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カメラはそいつとボクを結ぶ言葉

半日歩きまわった森から帰るときがきた。
もうかなり薄暗くなった森のなかをとぼとぼと歩く。
空を覆う背の高い樹々がさらに暗い。
左は下のほうに流れる小川を見下ろす小崖。
右は小高い森が切り崩された見上げる小崖。
落ち葉や、枯れ枝、草、土、石ころ、倒木あらゆるものが存在している。
そんななか右の崖の下、今が一番盛りのキノコが目に入った。
背丈1.5cmか2cmかの小さなキノコ数本。
倒木のうえに生きていた。
昨日はまだ生まれてなかったかもしれない。
明日になれば萎れているだろう。
傘が破れているかもしれない。
キノコの盛りはとても短い。
盛りといえども、多分このキノコの存在に気づく人は少ないだろう。
天地左右360度、混沌のなかではあまりにも小さな存在だから。
もう帰ろうとしているから。
薄暗いから。
興味ないから。
地味なキノコだから。
ましてや、とまってしゃがんでその写真を撮ろうとする人は、、
果たしているのだろうか?
でも、ボクのなかの何かがどうしても撮らさせずにいられなかった。

混沌のすべてを観てしまう人間の目。
もしくは今必要な道の先だけを見る人間の目。
そこから小さく地味なキノコだけを見出す。
キノコとボクが言葉を交わす。
ファインダーを除く・・・正直に言おう。
キノコのむこうの小枝を少し横にうつし、手前の落ち葉を少し移動させた、
どうしてもキノコ(と朽木)とだけ会話したかった。
これでフレームのなかには倒木の朽木とキノコだけになった。
森の底は薄暗く肉眼ではあまりにも暗い。
カメラの力を借りる。
Isoの数値を800にあげ明暗の補正をプラスにまわす。
どこまでボカすかを考えながら絞りを設定。
これも肉眼ではパンフォーカス(全域焦点)になってしまうがカメラは主題をひきたてる。
どこだけに焦点をあてたい? どこまで焦点をあてたい?
暗いから絞りは開放でいきたいところだけど、まりにも焦点が狭い(被写界深度が浅い)。
だからひとメモリだけしぼった。
なんとかブレない程度のシャッタースピードを確保する。
肉眼の現実ではありえないほど明るく見える。
多少、肉眼より赤みがかっているがこれがカメラという言葉を通すとこうなるのだろう。
これもまた一つの真実。受け入れる。
肉眼がつねに正しいことはない。
すべては関係性のなかにある。
すこしづつアングルを変えてボクのなかの色とピタリと会うところでとめて、そっとシャッターを押す。
で、あがった写真がこれ。

そいつとボクの会話の結晶。
カメラという言葉を介してボクとの関係で像を結ぶ。
「空」だったそれに「色」がついた。
もうキノコでもボクでもない。
ふたつが結びついた痕跡。
なにかがそこにある。
もうそのふたつを橋渡しするカメラという言葉は必要ない。
意味をなさない。
今日も写真としての像としてはここにあるようだけど、現実にはもうない。過去のこと。
「色」はすでに「空」。
今となっては、すでにそいつは変わり、ボクも変わっている。
カメラを通したその瞬間だけがそいつとボクの関係。
関係をもったうえでのボクがここにいる。

あの帰り道のあの混沌のなかでのそいつとの出会いは一期一会。
二度とない関係性。
つねに変わりゆく偶然の出会い。
言葉で会話し、言葉が不要となった。

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