかった。

美容院で読んでたあの雑誌が目の前にあったら、今すぐ破って間違っているところに真っ赤なアンダーラインを引いてやりたい。

「ココ!『今日はホームパーティ♡』とかなんとか書いてありますけど、そんなことあるわけありませんよーー!!」と。

いやもちろん、そんな生活してる駐妻様も世界のどこかにはいるにはいるのかもしれないけど、私には無縁の生活だ。パーティに呼ぶ友達もお金も、そんな余裕もセンスもない。

一方で、じゃあ駐妻生活はまったく楽しみがない生活なのかというと、そうでもない。

自分次第で、駐妻生活は楽しいものにできると、今の私は感じている。

タイトルに記した通り、駐妻生活は「人生の強制リセットボタン」だと、私は思う。自分の意思に関係なく人生がリセットされて、一度は自分のアイデンティティを喪失する。
でも、リセットのいいところはやろうと思えば新たに構築できる所だ。
新たにゼロからリスタートする大変さもあるけれど、自分次第で「新しい自分」を見つけて、周囲と新しい関係性を築くことができる。

海外生活が始まって「無の時間」が訪れた時に、私は「本当に私が好きなもの、やりたいことって何なんだろう」と考えた。

先ほども書いたとおり、仕事人間だった私には趣味らしい趣味はなかった。
それでもなんとかして、この土地でやりたいこと、楽しいと思えることを1つでも始めようと思った。そうでもしなければ、この土地で生きていける心地がしなかった。

まず最初に始めたのが、美味しいものを食べに行くこと。

幸いにも私が住むバンコクには、美味しいレストランが色々あった。最初は土地勘もないし言葉も通じないしレストランにたどり着くだけで一苦労だったが、インターネットや日系スーパーで手に入るフリーペーパーを熟読して、良さそうなお店に足を運んだ。
当たりも外れもあったけど、1つのお店を開拓すると「あ、この前通った店の近くだ」とか、GoogleMAPを見ながら少しずつ土地勘も鍛えられていった。
タイ語でタクシーの運転手さんに行き先を告げたり、Grab(タクシー配車アプリ)を使えるようになったり、外出することで少しずつこの土地の言語やルールにも慣れていった。

そして、ただ食べに行くだけではもったいないので、ブログを始めた。
私はわりと忘れっぽいので、お店の名前や行き方をすぐ忘れてしまう。「この道は一方通行だから、こっちから回っていくといい」「この店は○○が美味しかった」などなど、自分の備忘録としてブログに綴った。最初の頃のブログの読者は自分だけだった。

すっかり忘れていたけれど、そういえば私は中学高校6年間は新聞委員だったし、書くことは好きだった。文章を書くこと、人に分かりやすく伝えることは割と得意で好きなことだった。

ブログを続けるうちにだんだんと書くことが楽しくなり、一時期は毎日投稿するのが習慣になった。

そして徐々にブログに載せる料理の写真が美味しそうに見えないことが気になってきて「美味しそうな写真を撮りたい!」と写真のワークショップに参加するようになった。
写真の技術を学べたことはもちろん、ワークショップで写真好きな友だちができたことで、だんだんと友だちと一緒に写真を撮りつつ散歩をするのが私の趣味になっていった。

そして、ブログの過去記事を配信するためにTwitterを始め、写真を投稿するためにインスタを始めた。

徐々に「無」だった私の生活に、ブログ仲間、写真仲間、Twitter仲間、インスタ仲間との予定が増えていった。

バンコクに住んで2年弱だが、今でも友だちは多くない。今だにインスタなどでキラキラ!ステキ!な生活をしている駐妻様を見かけると「お、おう…」と眩しくて目が潰れてしまいそうになる。

それでも、新しい店を見つけたときに一緒に食べに行きたいと思える友だちがいること。一緒に写真を撮りにでかけたり、くだらない雑談ができる友達がいること。今ではこの駐妻生活は楽しいと思えるし、バンコクでできた数少ない私の友達には、本当に心から感謝している。

ブログという存在にも助けられている。いいお店を見つけたら文章にして伝えられるブログがあることは、日々の楽しみの一部になっている。
以前はがんばって毎日投稿していたブログだが、今ではあまり投稿頻度は高くはない。だいたい月間30,000~50,000PV前後くらいで推移しているから誇れるほどのスゴイPVではないけれど、無理せず楽しく続けられるのがいい範囲だと思っているので、今でも楽しく続けている。

少しの友だちがいて、ブログを読んでくれる人がいて、反応があって。

「人生がリセットされても、楽しいことを見つけて、誰かと繋がりを持てるようになると、人はまた生きていけるようになるんだな」と、今の私はようやく感じられるようになった。


これは「海外生活始めたらブログを始めましょう!」という話ではない。

アイデンティティを完全に喪失した人間が、たまたま立ち直るきっかけになったのが、ブログであり、Twitterであり、写真であり、それによってできた友達だったという話だ。

人によってこれがヨガだったり、料理だったり、小物作りだったり、あるいはその他いろいろな人との繋がりだったりするのだと思う。

もし趣味がなければ、徐々に作っていけばいい。
人によって興味の方向性は違うので正解はないと思うが、その人それぞれ楽しいと思う方向に向かっていったら、新しい土地で「あ、ここで暮らすのも楽しいかも」と思える瞬間は必ず訪れるはずだ。

きっと人知れずアイデンティティ喪失しているであろう、世界中の駐妻さんたちが、その土地で楽しく暮らしていくために、自分に合った「コレだ」を見つけられますように。

同じく辛さを味わった一人の人間として、私は心の底から願っている。

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