酔っぱらって書く・・・

最近ボトルの中のメッセージというnoteをフォローさせて頂きました。
Note主は、毎日、古今東西のビッグネイムの「言葉」を紹介しています。

朝一番でチェックして、なるほどなぁ〜、と紹介されたセンテンスと、そのセンテンスをチョイスする主のセンスに感心しています。
とはいっても、半日もたたないうちに「名言」は忘れてしまいます。
感心が続かず、忘れてしまうの老齢のせいかもしれませんが、そもそもnote主とはそのセンテンスに至るプロセスがまるで違うということが大きいのかもしれません。

主にとっては、例えば長編の小説を読み込め、さらに鑑賞し倒してチョイスされた「今日のひと言」だと思いますが、ワタシはいきなりその「一言」だけ読んで、何となく分かって感心しているような気になっている輩です。なんとも浅墓だし、味わいも薄っぺらで、エセ感心です。

そうしたなか、今日の「今日のひと言」は半日たっても忘れないどころか、どんどん染み入る言葉でした。

「酔っぱらって書き、しらふで編集せよ」by ヘミングウェイ

♡今日のひと言♡アーネスト・ヘミングウェイ

この日のnoteの表題として紹介された言葉ではなく、付け加えのように紹介されたこの言葉の印象が深くてどんどん妄想が深まるばかりです。
(ちなみに表題の言葉はよくわかりませんでした。)

自称テキスト芸人のワタシは、酔ったようなテキストを綴りますが、決して酔っぱらって書くことはありません。流石に酔ったら書けません。
っていうか、「酔っぱらって書く」はそういう意味ではないですね。

酔ったような状態、つまり理性がぶっ飛で感性のみによって恥ずかしいほど自我が露呈する。と、そのようにテキストを綴る、こうした感覚ではないかと思いました。

理性で言葉を選んで、理性で構成を考えるのではなく、理性はなくなり感性だけで知らぬうちに言葉を綴っている。
あたかも酒に操られて酔っているかのように、言葉に操られて書いている感覚です。
酒によって理性が殺され、抑えつけられていた感性だけが暴れだし、泣いたり怒ったり露骨に現れるように、感性だけが暴れてわけのわからぬうちに言葉が綴られていく感じ。
もちろん、「書くこと」のもともとの学習や経験により体得されている言葉のチョイスや構成力が十二分にあるうえで、それをまったく意識せず、そのレベル以上に言葉自らによって綴られる感覚。

他者に読んでもらうためには、理性による編集は必要かもしれませんが、なんなら「しらふの編集」前のほうが嬉々とした狂気にあふれているテキストという気がします。

でもこの状態になるには、悩み苦しみながら書き続けていなければならないんだろうな。
ワタシがずっと昔にこんな感覚を覚えたのも、書いて書いて書き続けていたときでした。今は駄目ですね、じっと手をみる。

これは、「言葉を綴る」に限らない気もします。

写真を撮るときにもあった気がします。
気づくと無我で撮っていたなぁ、という感覚。
それまで習得した知識も技術もなにも意識しないまま撮っている。
どのアングルにしようとかどのレンズ、どの画角にしようとか露出とか画面構成とか効果とか何も意識せずに「無」になり撮っている。
もう自分が撮っていることも気づいていない状態。
もしかしたら被写体に酔わされているのかもしれません。
理性はぶっ飛び感性にままに撮っているのかもしれません。
そう「酔っぱらって撮っている」です。
ワタシの場合は、写真撮影でそこに至ることはほとんどありませんが、それでも一度くらいはあったかな?

言葉にしても写真にしても、来る日も来る日も求め続けて、もがき続けて継続しているからこそ「酔っぱらって書く」「酔っぱらって撮る」があるのかもしれません。
そこには、読んでもらう他者や鑑賞してもら他者は存在せず、この世の中に言葉と自己だけ、被写体と自己だけが、いやすでに、言葉と自己という境界も消え去り、言葉が自己になり自己が言葉になっている、被写体が自己になり自己が被写体になっている、ということなのかもしれません。

おそらく、なんにせよ「酔っぱらって◯◯する」という、やり続けた最果ての到達すべき域のような気がします。
今のワタシには、自我は無となり、感性のみにより「酔っぱらって聴く」という「傾聴」ができれば面白いと思いますが、いつになることやら・・・。
ああこおうして考えていくと、なんにせよ結局行き着くところは「酔っぱらって生きる」ということになるのかもしれないな、こうなるとゴーダマだな。

もちろん、このnoteは理性バリバリで書きました。
「酔っぱらって書く」なんてことは滅多なことでは到達できないと思っています。

とはいえ、この「今日のひと言」は、メタファでもなんでもなく、ヘミングウェイは本当に酒に酔って書いてたかもしれませんがね、爆!!


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