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自分が生きることが遠くの誰かのためになるのかもしれないと信じさせてくれる物語ーミニ読書感想「マイクロスパイ・アンサンブル」(伊坂幸太郎さん)

伊坂幸太郎さんの最新刊「マイクロスパイ・アンサンブル」(幻冬舎)に心を洗われた。相変わらず、伊坂作品にハズレなし。文句なしの面白さ。本作は特に、伊坂さんらしいユーモアとささやかな希望を感じられる。自分が生きることが、日常のふとした頑張りや誠実さが、実は見ず知らずの誰かの助けになるかもしれない。孤独や分断がより深刻化する現代において、そんな希望をもう一度信じさせてくれる物語だった。


本作はもともと、福島県の猪苗代湖で行われる音楽ライブフェスティバル「オハラ・ブレイク」の会場で配布された冊子に掲載された短編小説だったそうだ。オハラ・ブレイクが2年目、3年目と開催を重ねるのに合わせ、短編小説も2年後、3年後の様子が描かれた。それらを一冊にまとめた連作短編集になる。

主人公は2人。1人は就職活動中に彼女に振られた男。もう1人は、いじめられっ子だった時にスパイに助けられて自分もスパイになった少年。それぞれの物語が交互に進行し、交錯する。

短編小説なのに2つの物語が進行するのがとても濃厚だ。「モダン・タイムス」や「ゴールデンスランバー」のように、絶体絶命のピンチが思わぬ形で打開される展開が短い物語の中で再現される。濃い物語が時を重ねるというのは「砂漠」と似た雰囲気もある。

2人の主人公はそれぞれ無関係なのだが、なぜか大事な場面で猪苗代湖にいるという偶然で結ばれている。ネタバレになるため言えないもう一つの特殊事情により、一方のアクションがもう一方の状況に多大な影響を及ぼすことになり、「そんなつもりはないのに助けてしまった」という展開が発生する。ここが読みどころだ。

しかも、助けた側も、助けられた側も、そのことを認識しない。これがとても面白い。お互いが認識しない助け方というものが存在するのだと、新鮮な驚きがある。

現実の世界を見渡せば、助けたくても助けられないことが多いし、「なぜ助けてくれないのか」「私たちだけが取り残されている」という叫びも多く聞こえる。反対に、「助けてあげましょう!」という顕示的な救済も目につく。でも、助ける・助けられるのあり方は、もっとひっそりした形があり得るのかもしれない。

あるいは現代は、「あなたの行為は誰かを傷つけていますよ」という告発と糾弾にも満ちている。誰かの助けになる期待を抱くどころか、誰かの害悪にならないよう慎重に生きることに腐心して、それで精一杯になる。

本作は、そういう閉塞感とは「ちがったあり方」を物語の形で示してくれている。本作がまとうゆるやかで温かな空気感は、音楽フェスの非日常感と少し似ている。フェスに行ったところで現実は変わらないが、現実に向き合う心持ちが変わってくる。

オハラ・ブレイクのためにつくられ、オハラ・ブレイクとともに育った物語だからこそ、よく晴れた日に干した布団のような穏やかさがあるのかもしれない。

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