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イノベーションは文化を生むー読書感想「繁栄のパラドクス」(C・クリステンセンさん)

イノベーションは利益を生む。雇用を生む。そして文化を生む。クレイトン・M・クリステンセンさん他「繁栄のパラドクス」は、ビジネスチャレンジが持つ希望をこれでもかと語ってくれる。起業家讃歌ではない。ビジネスを消費する私たちが、社会を変える担い手になれる可能性も示している。(他の著者はエフォサ・オジョモさん、カレン・ディロンさん。依田光江さん訳。ハーパーコリンズ・ジャパン、2019年6月21日初版)


なぜ井戸は増えず携帯は増えるのか

繁栄のパラドクスとは何か?

(中略)意外に感じるかもしれないが、貧困の解決と長期的繁栄はつながらないのだ。繁栄をもたらすのは新しい市場を創造するイノベーションである。(p27)

繁栄するために諸問題の解決資源を投入しても(=貧困の解決)、長期的な繁栄につながらない。途上国で観測されるこうした矛盾を、クリステンセンさんは「繁栄のパラドクス」と呼ぶ。

では、何が繁栄をもたらすのか。それが「市場創造型イノベーション」。クリステンセンさんは「途上国では井戸が増えず、しかし携帯電話は爆発的に増えた」と表現してみせる。

どういうことか。実は共著者のエフォサさん国際支援としてアフリカに井戸をつくる取り組みをしていた。しかしその井戸は何年かして打ち捨てられてしまう。維持していくためのコストを負担できず、持続しなかったのだ。

一方で、アフリカの携帯電話ベンチャー「セルテル」はプリペイド通話式の革新的な携帯電話を売り出し、わずか6年で13カ国520万人の利用者を獲得した。(p26)。井戸との違いは、セルテルが行ったのはイノベーションであること。その維持に必要なコストは市場から調達し、更なるサービスにつなげる循環が起きたことで拡大した。

これには、国際NPOが市場経済の及ばない範囲で人々を救っている点に留意する必要もある。しかしながら、繁栄と支援がときにパラドクスを起こし、解決策としてイノベーションがあるという見方をここでは押さえてきたい。


無消費者は無能力者ではない

序盤で「繁栄のパラドクス」を示した後、クリステンセンさんは「繁栄をもたらしたイノベーション」の実例をふんだんに紹介してくれる。

ナイジェリアで簡易麺を普及させた「トララム」。アフリカだけではない。メキシコからは安価な糖尿病診療施設「クリニカス・デル・アスカル」と、手頃なパンメーカー「グルポ・ビムボ」。わたしたちの日本も登場する。ソニートヨタがその例だ。そしてアメリカの繁栄も、フォードコダックが立役者になったことを描き出していく。

これらのイノベーションは、ただのイノベーションではない。イノベーションには3種類あり、繁栄を創出するのはそのうち1つだ。

まずは「持続型イノベーション」。これは言い換えれば「改良」だ。既にあるプロダクトのパフォーマンスを改善する取り組み。そのため持続型は「売る相手も売り方もすでにほぼ確立されている」(p44)。

2つ目の「効率化イノベーション」も近いものがあり、こちらは「効率化」。企業がより少ない資源でより多くのことを行えるようにする。

そしてクリステンセンさんが繁栄のキーとするのは「市場創造型イノベーション」だ。持続化・効率化と異なるのは、市場創造型は「無消費者」をターゲットにすること。つまり「まだ消費していない消費者」にいかに消費させるか。そのための低廉化や、仕組みの工夫をほどこしたイノベーションを指す。

たとえばセルテルは「携帯電話を契約できない」無消費者を取り込んだ。そのために、携帯回線を契約するのではなく、25セントから通話時間分だけ購入できるプリペイドカードを導入した。

ポイントは無消費者は「携帯を使いたくない」ではなく「お金がなくて使えない」だったのだ。セルテルは、本当は無消費者が携帯を使って解決したい課題があったことを知っていた。離れた親の身を案じたり、子どもの声を聞いたり。そうしたニーズに応えようとした。セルテルにとって無消費者は決して無能力者ではなかった。あくまで1人の人間としてみていたのだった。

ある起業家はこれを「競う相手は無関心だった」と表現する。

(中略)レフトリーと彼のチームは、イノベーションへのアプローチ方法を完全に変える天啓を得た。「競う相手は大手保険会社ではなく、”無関心”だとわかったんだ」。無関心は手ごわい。だが、未来の顧客が直面する苦痛を軽減するように工夫されたイノベーションが最終的には勝利を収めた。未来の顧客がいま味わっている苦痛のなかに、繁栄につながる市場が潜んでいる。その市場は、まずは起業家へ、やがて地域全体へ繁栄をもたらすのだ。(p73)

市場創造型イノベーションは、無消費者を「未来の顧客」だと考える。

この視点は、もう少し敷衍することができそうだ。私たちが誰かを無力だと思うとき、実はその人は無消費者だということはないだろうか。少なくとも無消費者だと見方を改めたとき、わたしたちはその人との関係にイノベーションを起こす可能性を見出せる。無能力者から無消費者への発想転換。それは人間関係においても活用できる思考法なんじゃないかと思う。


文化は自律性を生む

本書を読んで一番胸が熱くなったのは、「市場創造型イノベーションが生み出すのは利益と雇用だけではない」という部分だ。クリステンセンさんは生み出される「最も強い影響力をもつ」(p61)ものは「文化的変容」だと言う。

つまりイノベーションは文化を生み出すのだ。

これもまた豊富な例が語られる。たとえば、アメリカのシンガー社が安価なミシンを生み出したことで、タンスや衣装箱が生まれた(p142)。多くの無消費者がミシンを使い出したことで、ファッション文化が醸成され、人々が自分で好きな服を所有することが当たり前になった。

あるいはソニーの小型トランジスタラジオによって、若者が「親の耳に届かない場所で、友人と一緒に音楽が聴ける」(p181)環境を手にした。若者が音楽を手にしたといっていいだろう。これは実感しやすい。ストリーミングサービスやオンラインマーケットができたから、私たちが瑛人さんやヨアソビさんの音楽に出会えているのと似たような喜びを得られたんだろう。

イノベーションが文化を生み、文化を人を豊かにする。その中からさらなるイノベーションが生まれることもあるだろう。クリステンセンさんが引用したエドガー・シャイン氏による文化の定義が、この可能性を凝縮している。

 文化とは、共通の目的に向かって協働する方法であって、人々が他の方法で物事をおこなうとは考えもしないほど非常に頻繁に、かつ非常に首尾よく踏襲されてきたものである。ひとたび文化が形成されると、人は成功するために必要なことを自律的におこなうようになる。(p242)

無消費者はイノベーションのない場合はその中でも最善の方法を「踏襲」しているだけだ。イノベーションが起きて、新しいプロダクトが文化となれば、そのあとは「自律的」に成功へ向かっていく。

こう考えると、実は消費とは「自律的になること」なのかもしれない。あるプロダクトを使うとき、わたしたちはそのものが秘める文化を支持し、ときには無消費者をエンパワーメントしているのかもしれない。もちろんその無消費者に、自分自身が含まれることだってあるだろう。

このくだりに差し掛かったとき、これを書いている「note」というサービスも市場創造型イノベーションなのかもしれないと考えた。簡易に、かつデザインフルなブログを作成できる。あるいは制作者からすれば、直接的な課金システムを即座に構築できる。気軽に発信し、クリエイターが経済的に報われる社会文化。それに一役買うために、このエントリーもなっているのかもしれない。

反対に、イノベーションが人を無力化する文化を助長しないか、もちろん留意が必要だろう。本書ではそうした指摘は見えない。それでも、クリステンセンさんの情熱あふれる本書の価値は損なわれない。イノベーションは文化である。このメッセージの熱量をしかと、受け取った。

次におすすめする本は

J・D・ヴァンスさん「ヒルビリー・エレジー」(光文社)です。クリステンセンさんはイノベーションと文化の関係を示しましたが、本書は「貧困には貧困を形作る文化がある」ことを学ばせてくれます。またクリステンセンさんの話が光であれば、こちらは影に目を向ける。バランスを取る上で格好の一冊だと思います。


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