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18限目:安倍晋三回顧録(官邸一強?忖度文化?霞が関の省庁)

桐島は、安倍政権の経済政策に興味を持っていたため、早速、「安倍晋三回顧録」を読了しました。

長期の安倍政権により、官僚の忖度文化が根付いた、と巷では言われていましたが、安倍元総理から見た光景は異なっていたようで、驚愕しました。

霞が関の関係省庁に関連する箇所を抜粋したいと思います。




財務官僚、経産官僚、外務官僚、警察官僚のカラーの違い

官庁によって、全くカラーが異なることを、安倍元総理が指摘しています。

 財務官僚は、官邸の首相執務室に複数で来て、私に財政政策について説明をする時、1人の役人しかしゃべらないのです。同席している財務省の数人は、私が何を言うかメモを取っているだけなのです。私が「うーん」と考えていても誰も発言しません。私の前では一切議論しない。要は、情報収集が目的で官邸に足を運んでいるのです。そして官邸を去ってから、財務省内で作戦会議を開いて対応を決める。私が増税に慎重な話をした場合、私の方針を覆すためにいろいろと画策するわけです。

 同じ官僚でも経済産業省の役人は、執務室に来て私の考えを聞くと、その場で議論を始めるのです。私の面前で、官僚数人が延々と話しまくることもありました。「ちょっと君たち、総理を無視して議論に華を咲かせるなよ」と思ったこともあるくらいです。

 外務官僚は、担当地域の局によって縦割りが激しく、個人プレーでいろいろ主張するのです。

警察官僚は、私が暴力団の情勢に関心があったから、暴力団の抗争の説明には来るのですが、それ以外の案件で執務室に来ることは稀でしたね。官僚は、役所によってカラーが違います。


厚労省関係

厚労省は、2001年に労働省と厚生省が統合して出来た、霞が関で一番大きなマンモス官庁です。

介護保険法、国民年金法、厚生年金保険法、国民健康保険法、労働基準法、生活保護法、児童福祉法等、重要法律を所管していて、厚労大臣の国会での答弁時間は、日本一長いのです。

厚労省の組織図

こんな、マンモス官庁の厚労省に対する安倍元総理の不満を抜粋します。

【進まぬPCR検査、目詰まりの正体は何か】
 PCR検査の数については、そもそも根本的に用意が足りなかった。厚労省は、PCR検査を増やすことに消極的でした。私は厚労省幹部に、「民間の検査会社ができているのに、どうして行政検査を増やせないのか。何とか改善できないか」と言いましたが、厚労省幹部の答えは「検査を増やせば、陽性者が増えるだけです」とか、「民間の状況は刈り取ってきます」といったものでした。話を刈り取ってくる、とは、調べてくる、ということです。

その結果報告はありませんでした。私は官僚を怒鳴ったことは一度もありませんが、この時ばかりは、言葉はきつくなりましたよ。まさに隔靴掻痒(かっかそうよう)という感じでした。
 厚労省幹部は私に対して、口には出さなけれど、「素人が何を言っているんだ」という感じでしたね。

【厚労省と医師会が動かなかったワケ】
 5月4日の記者会見で表明する前に、厚労省の局長は「アビガンを承認します」と話していました。しかしその後、薬務課長が反対し、覆ったのです。後日、「難しくなりました」と言われました。厚労省は、私の考え方が甘い、という感じでした。でも、それほど危険だったら、インフルエンザの薬としてなぜ承認したのか。危険ならば、新型コロナの臨床研究でも使うはずがないでしょう。

 薬事承認の実質的な権限を持っているのは、薬務課長です。内閣人事局は、幹部官僚700人の人事を握っていますが、課長クラスは対象ではない。官邸が何を言おうが、人事権がなければ、言うことを聞いてくれません。

ーなぜ、薬務課長は頑なだったのでしょうか。
 1980年代の薬害エイズ事件では、非加熱血液製剤を輸入したいた製薬会社トップと、使用した医師、さらに、エイズウイルス(HIV)に汚染されている危険性を知りながら、回収を指示しなかった厚生省の官僚が罪に問われました。
 当時の厚生省薬務局長は、事務系のキャリアだったので、不起訴になったのです。一方、有罪が確定したのは、当時の生物製剤課長でした。薬務系の技官です。局長がハンコを押して承認しているにもかかわらず、課長だけが有罪というのは、薬務系の官僚には不満でしょう。

 そうした歴史があり、多くの薬務系の技官は、「責任を取るのは私たちなんだから、私たちで決めさせてもらう」という意識が強いのです。

 厚労省内もバラバラなんです。医系技官、薬務系技官、キャリア(事務官)に分かれていて、医系やキャリアは次官までポストがあり、局長も多い。一方、薬務技官は、課長か審議官止まりです。でも、薬とワクチンを承認する権限を握っています。組織が全体として円滑に回っていないのです。

医系技官とは、医師の資格を持った行政官です。医師の世界に嫌気がさしたのか、権力志向が強く厚労省で制度を変えたいと思ったのか、色々な動機があると思いますが、厚労省のHPを見ると、如何に医系技官が厚労省の上の方のポストを握っているか、記載があります。

ー厚労省の調査のミスは何が原因だと思いますか。厚労省が労働省と一緒になり、組織が肥大化したという影響もありますか。

 役人が劣化してしまった、ということではないでしょうか。調査はいい加減、それを取りまとめれば、普通は誤りに気がつくことも、目を通していないから気がつかない。

 2月28日に私が裁量労働制の拡大の断念を表明した際、国会で「(ミスの)実態を把握しなければならない」と言ったら、厚労省幹部は「何をどこまで把握すればいいのか」と困っていたそうです。ミスの原因を調べ、見直すための調査をするのは当たり前でしょう。もちろん厚労省は省庁再編で大きくなり過ぎて、政治の目が届きにくくなったという問題もありますが、もっと根が深い気がします。

 実は裁量労働制に関する国会審議の際には、私の手元にあったのは役所が作成した答弁書類だけ。綺麗に整理された、つまりは「改竄」された答弁書類だけで、件のミスだらけの労働時間等総合実態調査の資料もなかったのです。ところが、野党議員はそのミスだらけの調査資料を持っていた。そして私を「実態調査の数字と内容が違う」と追及してくるのですが、資料がないので、私は答えられない。

 私が加藤勝信厚労相に答弁をお願いするのだけれども、野党は「総理が答えろ」と言う。加藤さんは「すぐに本省と連絡を取ります」と言う。仕方がないので、私が働き方改革の理念とか意義とか、時間稼ぎの答弁をするわけです。すると野党は「そんなことは聞いていない」と怒る。本当にあの予算委員会は苦しかった。なぜ私の手元にない資料を、野党議員が持っているのか。「厚労省は野党と通じているんじゃないか」と、疑心暗鬼に陥りましたよ。

 
小泉(純一郎)内閣の時、少子化が想定以上に進み、実際の合計特殊出生率が推計値を大きく離れてしまったことがあったのです。すると厚労省幹部は、特定の年代だけに限った「出生コーホート別の分析」という資料をいきなり持ち出してきて、「推計値と整合性は取れている」と言い出したのです。そんな特殊な数値は聞いたこともなかった。官僚の無謬性とは、こういうことなんだな、と思ったことがありました。

総理でさえも、思い通りにできない、厚生労働省、、、
ある意味、最強官庁ですね(;´Д`)

次は、霞が関の真の最強官庁の財務省です。


財務省関係

財務省に関しては、記載が多岐にわたり、安倍元総理の恨み節が多く見られます。安倍元総理が、如何に財務省の支配を嫌っていたか分かります。

財務省の組織図

 (一律10万円の世帯給付に関して)財務省の発信があまりにも強くて、多くの人が勘違いしていますが、様々なコロナ対策のために国債を発行しても、孫や子に借金を回しているわけではありません。日本銀行が国債を全部買い取っているのです。日本銀行は国の子会社のような存在ですから、問題ないのです。信用が高いことが条件ですけどね。

 国債発行によって起こり得る懸念として、ハイパーインフレや円の暴落が言われていますが、現実に両方とも起こっていないでしょう。インフレどころか、日本はなおデフレ圧力に苦しんでいるんですよ。財務省の説明は破綻しているのです。もし、行き過ぎたインフレの可能性が高まれば、直ちに緊急財政を行えばいいわけです。

 社会保障と税の一体改革は、財務省が描いたものです。当時は、永田町が財務省一色でしたね。財務省の力は大したものですよ。時の政権に、核となる政策がないと、財務省が近づいてきて、政権もどっぷりと頼ってしまう。菅直人主張は、消費税増税をして景気を良くする、といった訳の分からない論理を展開しました。民主党政権は、あえて痛みを伴う政策を主張することが、格好いいと酔いしれていた。財務官僚の注射がそれだけ効いていたということです。

(日銀総裁の白川氏が任期満了前に辞任したことに関して)
(交代と求めた)そんなことはしていません。白川さん自身が、もう辞めようと思ったんじゃないかな。財務省は、OBで大和総研理事長だった武藤敏郎氏に交代させようとしていましたしね。財務省は、金融政策には関心がない。ただ単にポストがほしかっただけです。

(アベノミクスの国会答弁資料に関して)
 でも、財務省が準備する答弁資料は、全く話にならないのです。「財政の健全化に向けて、歳出・歳入改革を進める」とか、私の政策を全く理解していないのです。だから経済ブレーンに毎晩のように電話し、相談していました。

 実は、(消費税)8%への引き上げを覆すのは難しいと思っていました。閣内には、民主、自民、公明の3党合意を決めた当時の総裁、谷垣法相と、幹事長だった石原伸晃環境相がいる。当事者が閣内にいる中では、既定路線でやるしかないと。財務省はこの時、「いったん景気は下がってもすぐに回復する、谷が深ければ、それだけ戻ります」と説明していたのです。だけど、14年4~6月期のGDP(国内総生産)は年率6.8%減となって、なかなか戻らなかった。財務省不信は一層強まりましたね。

 増税を延期するためにはどうすればいいか、悩んだのです。デフレをまだ脱却できていないのに、消費税を上げたら一気に景気が冷え込んでしまう。だから何とか増税を回避したかった。しかし、予算編成を担う財務省の力は強力です。彼らは、自分たちの意向に従わない政権を平気で倒しに来ますから。財務省は外局に、国会議員の脱税などを強制調査することができる国税庁という組織も持っている。(中略)

 増税論者を黙らせるためには、解散に打って出るしかないと思ったわけです。これは奇襲でやらないと、党内の反発を受けるので、今井尚哉秘書官に相談し、秘密裡に段取りを進めたのです。経済産業省出身の今井さんも財務省の力を相当警戒していました。

 国有地の売却価格を値下げした理由は、豊中市の売却予定地にゴミが見つかったことなど様々な理由がありました。背景が根深いのは事実でしょう。

 18年に国有地売却の決裁文書の改竄が明らかになりますが、財務省の佐川宜寿理財局長は17年に「政治家の関与は一切ない」「価格を提示したこと、先方からいくらで買いたいという希望があったこともない」と答弁していました。この答弁と整合性を取るために、財務省が決裁文書を書き換えてしまったのは明らかです。野党から連日追求され、財務省は本来の仕事ができないから、野党を鎮めるために改竄してしまったわけです。

 正直、改竄せずにそのまま決裁文書を公表してくれれば、妻が値引きに関わっていなかったことは明らかだし、私もあらぬ疑いをかけられずに済んだわけです。官僚が安倍に忖度した、というように結論づけられてしまっていますが、財務官僚が私のことなんて気にしていなかったことは、その後、明らかになった文書からもそれは明白です。自分たちの組織を守ることを優先していたのです。

 この土地交渉は、財務省近畿財務局と国土交通省大阪航空局のミス
です。15年に汚染度やコンクリートが見つかり撤去したのに、16年に新たなゴミが見つかった。ところが、近畿財務局と大阪航空局が打ち合わせをして、学園側には黙っていた。これを知った籠池理事長が怒り、損害賠償を求める構えを見せたので、財務局が慌てて一気に値下げしたわけです。大阪航空局も、いろいろと問題があった土地だから、早く打ってしまえと財務局を急かした。様々なミスにつけ込まれたのです。でも、官僚には無謬性の原則があって、絶対に間違いを犯していない、という立場を取るのですよね。だから後から整合性を取ろうとして、国民の理解できないような行動をとってしまう。

財務省が、ときの政権を倒そうとするという告白までしています。

【安倍政権を倒そうとした財務省との暗闘】
 14年に見送りを決めたのは、8%に増税したことによる景気の冷え込みが酷過ぎたからです。財務省は、8%に引き上げてもすぐに景気は回復する、と説明していたけれど、14年の国内総生産(GDP)は、4~6月期、7~9月期と2四半期連続でマイナス成長でした。財務官僚は、私が増税見送りを表明する直前の11月、私が外遊から帰国する際の政府専用機に、麻生副総理兼財務相に同乗してもらって、私を説得しようとしたわけです。しかしその機内で7~9月期の速報値が判明し、「とてもじゃないが増税できない」と私が麻生さんに説明し、納得してもらったわけです。

 この時、財務官僚は、麻生さんによる説得という手段に加えて、谷垣禎一幹事長を担いで安倍政権批判を展開し、私を引きずり下ろそうと画策したのです。前述しましたが、彼らは省益のためなら政権を倒すことも辞さない。谷垣さんは12年に一体改革の合意を決めた当時の総裁だし、「合意を守るべきだ」と谷垣さんに言ってもらおうと。谷垣さんは財務相経験者だし、主張は増勢に近い。けれども、財務省の謀略には乗らなかったのです。政治の不安定化を招くようなことを嫌ったのだと思います。

 二度目の増税延長を決める前の15年に、生活必需品などの税率を低くする軽減税率の導入を巡って、財務省はまた策を弄しました。
 公明党が14年の衆院選公約で、軽減税率導入を掲げていたので、実現はやむを得ないと判断していたのでしょうが、財務省は軽減額をできるだけ小さくしたかった。与党協議が秋から冬に行われて、公明党は、痛税感の緩和と景気への配慮から「酒類を除く飲食料品」などを対象に軽減額を1兆3000億円に、と主張していたのです。一方、財務省は自民党の財政再建派の議員と組んで、まず4000億円の範囲で対象品目を絞ると掲げ、結局、5000億円を落としどころにして決着させようとしました。

 この財務省の手法に、菅義偉官房長官が激怒したのです。そして公明党の主張をおおむね呑んで、1兆円規模に引き上げました。この時も財務省の抵抗はすさまじかった。

 官邸内では、14年の財務省の謀略は夏に始まっていたので、「夏の陣」、冬に決着した15年の軽減税率を巡る運動を「冬の陣」と呼んで、財務省は怖い、という話をしていました。結局、16年の参院選で二度目の増税見送りを決めるので、軽減税率導入は19年10月からになりましたが。

ここでも、安倍元総理が、如何に財務省の手玉に取られないように注意していたか、分かります。

 小泉内閣も財務省主導の政権でした。消費税は増税しないと公約しましたが、代わりに、歳出カットを大幅に進めることにしたわけです。

 私も、第1次内閣の時は、財務官僚の言うことを結構尊重していました。でも、第2次内閣になって、彼らの言うとおりにやる必要はないと考えるようになりました。だって、デフレ下における増税は政策として間違っている。ことさら財務省を悪玉にするつもりはないけれど、彼らは、税収の増減を気にしているだけで、実体経済を考えていません。

 財務省は常に霞が関のチャンピオンだった
わけです。ところが安倍政権では、経済産業省出身の今井政務秘書官が力を持っていた。財務省にとっては不愉快だったと思いますよ。

 財務省の幹部は、参院のドンと言われた青木幹雄元参院幹事長や、公明党の支持母体である創価学会幹部のもとを頻繁に訪れて、安倍政権の先行きを話し合っていたようです。そして内閣支持率が落ちると、財務官僚は、自分たちが主導する新政権の準備を始めるわけです。「目先の政権維持しか興味がない政治家は愚かだ。やはり国の財政をあずかっている自分たちが、一番偉い」という考え方なのでしょうね。国が滅びても、財政規律が保たれてさえいれば、満足なんです。

 でも、考えようによっては、財務省にとって、安倍政権ほど素晴らしい政権はないとも言えます。結局、消費税を二度増税し、経済成長で税収も増やしたわけですから。

ー財務省との暗躍が7年9カ月の安倍内閣の間中、続いていたということですか。
 財務省と、党の財政再建派議員がタッグを組んで、「安倍おろし」を仕掛けることを警戒していたから、増税先送りの判断は、必ず選挙とセットだったのです。そうでなければ、倒されていたかもしれません。

 
私は密かに疑っているのですが、森友学園の国有地売却問題は、私の足を掬うための財務省の策略の可能性がゼロではない。財務省は当初から森友側との土地取引が深刻な問題だと分かっていたはずなのです。でも、私の元には、土地取引の交渉記録など資料は届けられませんでした。森友問題は、マスコミの報道で初めて知ることが多かったのです。

以上、財務省に関する記述が、全省庁のなかで、1番多くなっています( ;∀;)


外務省関連

外務省に関する記述は、マイナスのものが多いです。地域毎の縦割り行政が分かります。

 ー06年に安倍首相と胡錦涛中国国家主席との間で合意した「戦略的互恵関係」は、巧みな命名ですが、誰の発案だったのですか。
 当時の外務省中国課長秋葉剛男です。彼は「チャイナ・スクール」ではなかったのですが、あえて中国課長に据えたんです。チャイナ・スクールは中国の顔色ばかり窺っていましたから。

 20年に五輪を東京に招致するかどうかは、必ずしも盛り上がっているとは言えませんでした。
 私が首相に返り咲いて最初の外遊で、13年1月にベトナムとタイ、インドネシアを訪問しました。事前の勉強会の席上、外務省幹部に「この3ケ国にIOC(国際オリンピック)委員はいるの?」と聞いたら、外務官僚は何も答えられなかった。せっかく各国首脳に会うのに、何をやっているのかと思ったら、「五輪は文部科学省の担当なので」という答えでしたね。これが日本政府の実態でした。

ー外務省には、拉致問題の解決よりも日朝の国交正常化を優先させたいという官僚も多かったようです。

 極めて危なかったですよ。小泉訪朝は、田中均外務省アジア太平洋局長が北朝鮮のミスターXと呼ばれる人物と秘密裡に交渉し、実現しました。ただ、その交渉記録の一部は残っておらず、どんなやり取りが交わされていたのか、判然としない。拉致被害者5人の帰国が実現した直後、5人を北朝鮮に戻すかどうかを巡って、外務省は「とにかくいったん北朝鮮に戻してくれ」と言っていました。何らかの約束を北朝鮮側にしていたからに違いないと思います。

 小泉訪朝が終わり、平壌から帰国する政府専用機内では、北朝鮮への援助内容をどうしようか、という議論が始まったのです。私は「横田めぐみさんを含め、8人も亡くなっているという話が出ているのに、援助なんてできるはずがないだろ」と猛反対したのです。結局、援助は時期尚早となりましたが、外務省に任せていたら、どうなっていたことか分かりません。

 外務省は、杉山晋輔事務次官以下、大統領選の勝者は「ヒラリーで間違いない」と断言していたので、それなら面会に応じようと決めて、訪米した際にニューヨークのホテルで会ったのです。大統領選では、ヒラリーもトランプも環太平洋経済連携協定(TPP)にノー、と言っていたので、自由貿易の重要性を念押しする狙いがありました。

 トランプ陣営からは、私に会いたいという話はありませんでした。でも9月に訪米が近づくにつれて、「もしかしたら何か起きるかもしれないから、念のためトランプにも一応会っておいた方がいいんじゃないか」と思い始めたのです。官邸内では、トランプとの会談は不要だという意見もあったのですが、万が一に備えたかったのです。


防衛省関連

安倍元総理の成果として、防衛庁を防衛省にしたことに、誇りを持っている記述です。

 防衛庁は、年間5兆円の予算を使っている実力組織を持つ役所です。それを庁にしているというのは、異常な国家体制ですよ。これを防衛省にする。
 防衛庁長官は、軽いポストのように見られていましたが、海外でそんな国はないです。省に昇格したことで、防衛省にも優秀な人材が入省することになりました。


法務省関連

法務省と政治家の関係を端的に示しています。

 国会議員は、法務省とはあまり付き合いがありません。むしろ私が法務省でよく存じ上げていたのは、林眞琴氏(後に検事総長)です。組織犯罪処罰法を改正して、テロ等準備罪を創設する時の刑事局長で、一緒に汗を流してくれました。
 17年の国会で改正組織犯罪処罰法を審議する直前、テロ等準備罪の分かりやすい事例を出してくれと法務省にお願いしたら、その内容が私ではなく、なぜか民進党に渡ってしまったのです。単なるミスだったのか、法務省が私を困らせようとしたのかよく分からないのですが、霞が関では時々、こういうことが起きるのです。
(中略)
 検察OBは、政治が我々の領域に入ってくるな、と言いたかったんでしょ。役所のOBはどこも、人事は自分たちで決める、とはき違えていますから。そもそもトップの検事総長や最高検の次席検事、全国8か所の高検検事長の任命権は、内閣が持っています。


内閣法制局関連

 内閣法制局といっても、政府の一部の局ですから、首相が人事を決めるのは当たり前ではないですか。ところが、内閣法制局には、長官を辞めた歴代長官OBと現在の長官が集まる参与会という会合があるのです。この組織が、法制局では絶対的な権力を持っているのだそうです。そこで、法務局の人事や法解釈が決まる。これは変でしょう。国滅びて法制局残る、では困るんですよ。第1次内閣の時も、法制局は私の考えと全く違うことを言う。従前の憲法解釈を一切変える気がないのです。槍が降ろうが、国が侵略されて1万人が亡くなろうが、私たちは関係ありません、という机上の理論なのです。でも、政府には国民の生命と財産に対して責任がある。法制局は、そういう責任を全く分かっていなかった。坂田雅裕元法制局長官は、集団的自衛権の行使を容認するならば憲法を改正すべきだ、と言っていましたが、憲法改正の方がはるかにハードルは高いでしょう。


経済産業省関連

安倍元総理にとって、一切悪口がないのが、経産省でした。今井秘書官、長谷川補佐官の貢献が大きいと言えます。

ー輸出管理の厳格化を発案したのは誰ですか。
 経済産業省です。経産省出身の今井尚哉政務秘書官と長谷川榮一首相補佐官がかかわりました。かつて中国が、ハイブリッド車のモーターなどに必要なレアアース(希土類)の輸出枠そ削減し、WTOのルールに違反すると認定されたことがあります。日本の韓国への措置は、輸出の手続きを厳しくするだけで、輸出制限とは異なるので、WTO上、問題ありません。こうした手法を考え出した今井さんや長谷川さんはさすがだなと思いました。

ー第2次内閣は、官邸スタッフに経済産業省出身者が多かったので、「経産政権」を揶揄されることもありました。その中心にいたのが今井政務秘書官でした。今井氏を政務秘書官に充てたのはなぜですか。

 第1次内閣の秘書官とは、07年の退陣後も年に何度か、食事をしていました。あの1年間は、非常に濃密な時間でしたから、何となく気があるのです。そういう人間関係を続けていた中で、私が12年9月に総裁選に再びチャレンジする時、今井さんには、政策のアドバイスをもらったのです。彼は内政・外交のオールラウンドプレーヤーです。もちろん情熱もある。

 第1次内閣の07年の「消えた年金」が問題になった時、今井さんが「総理は打ち首です」と私にいきない言い出したのです。何事かと思ったら、今井さんがサウナに行ったら、サウナにいた大勢の客が「消えた年金」について話していて、「安倍は打ち首だな」と言って盛り上がっていたそうなのです。今井さんは、その話をそのまま私に伝えたのです。耳障りなことでも、平気で話してくれる人をそばに置いておくのは大事でしょう。

 第2次内閣以降も、今井さんは平気で私に厳しいことを言い続けました。「首脳会談で紙を読んでばかりいてはダメだ、相手の反応を見なきゃ」などと言ってくるわけです。
 私も嫌になって、大概にしてくれよ、と思ったことが何度もあります。ただ、そういう今井さんをはじめ、多くのスタッフが私のために身を粉にして働いてくれました。

長くなりましたが、安倍元総理でさえも、抑えられなかった官庁、そして官僚たちの話は、非常に興味深く、初めて知ったものばかりでした♪

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